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なんかやられメカというか、弱いというイメージが定着してしまい…近年ではへっぽことかドジッ子とかかわいいとかチハたんとか擬人化までされてる97式中戦車チハですが、
本当にそんなに何の役にも立たなかったのですか?

まがりなりにも帝国陸軍主力戦車でしょ?
そんな使えないなら生産する必要すらないじゃないですか。


とあるサイトで、
「チハを撃破しても戦車一両撃破とはカウントせず、戦車砲がもったいないので、戦車砲は使わず機銃のみで撃破し、それももったいないので、塩酸をかけてドロドロに溶かしてしまおうという研究までされてた」
と書いてありました。

更にチハは歩兵の小銃でも撃破可能と書いてあり、本当なら
下手すると歩兵1人にやられるかもしれない戦車ということになります。だって戦車が照準する前に小銃撃ちまくれば勝てますやん、そんなの。
本当にそんな弱かったのですか?
弱かったとしたら、なぜそんな意味のない物作ったのですか?
チハが出現したら、敵兵は小躍りして喜んだのですか?
チハだっ!って戦々恐々したり、潰走したりしなかったのですか?

教えてください。
宜しくお願いします。

A 回答 (5件)

>まがりなりにも帝国陸軍主力戦車でしょ?



主力戦車っつー概念は第二次大戦当時はなかったのですが、主に生産された戦車であることは間違いないです。
ただ、他の帝国陸軍戦車となると、ハ号こと九五式軽戦車となってしまうので、ますます絶望するほかありません・笑。

>そんな使えないなら生産する必要すらないじゃないですか。

お気持ちは分からんでもないですが、他にまともなものが作れないんだからしょうがない。
ただ開発された1937年当時のカタログスペックから見ると、実はそんなに悪くないんです。あのドイツのIII号戦車と似たようなカタログスペックです。III号A型と比べるなら、あっちは37ミリ砲でこっちは57ミリ砲とスペック上は勝っているのだァ!
・・・ただし、他の人も指摘していますが、あの短砲身57ミリ砲は対戦車戦闘を考えていなかったので、初速が遅く何よりかにより徹甲弾の質が悪くて対戦車戦闘では使い物になりませんでした。
ただ、対戦車戦闘があまり考慮されなかったのには日本軍ならではの事情もあります。何しろ主に相手になっていた中国軍はゲリラ兵の集まりみたいなもので、戦車なんてほとんど持っていませんでした。敵が持ってない兵器への対処法は後回しになるのは仕方がない面はあります。

>戦車砲は使わず機銃のみで撃破し

さすがにそれはあんまりないです。そりゃ場合によっては重機関銃で撃破できたときもあるかもしれないけど、なんせ敵のアメリカ軍にはバズーカ砲っつー威力がありかつ携行性に優れた対戦車兵器がありますので、それで主に対処できたようですよ。

>下手すると歩兵1人にやられるかもしれない戦車

それはないですね。まあちょっとウケ狙いのオーバーな表現をしたのでしょう。

それでね、チハたんが低性能で終わってしまったのはエンジンの馬力が小さいせいだということは私も以前から指摘していました。何しろ、180馬力程度しかない。III号戦車が300馬力、T-34が500馬力、M4の400馬力と比べるといかにも貧弱です。
エンジンの馬力が低ければ、重い車体は動かせない。自ずと、砲は小さく、装甲は薄く、となります。トラックのボディに軽自動車のエンジンを積んだら使い物にならない車にしかなりません。

ところがですね、最近、元日本戦車兵の手記を読んで「あーしまった。それがあったかあ」と初めて知ったもっと切実な内情を知ったんです。
その本に、「チハの重さに耐えられずに、デリックのビームがひん曲がった」と書いてあったんです。調べてみると、陸軍が戦前に助成金を出していた大型船には25トンのデリック能力を求めていたようですが、すべての船がそれだけの性能を持っていたわけではありません。
日本はご存知の通り島国でございますので、どこへ運ぶにも一旦船に載せなければなりません。例え朝鮮半島でもね。それこそ、北海道や九州にさえ船で運ばなければならない。そうである以上、デリックの積載能力の縛りは考慮して設計しなければなりません。
だから仮にもっと高性能なエンジンが開発できたとしても、デリック能力の縛りを受けて重戦車は作れなかったのではないかと思います。

