アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

釈迦如来は俗に言うお釈迦様なので理解できるのですが、なぜにその上に阿弥陀とか大日を作ったのでしょうか。キリスト様の上にゼウスを作るのと同じと思うのですが、それゆえに観念的で理解しずらいのです。
個人的にはお釈迦様の教えやキリスト様の教えで良いと思うのです。権威を高める効果よりも権威をおとしめる効果の方が強いと私は思うのです。また孔子様の上には居ないと思います。なぜなのでしょうか。

A 回答 (14件中1~10件)

お礼、ありがとうございます。



☆結局のところ、大日如来を作る思想は釈尊は大勢の内の一人に過ぎないとの論理でなのですね。
◇一人というよりは、大乗仏教ですね。
大乗仏教において、仏陀の拡大が行われた、と考えるべきなのでしょう。
そして、応身、報身、法身という仏身の考え方は、大乗仏教特有なものです。
いわゆる小乗仏教では、こうした仏身の考え方をしません。
小乗でかつて最も有力な学派であった説一切有部は、思弁的な存在としての法身の存在は認めていましたがね。
といいますか、
法身というものを考えついたのは、説一切有部らしい。



☆東南アジアの仏教では釈尊が崇拝されています。
◇東南アジアの仏教は、テーラヴァーダと呼ばれる、小乗仏教の一派です。
ですから、阿弥陀仏や大日如来を仏陀としては認めていません。
ただし、
彼らの経典に登場する、釈迦以前にいたとされる六仏の存在は認めています。



☆阿弥陀如来も薬師如来もクリクリ頭ですが、大日如来は帽子をかぶって頭を隠しているのです。
◇大日如来のあの姿は、インドで生まれた密教の経典に書かれており、それを図像として表現したものです。
頭に冠かぶり、光り物を付けている姿は、実は、菩薩の姿なんですよ。
パンチ頭姿でネックレスなどの光り物を付けない姿が、仏さまの姿。
じゃぁ、何で、大日如来は菩薩の姿で書かれているの?
これは、分かりません(ポリポリ)。
「他の仏(釈迦や阿弥陀仏)などと区別、差別化をするためで、
仏の中の王者であることを表わすために、冠や光り物を身につけているのだ」
という説なんかは存在しますが。
ちなみに、奈良の大仏も大日如来です。

で、何で、菩薩は冠やネックレスなどの光り物をつけているかですが、
菩薩の姿は、出家前の釈迦の姿なんですよ。
お釈迦様は、出家前、王子だったから、冠や光り物を付けていた。
だから、菩薩は冠やネックレスなどの光り物を身につけている。

チベットには、日本に入ってこなかった、インド最末期の仏教(密教)が入っているので、チベットで描かれる大日如来の姿は、また、日本のそれとは異なっています。
チベットの大日如来には、お妃がいますしね~♪
そして、お妃とエッチなことをしている姿で描かれていたりします。
───これはこれで、深い意味が込められています───

仏さまにも、時代によって流行り廃りがあるようで・・・、
これ以上書くと混乱させるだけなので、止めておきます。


☆インド人ではないと言っているかのごとくです。大日如来は中国人が作ったものなのでしょうか。
◇ですから、大日如来は、インド人が作ったものです。
ただ、それを絵や仏像として表現する時には、
中国ならば中国人的な顔に、
日本ならば日本人的な顔になりますけれど。
ですが、
その姿は経典などに書かれています。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

何だか訳が判らないですね。結局はみんな後から都合の良いように作られたものなのですね。ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/28 17:39

titelist1様、こんばんば。




>「理解しずらいのです。」

・・・信教の自由、ですか。

この回答への補足

神様ではなく神とか、釈尊ではなく大日とか、釈尊の師の阿弥陀とかは、その存在を信じなければ成り立たないのです。信心の宗教ではなく、学ぶ哲学と位置づけています。このサイトに宗教のコーナーがないのは、宗教では水掛論になるからだと思っています。
そうだと言っても私の家の宗派は日蓮宗なので釈迦は居ても、大日や阿弥陀が居ないので余計に違和感があるのです。いったい何者なのかと思ってしまうのです。私は宇宙や来世よりも現世を大事にしたい。会社で研究開発を仕事にしてきた影響で、不確定なことには関心がないのです。

