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先ほど、このサイトで、「国家から市民社会へ」との文章を書かれた方がおりましたが、この言葉は氏に限らず、社民党などの議員でも似たような事をたまに言います。


そこで、8点質問があります。



【1】「市民」の定義を教えて下さい。
【2】「国民」の定義を教えて下さい。

【3】「市民社会」の定義を教えて下さい。
【4】「国民社会」の定義を教えて下さい。

【5】「市民」と「国民」の違いを教えて下さい。
【6】「市民社会」と「国民社会」の違いを教えて下さい。


【7】「国家から市民社会へ」とはどういう意味ですか。
または、どういう意味だと思いますか。

【8】現在の日本が「市民社会」ではない理由を教えて下さい。



分る回答だけで構いません。どなたでも回答願います。
宜しくお願い致します。




*この言葉を言った人の、個人批判ではありません。
この言葉を読んで質問をしようという動機が生まれたのは事実ですが、この言葉は社民党などの一部の議員が言う事もあります。(似たような意味の言葉)
よって、ある人が言った事ではありますが、広義の意味としての「国家から市民社会へ」の質問です。

A 回答 (7件)

ヘーゲルの「法の哲学」によれば、私たちの社会は「家族・市民社会・国家」という三段階を経て発展してきました。


また、現代の社会の構造として「家族・市民社会・国家」は共存しています。
ヘーゲルは家族は共同体であり、市民社会はその共同体が失われたものであり、国家は失われた共同体が高次に回復されたものだと言っています。
これを経済からいうと、家族は贈与互酬の中でも純粋贈与の形態であり、市民社会は商品交換からなる市場経済の形態であり、国家は収奪と再分配の形態です。
たとえば、.家族の中では親が子供の養育費を支出しても、ランドセルを買ったり、プレゼントしても、それをお金で返せとは言いません。
家族は共同体であり、家族の成員同士の物品のやり取りは贈与によって行われるからです。
ところがその家族の生計を維持するためには家族の成員は市民社会に出て行って働かねばなりません。
家族の全員が市民社会に出て行くと、家族は解体します。
市民社会は経済社会であり、資本制の社会です。
そこではすべてが金銭に還元され、誰もただでは働かず、また人を雇う時にただで雇うことは出来ません。
労働力は商品だからです。
そして市民社会は激烈な競争社会ですから、自分が生きるためには他人を手段として利用し、他人を蹴落とさねばなりません。
当然、共同体の精神は失われ、人間同士の友愛は失われます。
市民社会ではお互いは敵同士です。
富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなります。
市民社会は人間が人間らしい生活のできるところではありません。
そこに国家の存在理由があります。
ヘーゲルに言わせると国家は国民から税金を徴収し、それを貧しいものに再分配することで、福祉政策を通じて貧しいものを救済します。
国家は回復された共同体です。
家族と同じように国家の中では国民はみんな同胞であり、仲間です。
市民社会で失われた友愛が回復されます。
人間は国家の中でのみ、人間らしい生活ができる、というのがヘーゲルの考えです。

ここであなたの質問に答えます。
市民とは市民社会の成員のこと、それに対して国民とは国家の成員であることです。
市民社会は経済社会のことです。
現代でいえば、資本制の社会です。
国民社会という言葉はありません。
国民社会から市民社会へという発展の方向はありません。
市民社会から国民へです。
現代の日本は資本制の社会ですから、市民社会です。
市民社会でない理由はありません。
すでに市民社会です。
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この回答へのお礼

>国民社会という言葉はありません。

ご指摘有難うございます。
辞書で確認してみましたが、そのようです。


質問する前に確認すればよかった。うっかりうっかり。
ノリで「国民社会」と言う言葉の定義を聞きましたが、


「【4】「国民社会」の定義を教えて下さい。」
「【6】「市民社会」と「国民社会」の違いを教えて下さい。」


は削除します。(そんな機能はないが)
質問を編集できれば良いのですがね。


一度締め切って、再質問をしても良いのですが、質問内容の意図が通じない致命的なミスでは無さそうなので、このまま継続する事にします。

お礼日時:2014/10/17 14:06

「市民」


定義その1 都市にすむ人。
定義その2 参政権を持つ人。

通常は定義その2。
在日外国人は、定義その1では市民であるが
定義その2の市民ではない。(当該国の市民である。)