また実際問題としては、太平洋戦線では無敵のキングタイガーの如くに思われているM4シャーマン戦車もいうほど大活躍ではありませんでした。アメリカ海兵隊員の手記には、「戦車は使い物にならない」とはっきり書かれています。日本軍の対戦車砲の偽装が巧みで、「いつも戦車がやられてから対戦車砲があることに気づいた」とあります。
だから米軍戦車も常に歩兵の「護衛」がないと前進できませんでした。なんと、意外にも米軍戦車は米兵に守られながらおっかなびっくり静々歩兵の後ろから前進していたのです。
沖縄戦では、戦車中隊が歩兵の支援なしに単独突入をしましたが、なんとこれまた意外にも一方的にやられて攻撃は失敗。以降米軍は決して戦車を単独で投入することはありませんでした。
日本軍の野戦指揮官そのものが戦車の使い方がよく分からなかったというのも、チハの悲劇を重ねた部分もあったかと思います。サイパンでは、戦車隊が夜襲を命じられて全滅しています。

このあたりの経緯は光人社NF文庫の「サイパン戦車戦」に出ています。文庫本で手に入りやすいし、読みやすいので一読をお奨めしますよ。
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この回答へのお礼

詳しく回答ありがとうございました。
なるほど、、意外にシャーマンはそれほど活躍したわけではなかったのですね。

お礼日時:2014/08/11 00:58

もしドイツ陸軍が、日本陸軍に代わって大陸打通作戦を発動していたらどうなりますか?




ドイツ陸軍だったら、大陸打通作戦なんてケチなものではなく、大陸消滅作戦になってましたか?
南京大虐殺とか性奴隷とか、日本軍は占領地の至るところで住民を苦しめましたそうですが、どうせなら中国人を「劣等人種」としてホロコーストしておけばよかったと思います。何しろ中国人絶滅収容所が戦後もそのまま残ってしまうのだから、言い訳のしようがなくなり、侵略戦争の反省もしっかりしたものになり、日中関係はずっと良くなってたはずです。

「フハハハハ!笑止千万!攻撃力や防御力が何だというのだ?チハのその真の実力は機動力にあったのだ!九七式中戦車チハは中国のチンピラゴロツキ専門の殺戮マシーンとして天命を受けた。チハは大陸打通作戦で3000キロを駆け抜け、チンピラゴロツキ3500万を殺戮したのだ!!」

旧日本軍弱小列伝 九七式中戦車チハ
http://www.luzinde.com/meisaku/tanks/chi-ha.html

キングタイガーならもっと進軍できましたか? もっと大勢の中国人を殺戮できましたか?
四式戦疾風ではなくMe262が出撃してたら、シェンノートの在支14空軍は壊滅してましたか?
ウルツブルグレーダーと88ミリ高射砲があれば、防空は万全でしたか?

今からでもドイツ語を勉強してドイツ留学して、髪の毛染めてドイツ人になりすまし、こういう発言をしてみたいと思ってます。「たかが中国チンピラゴロツキの3500万なんて取るに足らん。97式中戦車チハなんて、あんなへっぽこな戦車モドキ、工業水準低いわー。わがドイツ軍のキングタイガー戦車だったら、3500万どころか5億人皆殺しにして、中国に中国人は一人も居なくなってたはずだ!
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この回答へのお礼

他のとこにあげた質問文そのまんまやないかい!
戦場や戦局無視してそんなの単純比較しても意味ないと思いますけどね。
中国大陸で使用するならキングタイガーよりチハでしょ。

例えば、80cm列車砲、グスタフとドーラ合わせて2700トン
チハ1両15トン

つまり180両のチハとグスタフ&ドーラ
・・・・中国戦線で使うならどちらが使えますかね?
どう考えてもチハのがいいですよね。

整備性や信頼性考えても広大な中国大陸攻めるならチハ1択です。

お礼日時:2014/08/10 12:23

チハ車ができたとき、実は世界有数の有力な戦車でした。

速度、装甲、無線装備、エンジンの形式など、先進国のなかでも見劣りしていません。
また、帝国陸軍は中国大陸で八九式戦車を運用して実戦経験を積んでおり、その経験に基づいた戦車兵の育成についてはまちがいなく世界一です。

当時の戦車に期待されていたことは、歩兵の援護であり、歩兵の最大の敵である機関銃陣地の沈黙、破壊です。そのため、機関銃の前に姿をさらしても破壊されず、陣地を破壊できる能力が必須でしたが、チハ車はその両方をそなえています。そもそも、戦車対戦車の戦いを想定していません。装備していたのは歩兵砲です。

八九式戦車の次の戦車をデザインすることは極自然なことですし、その結果がチハ車だったのです。で、完成したチハ車は昭和12年の世界では非常に有力な戦車でした。だから量産に入ったのは、これまた自然な流れです。問題は、チハ車の量産だけでアップアップになってしまった日本の兵器産業の体力不足そのものにありました。
日本の兵器産業の最大のウエイトを占めていたのは弾丸生産です。日本軍は慢性的に弾丸の不足した組織であり、当時の兵隊川柳に