補足日時:2014/07/29 09:20
    • good
    • 0

 冒頭句が、オ-ム、は阿弥陀経だったか、涅槃経だったか、父王を幽閉し母まで殺す?、アジャセ王の物語、


だったと思いますが、破壊と創造は一体である、破壊=創造、の意味のある、オ-ム、という言葉は味わい深いものでしょうが、無差別殺人事件を起こした阿呆が、言葉、まで台無しにしたようです。
真言宗、あるいは密教(秘密仏経;ヒンズ-経の当て字?)は仏教ではない、との認識が一般的でしたが最近はマスコミなどでも区別をしない、仏教とみなしている、ようです。そんなことは気にしない、のが日本人の宗教観(宗教音痴とも言われる)なのでしょう。
阿弥陀経を掲げた、浄土真宗、がその他を除けば、最も新しい宗教のようです。
ある老婆は、「南無阿弥陀仏、金欲しや、死んでも命があるように。」と冗談を言っていましたが。
やがて惚け、仏前でもそう唱えだし、寝たっきり、になり、(阿弥陀様)「お迎えに来てください。」
ばかり言うようになり。
どこまでが、生、だったのか、家族が朝気づくと、息をしていなかったそうです。
最も新しい、日本で創られた宗派、元々の釈迦の思想からは、遠くはなれているか、というと、
そうでもない、むしろ再接近していると思えるところがあります。

葬儀、法事の度に、理論理論の意味がある、般若心経、と、元はけしの実の喩えか、白骨の御文章、
を唱えます。忘れましたが、・・・
朝に紅顔ありて、夕に白骨となる、我や先、事や先、今日とも知れず、明日ともしれず。野辺の送りに、親類縁者集まり、嘆き悲しめども、何の甲斐やあるべし、
哀れと言うも、愚かなり。 あな、かしこ・
人の死を当然起こる事とし、それを嘆き悲しんだとて何の甲斐もない。愚かなことだ。
世界の宗教の中でこんな事を言う宗教はないのでは?
また。神、霊魂、超能力、などを最も信じないのは、浄土真宗の坊主である。との話しもあります。

孔子様の上には居ないのは? 孔子崇拝は儒教民族といわれる、朝鮮民族、であり。
道教民族と言われる日本人にとっては、先生(師)と呼ばれるほどの馬鹿でなし、では
    • good
    • 0

すいません。



◇一人というよりは、大乗仏教ですね。
なんて意味不明なことを書いてしまったようですね。


☆釈尊は大勢の内の一人に過ぎない
◇はい、そうです。
釈尊は、その中の一人に過ぎない、と大乗仏教では考えます。

過去に無数の仏がいた。そして、これからも新たに無数の仏が生まれる。
それだけではなく、この宇宙の他に多数の宇宙があり、そこにもまた仏がいる。

歴史上実在したゴータマ・シッダルタという仏(応身)は、その一人に過ぎない。

では、それらの仏はまったく別かといえばそうではない。
より根源的な仏、法身仏の化身なのだ、その現われなのだ。

だから、お釈迦様は大日如来とは別だということもできるし、同じだということもできる。
これはすべての仏さまと大日如来との関係においても同じことが言えます。

さらにこの議論を徹底させますと、
我々は、大日如来ということばで象徴される仏を宿している、のだ。
だから、我々は成仏できるのだ、となります。
《如来蔵思想》と言われるものです。

日本の仏教は、程度の差はあれ、この《如来蔵思想》の上に構築されています。
    • good
    • 0

>東南アジアの仏像は釈迦如来ではなく釈迦像なのですか。


●仏像ならば釈迦如来、釈迦像ならば釈尊そのものです。
    • good
    • 0

#8で補足しておきます。


釈尊と釈迦如来とは同一ではないです。
これを同一と考えると仏教の開祖の上に仏教の説く大日如来がいるのか?という疑問にぶつかってしまいます。
釈尊は肉体をもった人間、釈迦如来とは仏であり、あとから名付けた如来の名前です。

この回答への補足

釈迦如来はクリク頭の仏像なのでインド人のお釈迦様だと思っていました。東南アジアの仏像は釈迦如来ではなく釈迦像なのですか。キリストはキリスト像ですよね。その方が判りやすいと思うのです。その後から名付けることが疑問なのです。名付けたのは仏教が中国に伝来した時に中国人に名付けられたのではないかと思うのです。

補足日時:2014/07/28 16:03
    • good
    • 0

誤解があるのでは?



