A 回答 (9件)
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No.9
- 回答日時:
No.1です。
返答がないかもしれないので、追加です。
>人の究極の目標は、煩悩による繋縛から解き放たれ、
>全ての執着を離れる・・・
解き放たれるのは、自分との和解を進めて行った結果であり
和解するから、執着からは自然と離れて行けます。
和解することで心は平穏になり、一過性の情動的なパワーでは無く
継続的な持続力のある芯の強いパワーを手にします。
和解による平穏は、心が円満になって行きますから
そうでなければ、方向の見直しが必要かと思います。
39803さんが、行きたい方へ行けるよう応援しています。
和解とは赦すという概念とはまた違うものなのでしょうか。
必然を必然として受け入れ、平穏を保つように努める自身の姿勢なのかもしれませんね。
ご回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
もう一投します。
★ 苦悩や迷いから得る活力と、心の平穏のバランス
☆ というのは ゴータマ氏が言ったから 引き出されるものではなく マハーヤーナ―・ブディストたちが説いたから その活力やバランス力が人間にそなわったし引き出されるというものでもない。
もともと いろんなチカラも ありうべき知恵も人間にそなわっています。
ブラフマ二ズムにあっても その知恵・そのチカラを発揮できるようにしようとつとめました。
つまりは じんるいという人間で少し考えることをおこなう者なら そんなことは分かるはずです。
ゴータマくんは 出しゃばり過ぎます。
後世のブディストは ゴータマ野郎を神格化しすぎです。阿呆に倣って阿呆になってりゃ しょうがない。
自性清浄心は もともと そなわっているんだ。これで終わりです。
シッダールタくんは 早くお釈迦にしてしまってください。
No.7
- 回答日時:
こんばんは 39803さん
ゴータマ・ブッダさんペテン師だと批判されているようですが、これが人間にはとても重要なことなんですよ。
「病は気から」というでしょう、
明日にも病気で死にそうな人がいるとしたら、私は病気だから助からない、体も痛いし、頭もおかしいと思ったら、気分も滅入るし、食欲も無くなります。
そこで、身体の痛みも和らぎ、励ましてくれる人達がいたらどうでしょう。食欲も湧き、病気も治って元気になれるかもしれないと思い、残りの人生に希望も持てます。
実際、希望を持てば長生きできます。たとえ、誰もがお前はもう駄目だと言ったとしてもです。ブッダさんの口述による教えは、様々な身体と心の痛みを和らげる方法だと思います。呼吸法や音楽もその一つだと思います。
貴方なら、孤独に寂しく死んで逝くのと、どんな状況でも希望を持って生きようとするのとのどちらを選びますか?
わずかでも希望があるのであれば、と思う気持ちを執着や煩悩というのであれば、
それは必要な事だと思います。
ご回答有難うございました。
No.6
- 回答日時:
こんにちは。
まず、煩悩には、我々の存在そのものに由来するものと知的なものとの2種類があります。前者を煩悩障、後者を所知障と呼びます。
で、
性欲・食欲のようなものは煩悩障、知的な迷いが所知障だと思ってください。
煩悩障と所知障は、まったく無縁なものではなく、両者は複雑に絡み合っているのですけれど、
あえて極論すれば、
煩悩障は先天的なものであり、所知障はまぁ後天的なものです。
煩悩障は上述の通り先天的なものであり、人間という存在と深く関わっています。
ですから、人は人という存在であり続けるかぎり煩悩障から無縁にはなりえません。
では、
歴史上存在したとされるゴーダマさんがブッダ・覚者になったとき、煩悩障がなくなったのか?
仏教の教義上、ゴーダマさんはブッダになったとしても人間ですから、煩悩障が完全に消えてなくなるということはありません。
煩悩障がなくなると、存在が存在でなくなり、この世からきれいさっぱり消えてなくなってしまいすから。
例えていいますと、
煩悩は薪などの燃料で、炎がヒトという存在。燃料がなくなると、
炎は消えてしまうでしょう。
イメージ的にはこんな感じ。
ゴータマさんは消えてなくなっていないから、
煩悩障は依然として残っている、
少なくとも「燃えカス程度は残っている」と考えるべきなんですよ。
ただ「燃えカス」で、残り火も僅かなので、これによって悩まされることはない。
「悩まされることはない」と書きましたけれど、仏典を読むと、ゴータマさんは、実際、色々なことで悩まされています。
死の間際には、赤痢または食中毒になり、
「体が痛い」
「俺が死ぬのは、アーナンダ、お前のせいだ。一体、どうしてくれるんだ」
などの不満をタラタラと述べております。
食中毒は仏教でいう四苦の一つ《病苦》であり、人間である以上、ゴータマさんもこれを免れることができない。年もとり体の自由が利かなくなるので、《老(苦)》からも免れない。さらに死んじゃうので《死(苦)》からも免れていない。
仏教の開祖であるゴータマさんをもってしてもこのような状態。
まして、ただの人間があらゆる苦、あらゆる不自由から解脱されるはずがない。
☆人の究極の目標は、煩悩による繋縛から解き放たれ、全ての執着を離れることで、苦悩の世界から悟りの世界へ解脱する
◇No.4のブラゲロさんが仰るようにゴータマさんのペテンです(笑)。
ゴータマさんは、途中で、意味のすり替えをしているんですよ。
現実に存在している苦悩を精神次元で解決している、解消しようとしている、と言った方がいいのかもしれませんね。
日本では小乗と貶称される仏教の古の学者先生・アビダルマの論師さんたちは、
「成道後のブッダにも煩悩は残っているよ。ただ、それに煩わされていないんだわさ」
とアッサリこの事実を認める。
そして、
「涅槃には《有依涅槃》・《無依涅槃》の二つがあり…」
と難しい理屈をこね始めます。
☆若かりし頃よりはだいぶ涅槃に近づいた気がするのですが、近づけば近づくほど、どうもそうじゃない感が強くなるのです。
◇「知れば知るほど嫌いになる国・韓国」ではなくて、
「知れば知るほど、自分が遠ざかているように感じられる《悟り》」
です。
《悟り》なる言葉は、泣いている子を黙らせるための飴玉のようなものです。《方便》に過ぎません。
そして、飴玉を食べてまた子供が泣き出したら、別の飴玉・《方便》を差し出す。
この永遠の繰り返し…。
そうしてもなお残り続ける《煩悩障》・《所知障》!!
