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アッツ島では守備隊が玉砕した
しかし隣のキスカでは2000の守備兵が1人も死ぬこと無く完全な撤退を完了させています

濃い霧を突いた中の撤退作戦でしたが
当時島の周りは米軍に包囲されていました
レーダーや艦に気づかれる事無く接近・接岸は何故可能だったのでしょうか?

単なる運では片付けられない様な気がします

A 回答 (5件)

アメリカのレーダーの精度が高くなかった事。



そのレーダーで、日本艦隊の虚像に向けて、射撃を続けて、弾薬が無くなり、補充の為に後退した事。

その間隙に霧が晴れて、たまたま日本軍が、滑り込む事が出来た事。

全てが、日本に上手く行った結果です。

ただ、霧の晴れ間を待った、木村少将の我慢は、評価しても良いかもしれません。

彼が最良のタイミングを作ったのだから。

ちなみに、撤収時接岸は港湾能力が無く不可能でした。

大発による艦岸の輸送です。

人命だけで、全ての装備を遺棄による、短時間撤収です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2014/08/20 18:03

> しかし隣のキスカでは2000の守備兵が1人も死ぬこと無く完全な撤退を完了させています



違いは、アッツは踏みとどまって戦ったが、キスカはアッツが落ちて撤退が決定したこと。
アッツは撤退させようという作戦すらなかったから、撤退のための輸送船が接近・接岸することもなかった。

そんだけ。
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この回答へのお礼

ありがとうご゛さいます

お礼日時:2014/08/20 18:03

azuki-7 さん、こんばんは。



軍艦を直接接岸させませんでした。大発という小型の舟艇のピストン輸送だったようです。装備はみんな捨てて着の身着のまま兵員だけだったので、一時間以内で撤収は行われたようです。なお、蛇足ですが、守備隊司令官は撤収時に装備をすべて捨ててきたので、当時の陸軍次官に大目玉をくらったのだそうです。
実はアメリカ艦隊はレーダーの調子が悪く、そのため、無駄玉を消費したため、キンケイド司令官は一時パトロール用の駆逐艦まで引き下げていたようです。


詳細は下記URLを参照ください。

キスカ島撤退作戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B9% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/08/20 18:04

・勇気と幸運のたまものです



 敵艦隊との遭遇を避けるために南西方向から直接突入せずにキスカ湾を西側から迂回して島影に沿いつつ、7月29日午後0時に艦隊はキスカ湾に突入。
りわずか55分という短時間で迅速に収容。 帰途につきました。

 実は、7月26日、濃霧の中戦艦「ミシシッピー」のレーダーが15海里の地点にエコーを捕捉。艦隊各艦からも同様の報告を得たキンケイドは直ちに艦隊にレーダー射撃を開始させ、約40分後に反応は消失。
、敵艦隊を撃滅したと確信したキンケイド提督は弾薬補給のため一時、艦隊を後退させる。この時、キンケイドはキスカ島に張り付けてあった哨戒用の駆逐艦まで率いて後退してしまった。これはレーダーの虚像だったのですが。

周辺海域からアメリカ艦隊が、一時的に、いなくなっているとは知らずに、第五艦隊の水雷戦隊はキスカ湾に突入し撤退を完了したのです。

詳しくは、映画「キスカ」を、ご覧下さい(@^^)/~~~

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/08/20 18:04

若い頃読んだまま、あらすじ、内容ほとんど忘れてしまってここで解説できなのは忸怩たるところですが、



阿川弘之著「キスカ撤退」

を読んでいただければよろしいかと思います。たしか、濃霧を利用して無事脱出できたのであったと思います。

また、キスカ守備隊は海軍の陸戦隊が主力で、陸軍がと違って海軍は創成期に英国に師事して諸々のシステムを構築していったため、英国流の合理思想が末期まで受け継がれていたこと、ゲリラ的な単独の戦闘行動をとることの多い陸軍と違って、常に上官の命令に基づいて行動する海軍との違いがあったのではないかと思います。

申し訳ありませんが、詳細を解説でき方の回答をお待ち頂くか、上記著書を読んでいただくのが良いかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/08/20 18:04

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