>釈尊は人間ですよ。宇宙など創れるはずがありません。人間である人の教えを学びたいのです。大日や阿弥陀が人間ではないなら関心がないのです。
●たとえば、キリストは人間ですが、キリスト教の説く神は人間ではないですよね。
これでいえば、あなたはキリストには興味はあるが、神(キリストの教え)には興味がないということを言っているのです。

この回答への補足

>あなたはキリストには興味はあるが、神(キリストの教え)には興味がないということを言っているのです。
キリストには興味があります。しかしキリスト教の言う神には興味がないのです。キリストは神について言及していません。

補足日時:2014/07/28 16:13
    • good
    • 1

#2です。


宇宙は釈尊が作ったとお思いでしょうか?そうではないですよね?
釈尊が生まれる前から人間は苦しみや悲しみを味わってきたのですよね。

ニュートンの法則はニュートンが作ったのではなく、発見したのです。
釈尊も同じく、仏教を作ったのではなく、仏の世界を知覚し智恵を得たのでこれを民衆に説いたのです。

ですから、釈尊がいたから釈迦如来ができたと言うよりも、釈迦如来が現世に釈尊として現れて仏教を説いたとするのが大日如来を最高神とする真言宗の考え方です。

もともと釈迦如来という固有名詞は確かに後から(つまり仏教の広がり後)つけたものかも知れませんが、存在としては釈尊生誕(現世への出現)以前からのものという考え方です。

この回答への補足

釈尊は人間ですよ。宇宙など創れるはずがありません。人間である人の教えを学びたいのです。大日や阿弥陀が人間ではないなら関心がないのです。

補足日時:2014/07/28 14:18
    • good
    • 0
この回答へのお礼

宇宙のことは天文学や物理学のことなので関係づけて考えてはいないのです。宇宙は神が創ったとか言う人がいます。言い出したら切りがありません。大日如来は宇宙かもしれないが、阿弥陀如来は宇宙ではありません。何故にそのような物が存在しているのかが疑問なのです。

お礼日時:2014/07/28 14:07

☆キリスト様の上にゼウスを作るのと同じと思うのですが、


◇「ゼウス」ではなく、「デウス・Deus」です。
Deusは、ラテン語で「神さま」の意味。
語源的には、ギリシア語の「ゼウス」とラテン語の「デウス」は同じらしいけれどね。



☆釈迦如来は俗に言うお釈迦様なので理解できるのですが、なぜにその上に阿弥陀とか大日を作ったのでしょうか。
◇「さとり」とは何か、「仏さまの教え」は永遠のものなのか(お釈迦様以前にも仏教はあったのか)、仏陀は永遠の存在なのか、お釈迦様は死んだけれど、その後、どうなったのか、
こうした仏教徒の問いかけに対する答えの一つが、
阿弥陀仏(報身・ほうじん)であり、
大日如来(法身・ほっしん)です。

仏教の教えは、ゴータマ・シッダルタという歴史上実在した人間以前にも存在していたに違い。
その永遠の「仏教の教え」、「仏法」、「教法」、ダルマ(dharma)を身に付けたものが仏の身体(法身、ダルマ・カーヤ)、仏の本体と言うべきものなのであろう、と次第に考えるようになった。
法身、法身仏という思想の誕生です。
この法身は、同時に、ゴータマ・仏陀以外の人でも、仏陀になることができるという理論的根拠にもなります。

