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ラプラスは、因果関係を完全把握した存在を「知性 intelligence」と呼び、アインシュタインは、サイコロを振らない存在を「古い者 der Alte」と表現しました。

一般には質問タイトルのやうな表現がなされます。「悪魔」と「神」の違ひがでるのはなぜですか。


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「ある知性が、与えられた時点において、自然を動かしているすべての力と自然を構成しているすべての存在物の各々の状況を知っているとし、さらにこれらの与えられた情報を分析する能力をもっているとしたならば、この知性は、同一の方程式のもとに宇宙のなかの最も大きな物体の運動も、また最も軽い原子の運動をも包摂せしめるであろう。この知性にとって不確かなものは何一つないであろうし、その目には未来も過去も同様に現存することであろう。」

(ラプラス『確率の哲学的試論』内井惣七訳 岩波文庫10ページ)

http://www.microsofttranslator.com/bv.aspx?from= …

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「神はサイコロを振らない」 下記脚注3。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB% …

A 回答 (3件)

 悪魔は完璧な存在ではないからですよ。

ラプラスの悪魔は、自分以外についての全宇宙の無限の過去から、無限の未来までを知っていはいます。しかし、そこまでです。

 ラプラスの悪魔に対し、「お前を含めて全宇宙が分かるか?」と問うたとすると、ラプラスの悪魔は己についても記述する必要がでてきます。己に関する知識も(知性機械論に従うとして)宇宙に含まれる粒子の配置と速度によるものです。自己言及の罠にはまり、延々と終わりない記述を続けなければならなくなります。

 制限を緩めてラプラスの悪魔自身以外についてでよいことにしても、知っているだけという状況でしかありません。全能ではない。仮にその知識を元に何かするとしても、ラプラスの悪魔も結局は決定論の中の存在でしかありません。ラプラスの悪魔が全てを知っているという状況も、その知識を元に何かするとしても、宇宙が誕生した瞬間に決定されていることに変わりはありません。要は、宇宙の全てを知るラプラスの悪魔とて、宇宙の制限内にいる存在ということです。

 一方、アインシュタインなどが言った「神」は、単に能力が人間以上といったものではなく、全知全能です。この宇宙で起こる全てのことは、全知全能の存在が起こしている、あるいは宇宙の誕生から終焉まで、どういう宇宙にするか宇宙誕生以前に神が設計して仕組んである。仮にラプラスの悪魔が宇宙に生まれたとしても、そうなるように宇宙を仕込んだのは神の仕業。そういうことができる、宇宙の制限外にいる存在ということです。そんな存在が、サイコロ(=確率)なんかに頼らないでしょ、とアインシュタインは考えたわけです。

P.S.

 とはいえ、物理学で「神」などと言いだすときは、しばしば「どうやったって分からん」という意味だったりします。宇宙の始まり「ビッグバン」だと、どうしてそんなことが起こったのかと問われると、「まあ、神の一撃だ」と答えたりします。その意味は、ビッグバン以前は、時間も空間もないので、物理学ではどうしようもない、ということです(が、ホーキング博士などは、複素時間で考えてビッグバン以前を説明しようと奮闘していたりする)。

この回答への補足

ベストアンサーは一番回答をしていただいたDio_Genesさんとします。私は小心者ですので、様子を見てから回答することが多く、質問投稿後にすぐに回答してくださる方には敬意をもちます。

学問の世界に「正解」があるとは思つてゐませんし、私の頭できちんとしたベストアンサーを決めることなど不可能です。正直なところ、ベストアンサーのシステムは廃止すべきだと考へてゐます。お礼欄だけで充分です。

doc_somdayさん、ZX4さんも貴重な御意見をありがたうございました。

補足日時:2014/11/09 16:48
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この回答へのお礼

こんにちは。お名前はしばしば目にして、いつも感服してをります。

類似した事項なのに、「神」と「悪魔」の区別があるのがずつと気になつてゐました。回答文を拝見すると、やはりそれなりに相違があるのですね。

>>制限を緩めてラプラスの悪魔自身以外についてでよいことにしても、
>>知っているだけという状況でしかありません。

「自己言及」の循環については、以前哲学カテゴリで扱はれました。頭の体操のためには良い材料です。

ラプラスの悪魔のほうは、「知っているだけ」なのですね。たしかにラプラス自身がそのやうに記述してゐます。ごもつともです。

>>アインシュタインなどが言った「神」は、
>>単に能力が人間以上といったものではなく、全知全能です。

こちらは「全知」だけでなく「全能」なのですね。だから「神」なのですか。

「宇宙の制限」の内と外といふ説明にも納得がいきました。

御回答ありがたうございました。

お礼日時:2014/11/08 15:18

別に神や悪魔と言う言葉の違いに意味は無いと思いますよ。

ラプラス、アインシュタインともに数学者、物理学者であり、ある命題を説明する為に『人知を超えた存在』として神や悪魔になぞらえているに過ぎません。
他にも有名所に『マクスウェルの悪魔』や『シュレーディンガーの猫』などがありますが、別に悪魔が神であろうが、猫が犬であろうが問題は無いのです。

ざっと説明しますがラプラスはナポレオン時代の人物で、数学者として偉大な足跡を残した人です。
彼は数学者であると同時に政治家でもあり、ラプラス変換やラプラス方程式などは現在でも使われています。

ラプラスはニュートン物理学の信奉者であり、仮に膨大かつ複雑な計算をも一瞬で解いてしまう存在があれば、人がいつ生まれどう死ぬか、世界情勢の行く末すら計算によって完全に解析できると考えました。つまり人の人生は生まれた時にはすでに確定している。これがラプラスの悪魔と言う考え方で、一種の運命論、確定論的な考え方です。

