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私は幼い頃から父に「登山は絶対にやるな」と言われて
育ちました。「お前が登山で死ぬのは勝手だ。しかし
他の人に多大な迷惑をかける」というのが、理由でした

私は40歳で病気するまで、いろいろなスポーツは
しましたが、登山だけは誘われてもしませんでした。

冒険とかレジャーとかで登山をする人を
救助する必要がありますか。自衛隊や
消防の人たちは、仕事で懸命に救助しようと
して2次災害で死亡する可能性もあります。

2年前の辛坊次郎のヨットの救出で、自衛隊員が
命がけで助け、その費用は3000万とも言われています。
彼の件も、全く冒険というプライベートなことです。

リスクが高いことが十分に認知されているレジャーに
限っては、救助するのをやめたらどうでしょう。

極論かもしれませんが、命の危険をあらかじめ
認知している登山というものを行なうものは、死を
覚悟して昇って欲しいと思います。2次災害に合う
自衛隊員は気の毒です。

A 回答 (18件中1~10件)

登山届けも出さないで、遊び半分の登山者は、罪の深さを知るべきです。


登山届け出しても、下山は届けなかったりと、当局を混乱させています。
噴火とかでなくても、落石とか足を滑らせての転落など、登山には危険が付きものなこと、ある意味事故責任は自己責任な所があります。

娘さんヨー聞けよ 山男にゃ惚ぉれるなよー

あなたのお父さんが若かりし頃、人口に膾炙された歌です。
当時も今以上に登山ブームでした。事故も多発しました。

山は危険な場所と承知で出かけて欲しいです。
車は危険と承知していても、事故は耐えませんね。
居眠り事故だから放置しろ! という訳にも行かないでしょう。
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この回答へのお礼

最終的には「人道的配慮」という
ところに落ち着くでしょう。
私は決して全てを個人に任せる
自由主義者ではありません。

しかし2次災害で自衛官といえども
亡くなるのは絶対許せません。

お礼日時:2014/10/05 19:17

>1.生活に全く必要のないレジャーであること。


>2、あらかじめ、大きな危険が伴うことが
>わかっていること
>3.2次災害で、全く関係の無い人を
>あなたのせいで殺す可能性があること。

1は満たしていないけれど2と3は満たす場合が有り得ますね。レジャーだからほっとけ、レジャーでないから救助、メルクマールをレジャーか否かにする根拠がどうなんでしょうね?
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世の中を知らな過ぎるちつもん者・・・


旅客機が墜落すると山とは比べようも無い程の
全国規模それ以上の国際的大捜索と救助活動が行われる。

単なる顧客輸送会社の事故なのに莫大な税金を投入。
警察や自衛隊だけでなく多くの行政機構が動く。
本来は民間会社の金で行うのが的確であろう。

近代政府が掲げる義務の一つに国民防護が有る限り
政府や自治体がその一環として災害や遭難救助は当然の事。
質問への答え。

旅客機事故を救援するなら山岳遭難救助は当然至極。
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この回答へのお礼

1.旅客機は統計上200万回に1回しか
墜落しない。あらかじめリスクがある行為とは
とてもいえない。

2少なくとも日本の国内線の利用者の70%以上が
ビジネス利用である。レジャーとはとてもいえない。

かわせみ氏は全く私の意図が理解できないらしい。
どこの大学出てるのでしょうね。私は東大経済学部
ですが、なにか。

お礼日時:2014/10/04 23:10

>リスクが高いことが十分に認知されているレジャーに


>限っては、救助するのをやめたらどうでしょう。

じゃあ、海水浴場での海水浴や
浜辺の水遊び
山菜取りなんかもダメだね。

こちらのほうが登山よりよほど事故件数や
死亡件数も多い。

小さな子供が高波にさらわれて
パニックになっている親に向かって
同じようなことが言えるかね。
「危険なことが分かっているのに
そんなところで遊んでいるほうが悪い。
だから誰も子供さんを助けないよ」と

登山ってそんな危ないもんじゃないけどね。
知らない人に限って登山をするなら
死を覚悟してなどと面白いことを言う(笑)

強いて言うなら、免許も持たず、
運転技術もないのにスポーツカーに乗るから
事故を起こすから、車は危険だというようなもので。

この回答への補足

補足日時:2014/09/30 18:51
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この回答へのお礼

お礼日時:2014/10/01 03:03

マラソンで死ぬ人を救助するのは良いのですか?


海水浴でも毎年何人も死にますが?遊びに行くのに
飛行機で墜落した人は救うのでしょうか?

そもそもリスクが無いなら救助の必要は無い。
土砂崩れの救助中に二次災害で死亡した例は多い。
そんな場所に住んでいる人を救うのは間違いと言うの?