「国民」
定義その1 その国の国籍を持つ人。
定義その2 その国の構成員。
在日外国人は、(以下略。)

参考「公民」
奈良時代においては、大和朝廷への服属者。ただし奴隷は含まない。
現代においては、市民(定義その2)と同義。

「市民社会」
過去においては、国家権力の統制を受けない社会。
近代においては、個人の自由が守られている社会。

近代とは、概ね、国民が選挙権を持った時点以降。
個人の自由とは、他人の自由を侵さない範囲での自由であり、無制限の自由ではない。

「国民社会」
意味が多様すぎてよくわからない。


「市民」と「国民」の違い
市民(定義2)は、参政権を持っているが、国民は参政権を持っているとは限らない。
参政権を持っていない国民は、「臣民」。
奴隷は、人ではなくモノなので、臣民ですらない。(制度にもよるが。)

「市民社会」と「国民社会」の違い
「国民社会」の意味が多様すぎてよくわからない。


「国家から市民社会へ」
社民党とあるが、民主党?
かっこよく言えば、国家の垣根をとりはらうことを意味する。
ぶっちゃけて言えば、在日外国人にも参政権を与えることを意味する。ソレ以外の部分で垣根をとりはらうことには興味がない。

>現在の日本が「市民社会」ではない理由
その1 在日外国人が参政権を持っていないため。
その2 日本の官僚の仕事が、「上意下達」方式の残骸が残っているため。
その3 法規制があまりにも多く、自由に行動できない。たとえば自分の家を
    建てるときですら、役所に伺いを立てないとならない。
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この回答へのお礼

「【4】「国民社会」の定義を教えて下さい。」
「【6】「市民社会」と「国民社会」の違いを教えて下さい。」

は削除しました。

詳しくはNo1の返答をお読み下さい。

お礼日時:2014/10/18 10:31

人権を侵害しないでね。

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この回答へのお礼

被害妄想がある方なのかな?

誰も貴方の事を侵害したりはしません。
時として、侵害されたと思う事があるかもしれませんが、気のせいです。

ご安心下さい。

お礼日時:2014/10/18 10:30

 ★ (No.3お礼欄) 【8】現在の日本が「市民社会」ではない理由を教えて下さい。


 ★ (同上) あなたの定義によれば、現在の日本は既に「市民社会」になりますね。 / 「国家から市民社会へ」の意味が良く分りません。
 ☆ これは 市民社会の上に――《国の家》というならあたかも家の第二階のごとく――国家が乗っかっている。
 
 この二階(政府ないし政治家・官僚ら)が 実質的には国家をそして市民社会をも主導しています。
 その主導性・つまり実際の主導のあり方をめぐって 国民主権との兼ね合いにおいて 現状でよいか・それとも市民社会としての各自治体に主導性があったほうがよいかで 議論が分かれるのではないでしょうか?
 
 つまり後者の見方を持つ人びとは まだ市民社会がそのまま自由に市民社会として存在するとは見ないのでしょうね。

 
 ☆☆ (回答No.3)  つまり 抽象的な言い方になりますが もし国民主権が実現しておりこれからも守られて行くという現実があれば この国家体制は存続しましょうし 見直すところが出て来るということであるならば それに応じてしかるべき措置がおこなわれて行きましょう。社会形態の変更にまで及ぶかも知れません。


 国民の自由な話し合いをつうじて民主的に決められて行くものと思われます。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。