たまに撃つ たまが無いのが たまにきず

と詠まれてしまうほど弾がない状態が続いていました。そのうえ、軍艦、航空機、戦車を作るのですから、まあ体力不足は目に見えています。

チハ車が一番働いたのは満州ではなく、想定外のマレー半島における、シンガポール攻略戦でした。当地の英国軍を撃破してシンガポール攻略を実現させたおおきな戦力でしたし、英国も対応におわれてバタバタしているので、小銃でポン、はウソでしょう。
英国はボフォース40mm高射機関砲を水平撃ちして対応し、それなりにチハ車を撃破しています。ただ、これに撃たれたらドイツ戦車も、T34以外のソ連戦車も破壊されたでしょうから、チハ車がことさら当時の水準でヤワでもないとおもいます。
また、対戦車装備のないところに戦車がきたら、チハ車であれなんであれ戦々恐々になります。

チハ車は主砲が対戦車砲ではない、歩兵砲だったので、主砲に37ミリ対戦車砲を積んでいたM3戦車や、47ミリ対戦車砲を積んでいたノモンハンで対峙したソ連BT戦車より武装で劣っていました。これは事実ですが、M3戦車は昭和15年のより新型の戦車であり、BT戦車を作ったソ連は、戦車砲に可能な限り強力な新型の大口径砲を積む方針だったので、くらべるのが気の毒だとおもいます。

チハ車は弱かったのではなく、周りの戦車が強くなったのにチハ車しかなく、ずっと使われ続けたために相対的に見て「弱くなってしまった」というのが事実です。
チハ車の次を作る体力のなかった日本の、根本的なところに原因があるので、チハ車自体に意味がないわけでも、ただただ弱かったわけでもないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
チハはシンガポールでは大活躍したのですね。
登場当時は世界有数の有力な戦車であったと。
参考になりましたありがとうございます。

お礼日時:2014/08/11 00:54

miyamiyaCO さん、こんばんは。



日本陸軍の戦車思想はただ、単に歩兵部隊の支援が任務でした。95式軽戦車とともに日中戦争まではこの戦車でどうにか間に合ったのでしょう。
しかし、太平洋戦争が始まると、対戦車戦が主任務になりました。アメリカのM3やM4では明らかに性能不足だったでしょう。設計は古いし、ただ、エンジンはディーゼルだったので、不燃性はよかったと思うのですが、いかんせん装甲が薄く、中戦車といっても、敵側の軽戦車並なわけですから…
ただ小銃で撃破するには相当至近距離からの射撃が必要かもしれません。

日本陸軍はそのことから対戦車船を意識した一式中戦車など戦車開発を急ぐようになります。

詳細は下記のURLを参照ください。
九七式中戦車
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B8%83% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
チヘとかホニですね。
でも対戦車戦闘でかなわないなら爆撃機増やした方がよかったような気がします。
鍾馗とか99襲撃機でいいじゃん、、みたいな。

お礼日時:2014/08/11 00:50

アジア諸国で戦車を国産化することができたのは日本だけですから、そういった意味ではすごい事ではあるんですが、いかんせんエンジン出力が不足でありました。


ディーゼルですので発火しにくく原則的に優れたものですが、パワー不足で機動力は低かったですね。
また装甲も貧弱で、M3軽戦車と打ち合っても確実に負けたと言われています。
まあ、さすがに正面装甲が小銃弾に貫通される事は考えにくいですが。
戦車砲もオリジナルは対歩兵専用の短身砲で対戦車能力はほぼ皆無です。
チハ改になり口径は10mm縮小しましたがその分砲の長さが増えましたので若干マシにはなりましたが、ソ連戦車などと比べるとほぼ5年程度は遅れていたというのが日本戦車だと言えます。

それならT34並みの戦車を開発・量産すればいいわけですが、当時の工作技術や資源、工業力の根底からすると量産できる戦車は「チハ」だったということです。

またノモンハンでの教訓を戦車開発に生かそうとしなかった陸軍当局の硬直した姿勢を批判する向きもありますが、戦車を一両作る資源で歩兵の装備何人分をあきらめるか、と爪に火をともす用な算段で兵力装備を計算しなければならなかった大日本帝国の国力からすると、あれ以上高価な戦車の量産もほぼ無理だったのではないかと考えます。

結局日本陸軍は貧乏だったから金がかからない歩兵中心戦術に固執し、逆にそれが自らを呪縛して近代的戦車戦に耐えられる戦車を作ることができなかったと言えましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
チハはアジア最強の戦車だったんですね。

お礼日時:2014/08/11 00:39

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