報身(サンボーガ・カーヤ、sambhoga-kaya)は難しいです。
歴史的に言えば、おそらく、歴史上存在したゴータマ・シッダルタの死後の姿を指し示す言葉だったのではなかろうか。
sambhogaは、「喜び」というのが本来の意味。
歴史上実在したゴータマ・シッダルタという人物は確かに死んだ。しかし、入滅後、きっと「喜び」に満ちた身体(sambhoga-kaya)を得て生きているに違いない。
このようにして、おそらく、報身・sambhoga-kayaという考えが生まれたのであろう。
これは、ある意味、死後のイエスとよく似た考え方です。
報身は、いわゆる神さまに近い、神さま仏陀と呼んでもいいようなものになった。
神さまだから、様々な超越的な力を持ちうる。
人の願いをかなえることもできれば、人を救済する力も持ちうる。
阿弥陀仏は、仏教の数ある報身仏の最も代表的なものです。
阿弥陀仏意外に有名なところでは、
人々の病を取り除く薬師如来も、この報身仏の一つです。
そして、神さまのように、人々の願いをかなえてくれる、「お釈迦様」という仏様も報身仏とみなすことができます。
報身には、死なないとなれないので(ポリポリ)。
報身は、自力救済を建前とする、いわゆる仏教からの逸脱なのかもしれません。

仏身論はきわめて煩瑣で厄介なので、
ゴータマ仏陀(お釈迦様)以外にも《さとり》に達した人がいて、
その人が死んで、報身という神さまのような仏さまになったのだ、
とお考えください。
パーリ語仏典でも、
この世界にはゴータマ以前に6人の仏陀が存在した、と、
ゴータマさんが言っていることになっているので、
それほど無茶な考え方ではありません。


☆個人的にはお釈迦様の教えやキリスト様の教えで良いと思うのです。
◇これで十分とお考えでよろしいのでは。
おっしゃる通り、十分なのかもしれません。
否定はしません。



☆また孔子様の上には居ないと思います。
◇儒教は、身内や自身が所属する社会(宗族・宗族社会)の道徳、その社会の中でのみあてはまる道徳であって、全人類に適用できるような考え方でも思想でもありません。
だから、法家や道家などから、儒教は社会秩序や公序良俗を乱す誤った教え、であると攻撃さたのです。
宗族のためならば、嘘をつこうが、盗みをしようが、殺人を犯そうが、儒教の宗族論理では肯定されます。
そして、中国で大問題になっている汚職もです。
幕末に頻発した要人の暗殺、テロ行為の理論的バックボーンになったものが、儒教であったことを忘れてはいけません。
そして、ヤクザの道徳をもささえてもいる・・・。

この回答への補足

何だか煙に巻かれるような回答ですね。結局のところ、大日如来を作る思想は釈尊は大勢の内の一人に過ぎないとの論理でなのですね。中華思想の中国に入ることでさげすまれた結果なのかと想像します。東南アジアの仏教では釈尊が崇拝されています。

補足日時:2014/07/28 13:55
    • good
    • 0
この回答へのお礼

補足を書いた後に各種如来を画像検索して見ました。お釈迦様はインド人なので癖毛のクリクリ頭です。阿弥陀如来も薬師如来もクリクリ頭ですが、大日如来は帽子をかぶって頭を隠しているのです。
インド人ではないと言っているかのごとくです。大日如来は中国人が作ったものなのでしょうか。

お礼日時:2014/07/28 14:25

お釈迦様は唯一の生き仏と理解しています、阿弥陀如来とか大日如来は単なる偶像です。

仏様は3千位あると思いますが、私利私欲のための方便ににしかすぎません。宇宙とは何なのか考えたのはお釈迦様なのではないでしょうか、京都の東寺講堂を訪ねてみれば空海が説いた仏の世界に触れる事ができると思います。私はお釈迦様しか真の仏様ではないと考えますが、訳のわからない宗派が布教とかお金集めに奔走している現実に失望しています。キリスト教・回教の事は分かりませんが一神教故の危険を感じます、偶像を信じて何になるのでしょうか。回答にはなっていないかもしれませんが、経験上思うのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私の思いに近いです。宗派のことですが、長野の善行寺に行った時、無宗派の寺であるとの説明をボランディア説明員から聞き、だったら何故に宗派がたくさんあるのかと質問したのです。するとその答えはお金のためですと言ったのです。なるほどなあと変に納得してしまいました。ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/28 13:08

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す