しかし、ボールを同じ加速度で投げた場合、ニュートン物理学の考えでは必ず同じ地点に落下するはずですが、実際には不確定の要素によってバラ付きが出る。例えばたまたま飛んできた鳥にボールが当たるかも知れない。

非常に乱暴に説明すれば量子論とはこう言う非確定論的な考え方で、19世紀頃から各国物理学者の間であれこれ論議されました。『シュレーディンガーの猫』も不確定要素は常に存在し、観測者(物理学者)は結果が出るまでこれを予測できない、と言う量子論の基本的な考え方が示されています。

この結果は予測不能である、と言う意見に反対したのがアインシュタインの『神は賽を投げない』と言う言葉ですね。神ほどの存在であれば投げる前にどの目が出るかが解る、つまり不確定要素を計算して必ずこうなる、と言った結果を得る事が可能である、と言ったものです。

結果的にアインシュタインのこの説は否定され、予測不能の変数が常に存在する事が証明されました。
まあ仔細に拘らず、過去の数学者たちの考え方を楽しんだ方が良いと思いますよ。
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この回答へのお礼

はじめまして。アホ質問におつきあひくださり、ありがたうございます。

>>まあ仔細に拘らず、過去の数学者たちの考え方を楽しんだ方が良いと思いますよ。

私の主たる関心事が「言語と人間」なものですから、理系の問題でも、かういふことにばかり目が奪はれます。理系専門のかたがたには申し訳ないことだと認識してをります。

>>別に神や悪魔と言う言葉の違いに意味は無いと思いますよ。

特に意味はないのですか。ないといへば、ないやうな。

>>猫が犬であろうが問題は無いのです。

犬が血統書つきのポメラニアンでも、同じなのですか。

>>ラプラスはニュートン物理学の信奉者であり、
>>仮に膨大かつ複雑な計算をも一瞬で解いてしまう存在があれば、
>>人がいつ生まれどう死ぬか、世界情勢の行く末すら
>>計算によって完全に解析できると考えました。

素粒子のふるまひなどと言ふまでもなく、決定論の行き過ぎのやうに思へます。

>>観測者(物理学者)は結果が出るまでこれを予測できない、
>>と言う量子論の基本的な考え方が示されています。

私のやうな素人には、逆に不確定性の行き過ぎではないかと感じます。素粒子の世界に適用される理論が、マクロの世界にどれほど通用するのか、疑問に思つてゐます。アインシュタインの反論も、完全否定されてしまつたのか、ある意味正論なのか、わからないでゐます。

今後も御教示たまはりたく存じます。御回答ありがたうございました。

お礼日時:2014/11/08 18:59

これって「ハイゼンベルクの不確定性理論」ですが、ラプラスの方は「完全に否定されています」それは


アインシュタインの考えた「量子論のうしろの実在」とは無関係になります。

ラプラスの方を厳密に否定する能力が無いのですが、簡単にしてしまうと「バタフライ効果」に行き着き
「実在の」「揺らぎ」はラプラスの「前提」を「くつがえす」と理解した方が良いのかも知れません。
早い話、「前提」は「測定の精度」の揺らぎから「逃れられず」、言葉のあそびになってしまう。

アインシュタインの「量子論の背後にある実在」はシュレーディンガーも「例の猫」で「否定したつもり」
でアインシュタインは「大喜びしましたが」マクロとミクロ、そして「観測者問題」を解決しないと
精密な議論が出来ず、リチャード・ファインマンは「無意味な議論」と見做しました。

専門家ではないので「厳密ではありません」、反論の登場を期待します。
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この回答へのお礼

あちこちで独創的な投稿を拝見して、感銘を受けてをります。独創的といふ評価は失礼なのかもしれません。純粋に正統的な見解と申し上げるべきでせうか。少なくとも、私にとりましては、きはめて説得力のある御意見です。

先日の化学カテゴリでの質問には、私はおつきあひするだけの能力がございませんので、みなさんの文章を拝見して、投票ボタンを最大限クリックしておきました。

量子論をすべての基底としてしまふと、なにもかも「不確定」になつてしまひ、猫の生死のやうに結論がでなくなります。(まだ未解決なのでせうか。)量子論そのものが「不確定」で信用できない理論なのではないか。回答番号1の方がご指摘になつてゐますが、自己言及による循環です。くだらないことばかり書いてすみません。

>>ラプラスの方を厳密に否定する能力が無いのですが、簡単にしてしまうと「バタフライ効果」に行き着き

荘子が胡蝶に変身すれば、世の中、少しは変化が起きるかもしれませんが、蝶蝶がはばたいたくらゐで世界が変るとも思へません。量子論を持ち出すまでもなく、ラプラスの決定論は行き過ぎではないでせうか。少なくとも感覚的には。

>>アインシュタインの「量子論の背後にある実在」は
>>シュレーディンガーも「例の猫」で「否定したつもり」でアインシュタインは「大喜びしましたが」
>>マクロとミクロ、そして「観測者問題」を解決しないと精密な議論が出来ず、
>>リチャード・ファインマンは「無意味な議論」と見做しました。

量子論についての議論は、科学を越えた哲学的な見解になり、本を読めば読むほどわからなくなつてきます。(たいして読んでゐませんけれど。)猫の命にせよ、サイコロの遊びにせよ、はつきりした結論は出てゐないといふことなのでせうか。

さういへばファインマンはdoc_somdayさんに似たところがあります。

素人の疑問に御回答いただき、ありがたうございました。

お礼日時:2014/11/08 16:03

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