お礼日時:2014/10/18 10:30

【1】「市民」の定義を教えて下さい。


【2】「国民」の定義を教えて下さい。

国民というのは国家の構成員のことです。
市民というのは、社会の構成員のことです。


【3】「市民社会」の定義を教えて下さい。
【4】「国民社会」の定義を教えて下さい。
       ↑
国民社会というのは、国民による社会です。
市民社会というのは、市民による社会です。


【5】「市民」と「国民」の違いを教えて下さい。
【6】「市民社会」と「国民社会」の違いを教えて下さい。
       ↑
市民は社会の構成員であり、国民は国家の構成員です。
国家も、社会も伴に存在する場合には、ひとは、国民であり
かつ市民でもあるわけです。

市民社会とは、国家を離れて観念できる市民の
社会です。
国家が存在しなくても、社会の存在はあり得るわけです。
例えば、古代、どこでも、国家がまだ存在しない時代が
ありました。
しかし、それでも社会は存在した訳です。


【7】「国家から市民社会へ」とはどういう意味ですか。
 または、どういう意味だと思いますか。
      ↑
社会主義が発達して、共産主義に到ると、国家は不要
なものとなり消滅します。
しかし、人間集団が存在する限り、社会は存在します。
つまり、国家という制度を止めて、市民だけの制度に
しましょう、ということです。

ここまで到らなくても、国家の役割をどんどん
減らすべきだ、という主張です。
根底には、国家の存在が戦争など諸悪の根源だ、という
思想があります。


【8】現在の日本が「市民社会」ではない理由を教えて下さい。
      ↑
社会主義、共産主義者たちがいう市民社会というのは
国家など不要で、自分たちで規則を作ってやっていこう
という社会のことです。
そこには、王侯貴族も、権力者もいません。
皆が平等の立場で存在する社会があるだけになります。

又「現代の日本が」というのは、フランスの大革命を念頭において
いるのだと思われます。
社民党などは、日本の民主制は米国によって、いわば
上から与えられた民主制だ。
フランスのように、市民が自主的に立ち上がって打ち立てた
民主制ではない。
つまり、日本はフランスのような市民革命をしていない
という非難を込めているのです。
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この回答へのお礼

>社民党などは、日本の民主制は米国によって、いわば
>上から与えられた民主制だ。
>フランスのように、市民が自主的に立ち上がって打ち立てた
>民主制ではない。
>つまり、日本はフランスのような市民革命をしていない
>という非難を込めているのです。


その主張を本当に社民党がしているなら、アメリカから押し付けられた日本国憲法と言う「米国によって、いわば上から与えられた民主制」こそ、「市民革命」とやらを起こさねばならない対象だ。


しかし社民党のやっている事は全く逆で、「米国によって、いわば上から与えられた民主制」の死守しかしていない。たぶん、社民党の言っている「市民」とは、日本人の市民ではなく、外国人の市民を指しているのだろう。

お礼日時:2014/10/17 19:02

 こんにちは。




 市民社会というのは 確かにその起こりからして 商業社会です。
 一人ひとりが――商売をしていなくても―― モノの売り買いをつうじて互いに交通する(まじわる)《商人》であることを基本としています。
 つまり 確かに経済〔をことのほか土台としていとなまれる〕社会です。

 ただし その商業社会から取り残された農山漁村なるいわゆる共同体であっても 遅かれ早かれ・そして多かれ少なかれ《商人》であることを余儀なくされます。経済活動から来る必然性によります。

 したがって むかしの共同体をもふくめて広い意味での市民社会と言う場合もあります。

 それは 特には自治体がそうです。商業社会なる都市としての自治体であっても 言われているところの《家族〔なる共同体〕》がやはり含まれているからには 何が何でも経済的取引だけが支配する世の中であるとは言えないでしょうから。



 

 これだけのことで だいたいこれからの人類の歴史を展望することが出来るのではないでしょうか。


 なぜなら すでに現在においても《国民主権》だからです。

 国民とは 国家における市民をそう呼ぶだけのことです。

 ですから 単なる予測としてでもすでに《地域主権》ということが言われています。

 これは 国家としての経営がどうもうまく行かないようになってきたこととも関係するでしょうし それでなくても 自治体というのは そこに住む市民たちの総意にもとづいて行政がおこなわれること これが すでに論証の要らない公理です。(国家の次元における政治には 主権にもとづきその国家行政等をゆだねただけのことですから)。