登山者の遭難を地元自治体が救助するのは経済合理性
が在るから。安心感が登山者を増やし経済に寄与する。
日帰り登山者が全てでは無いのだから・・・

素人が余計な口を出さなくても通常の遭難救助なら
想定した無料分を超えたら救助を続けるかどうかを
尋ねてきます。それでもお願いして後から民間分を

請求されたり・・・まぁ昔の事ですけどね。
登山者救助が完全無料という事は無い。
観光事業の振興のために救助は効果が有るという事。

あなたの論だと火事を出すような人は救うべきで無い
という事になる。消防も不必要・・・まぁ子供の考え。
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この回答へのお礼


私が救助の必要としない条件は3つ。
1.生活に全く必要のないレジャーであること。
2、あらかじめ、大きな危険が伴うことが
わかっていること
3.2次災害で、全く関係の無い人を
あなたのせいで殺す可能性があること。

です。特に3のファクターが大きいです。
この点を理解してください。

お礼日時:2014/10/01 03:14

「極論かもしれない」の言葉がすべてを語っていると思います。


1,レジャーとそうでない場合の区別が難しいです。例えば登山部とか教育の一環として行う場合などがあります。修学旅行などで、険しくない場所でも、道に迷うことがあります。
2,前提として隊員の二次災害を防ぐのは当然ですが、そもそも隊員は助けられる可能性があるなら助けることを躊躇しません。「気の毒」という気持ちを否定してはいませんので、そのように読んでください。
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この回答へのお礼

皆さん、どこで線引きするかが難しいと
書いていますが、日常我々は全てのことで
線引きして判断して行動していますよ。

たとえば、どこまでが犯罪でどこからが
合法かとか。こういうのも、線引きは
難しいですが、我々はちゃんと判断して
生活してきましたよ。

お礼日時:2014/09/29 21:12

"リスクが高いことが十分に認知されているレジャーに


限っては、救助するのをやめたらどうでしょう。"
  ↑
これはそれなりに説得力があると思います。

最近は、何でもカンでも、国に面倒みてもらおう、
国の責任で、云々。
自己責任という言葉が死語になっている
観があります。

ただ、救助出来るのにしない、てのは世間の顰蹙を
買いますので、そういうひとは強制保険を掛けて
からやれ、てことにするのが現実的では
ないでしょうか。
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この回答へのお礼

強制保険の考え方はいいですね。
掛け金はとても高いものになるでしょうね。

お礼日時:2014/09/29 19:21

>父に「登山は絶対にやるな」と言われて育ちました。

「お前が登山で死ぬのは勝手だ。しかし他の人に多大な迷惑をかける」と

これは立派なひとつの哲学だと思いますが、いささか偏狭な考えだとも思います。おそらくお父さんは登山で死に掛けたか、いい思い出がなかったのでしょう。

私は若いころに何度か北アルプスの山々や富士山にも登りましたが、登山は冒険心を満足させ、すばらしい経験だったと今でお思います。苦難を乗り越えて山頂を極めて絶景を眺めるときの爽快な気分は何事にも変えがたいものです。スポーツレジャーの王様だとすら思います。そういう経験をもたれなかった質問者様を不幸だと思います。お気の毒です。

人間はチャレンジ精神を失ったら進歩がなくなります。それをカバーして危険性を下げている救助対の方々は大変だと思いますが、それなりの満足感があることも確かです。彼らなりの人生観があるのです。そこに個人的偏見でかわいそうだとか突っ込むのはどうでしょうか。

貴方のご意見はお父さんによる不断の洗脳から来ているのかもですが、論理的ではなくやはり常識的ではないと思います。
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この回答へのお礼

お礼日時:2014/09/29 19:13

確かに。

。と言いたいところですが、救助をしない

と言うのも人道的にどうかと。。。。

登る時は保険でもガッチリかけて貰って、すべての費用を

請求で良いのでは?(無償分の自衛隊等も含めて)

ま~韓国人みたいに費用を踏倒して国へ逃げ帰るる糞みたいな

輩がいるので難しいですかねwww回収がwww
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ご質問は「冒険とかレジャーとかで登山をする人を救助する必要がありますか」ですか?


「リスクが高いことが十分に認知されているレジャーに限っては、救助するのをやめたらどうでしょう(か)」ですか?
登山限定でしょうか?レジャー全般に拡げるのでしょうか?

心情的には理解できます。
が、やはり極論ですよね。

言うまでも無くリスクというものは社会のあらゆる場面に存在します。
道を散歩すれば交通事故のリスクが、家の中でテレビを見ていれば地震で倒壊した家屋の下敷きになるリスクがあります。
それら日常に潜むリスクと登山の最中にいきなり噴火するのとどちらの可能性が高いのでしょうか?数字的には微妙な気がします。

あるいはリスクの程度に応じてボーダーラインを設けるのでしょうか?
プライベートとはどこからを言うのか、レジャーとはどこからを言うのか、その線引きも難しいでしょう。

富士山が噴火した場合、溶岩や火砕流や噴石による被害は富士吉田市、御殿場市、富士市、足柄上地区、小田原市などに及びます。これらの地域に居住している人も救助の要なしでしょうか?それともやはり住民は救助して、レジャーでそこを訪れている人だけ放置するのでしょうか?

今回の件でもし救助の是非を議論する材料が必要であれば、入山規制の有無ということになると思います。
入山規制があったのに無視して行ったというなら救助の要なしという議論が起こるのもやむを得ないでしょう。
ですが今回入山規制はありませんでした。
国や自治体が認める範囲において国民がレジャーを楽しんでいる中で生じた災害ですから、公的機関による救助は必然だと思いますよ。
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