そして、菩薩(大乗をやる人)は、
たとえ、自身が成仏できるとしても、
自分が成仏して消えてなくならないように《煩悩障》を常に残しておかなければならないのであった。
菩薩は、成仏してはいけないんですよ。
知っていました?
☆苦悩や迷いから得る活力と、心の平穏のバランスについて、何か良いアドバイスがあれば教えて下さい。
◇《煩悩即涅槃》を地でゆく密教、たとえば真言宗に宗旨替えするとか。
「煩悩の何処が悪い。煩悩は大変結構なものですよ。煩悩があるからヒトは人を助け、社会はうまく回るんです。煩悩が悪いんじゃなく、小さな自分・《小我》に捕らわれるのが悪いんですよ。他人と自分を分け隔てするそんな小さな自分をぶっ壊し、そうした分け隔てをすべて取り払った大きな我・《大我》になり、自身に宿る本来清浄の煩悩を積極活用することこそが悟り・大いなる楽であり、これこそ菩薩の行いだ」
みたいに考えるとか。
こういうのを《大楽》思想と申します。
人助けをするために、お金をいっぱい稼ぎ、そして稼いだお金でせっせと人助けをする。
大変に結構なことじゃないですか。
ではでは。
煩悩の大きさに比例して菩提心(そんなにたいそうなものではありませんが)が
同じ大きさの曲線を描いていたのに、歳を重ねるごとにその曲線の
振れが小さくなっていく事に違和感を感じておりました。
ご回答有難うございました。
No.5
- 回答日時:
解脱したら苦しみもないんだから共利共生関係が上手く行ってるはずですよね。
どんな人からも才能や美点を見出し引き出すような魔法のような才能があるはずだと思ってます。
原石を磨いて宝石に変える教育者になれる人だと思います。
教育という言葉の意味はギリシャ語の「才能を引き出す」から来ていて、
知識を与えるではないんですよね。才能を引き出すなんですよね。
なので周りが皆キラキラして、世界が慌しくとも全てから癒されてくるだろう。
という印象があります。
活力にもなるし誰もが現実を愛させるようにと「笑いを提供できる人」は尊敬ですね。
私などたいしたことありませんが、あることで癒される日々なので回答しました。
いつ何時煩悩が復活するやもしれませんけど。
No.4
- 回答日時:
こんにちは。
良いアドバイス。なら
ゴータマ氏は 阿呆でペテン師だと知ることでしょうね。
煩悩や苦からの解放が成ったと言い この上なくとうとい知恵のさとりを得たとみづから宣言しましたが あとでは それらのオシエはみな 大化城――蜃気楼のごとき言葉のお城――であったと明かしています。
この世は 思うようにならないという《苦》である ただし目覚めた(ブッダ)ならば 自由自在である。こう教えたのは 人びとの生活があまりにも苦しそうなので 一芝居打ってみたんぢゃわいと明かしました。
苦し紛れに弁明するペテン師であり それでもなお オシエを説き続けた――もう寿命だというときには弟子のアーナンダの所為でそれ以上は延命することが出来なくなったとボヤキにボヤキまくりつつもなお オシエを以前と同じように説き続けた――けっきょく阿呆であった。
と知ると このゴータマ・マジックなる詐欺から自由になります。
どうしても悟りとか解脱とか魅力的な響きに聞こえてしまいますね。
特に迷った時には。
そういう意味では、彼は有能な詐欺師だったのかもしれませんね。
ご回答有難うございました。
No.3
- 回答日時:
すべての執着を離れるというと、何から何まで離れなければならないように受け取ってしまうと思います。
しかし離れるべきは、余計なものであり、成道に向けて大切な物事は離れるべきではありません。例えば、自分自身は決して捨て去ってはならないと説かれます。また、心の平穏は、本当のやさしさと静けさによってもたらされることです。独りよがりにならず、人の気持ちを汲み察し、しかしその知り得たことに囚われず、それによって人も自分も傷つけないことを旨とし、執着を生じ得ない正しい人間関係を構築すべきことが説かれます。
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