 つまり 抽象的な言い方になりますが もし国民主権が実現しておりこれからも守られて行くという現実があれば この国家体制は存続しましょうし 見直すところが出て来るということであるならば それに応じてしかるべき措置がおこなわれて行きましょう。社会形態の変更にまで及ぶかも知れません。

 というのみで よいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

「国家から市民社会へ」と言った、本人の一人にお答え頂いて光栄です。
本人の一人ですので、広義の意味の「国家から市民社会へ」ではなく、あなた個人の「国家から市民社会へ」に対しての返答です。




>つまり 確かに経済〔をことのほか土台としていとなまれる〕社会です。
>遅かれ早かれ・そして多かれ少なかれ《商人》であることを余儀なくされます。経済活動から来る必然性に
>よります。

市民社会=経済社会。
と言う認識ですね。


あなたの定義によれば、現在の日本は既に「市民社会」になりますね。
「国家から市民社会へ」の意味が良く分りません。





【8】現在の日本が「市民社会」ではない理由を教えて下さい。

この質問に、お答え頂ければ幸いです。
「市民社会の定義」の訂正、または追加説明がありましたら、あわせて追記お願いします。

お礼日時:2014/10/17 18:05

専門用語でない日常に使われている言葉は、分野により


個人により、国により、時代により意味が変わるので、
そこを厳密に追及して何かを得る事はありません。
「市民」は一般人だし、あえて「国民」と言うなら、
国家に所属している「市民」だと言えますが、実際
我々は市民でもあり国民でもある訳だから、「市民に
なったから国民ではなくなった」などという事には
なりません。

あえてニュアンスで分けるならば、支配的な組織体制
である国家の権力によって、他律的に社会行動をとら
されている場合と、自己の生存における社会生命性を
自覚できるほど認識の深まった人間による、自律的な
社会行動(権力や法規に従うのではなく、自己の必要
としての選択)の違いでしょう。
中世~近代において、それまでの武力による統治=
封建社会から、商業の活発化により庶民が豊かになる
事で力を持ち、ルネッサンスや市民革命など、自覚的
な市民が主体の文化・政治活動が広まったケースが
それであろう。
残念ながら、そうした「市民の豊かさ」の中から、
資本家や経営者、民選政治家のような“権力者”が
現れ、また支配や管理によって組織化されるように
なってしまっているのが現状です。
(以前が武力による隷属なら、今は経済による隷属)
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この回答へのお礼

>個人により、国により、時代により意味が変わるので、
>そこを厳密に追及して何かを得る事はありません。

だからこそ、定義を確認する必要があるのです。

聞きたい事は、「【7】「国家から市民社会へ」とはどういう意味ですか。」「【8】現在の日本が「市民社会」ではない理由を教えて下さい。」ですが、ここでその人の意見をそのまま聞いても、どういう定義で「市民」「市民社会」と言う言葉を使っているのか、が分らないと意図が通じないからです。




例えば、「日本は、市民社会ではありません。市民の権利、義務を追求し、市民社会になるべきです」との意見を言った人がいたとします。

これだけでは、言っている意味が分りません。



しかしこの人の発言の「市民の定義」が仮に、「市民とは、古代ギリシャの市民権を意味し、国防に寄与する能力のものに与えるべきものが市民権である」と言う定義で「市民」と言う言葉を使っていたら、何が言いたいのかはよく分ります。そして、この人の「市民の定義」を聞くまで、この人の意図を飲み込めた人は皆無でしょう。


あなたが仰るとおり、「市民」の定義は、人によって変ります。
だからこそ、あらかじめ定義を確認する必要があるのです。

お礼日時:2014/10/17 17:05

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