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江戸時代は天保の飢饉などありましたが、近代以降で食料に困ったというのは戦時中くらいしか聞いたことありません。
つまり、明治以降に農業も近代化していったのだと思いますが、それはどのような流れであったのでしょうか?
いきなり農薬・農業機械・品種改良などが発展したとは思えませんが。

A 回答 (5件)

基本は 施肥です。



https://www.jstage.jst.go.jp/article/arfe1965/10 …

明 治20年 代は10年 代に比べてほぼ15~30%の 増加となってい る.こ の増収 は主に肥料 による効果 と考 えられ る.

この期にあ っては, 土地および農具の改良, 育種, 輪作, 労働様式 に著 しい発展がみ られなか った こと. 松木氏は明治初年か ら昭和30年 までの水稲 の増収要因 として肥料によ る効果78.5%と 計測してい る (松 木五楼著 『綜合肥料学』p.7) こと.以上 の二点か ら, 明治前期にあって も肥料による増収効果が著 しい とい うことがで きる.


上記より引用
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この回答へのお礼

肥料でそれほど変わるとは驚きです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/14 19:41

やはり化学肥料と呼ばれる物の普及でしょう。



土に種を撒けば植物は育つ、と普通の人は思っているのですが、実はこれが結構大間違いなのです。植物が育つには窒素が必要なのですが、困ったことに大気中にある窒素を直接に植物は使うことが出来ないのです。なのでバクテリアが処理してアンモニアだったかに替えて初めて植物は窒素を使うことができ、そうしてはじめて植物が育つのです。
逆の言い方をするなら、バクテリアが作る窒素化合物以上に植物は育たないということです。

戦時中にそれをバクテリアの代わりに化学合成することが出来るようになったのですが、それが化学肥料です。これでようやくバクテリアの縛りなく植物を育てることが出来るようになり、食料の収穫量が格段に上がりました。
インドなども大人口を抱えていますが、緑の革命と呼ばれることをして、自足率を100%近くに上げていたはずです。
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この回答へのお礼

>大気中にある窒素を直接に植物は使うことが出来ない
>インドなども(中略)自足率を100%近くに上げて
いろいろと初耳でした。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/14 19:44

江戸時代の飢饉の根本的な原因は、全国的な流通網がなかったことと米中心の経済であったことにあります。

それが解消した明治になって、米の流通が滞りなく行われたので、飢饉が減ったように見受けられます。飢饉の多くは人災とも言えます。
江戸時代は各藩ごとに政策が異なり、失政があるともろに藩の住民に影響が与えられます。米は備蓄できることが最大の利点ですが、そのため商人や藩がため込んで住民に回らないという事態が頻発します。流通が抑えられれば抑えられるほど米価は値上がるので、飢饉ほどそれが発揮されます。だから怒った住民が打ちこわしをするんです。つまり、あるところにはあるということです。
吉宗のように藩主の際に、平時にしっかり倹約備蓄して飢饉時に他藩に高く売って財政難を切り抜けるということも藩ごとに垣根があったからこそできました。ちなみに吉宗はそれを将軍時代にもやったので、倹約(消費を抑え)させても国としては鎖国中で米がよそに売れないので、逆に経済がひっ迫しました。
なので、農業が近代化した、というよりも経済が近代化したからと言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>農業が近代化した、というよりも経済が近代化した
大変興味深いです。
そしてやはり流通が大きな理由なのですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/14 19:38

明治維新以後、廃藩置県で流通が発達。

特に海上輸送が発達した結果、西日本の米を東北に融通できるようになり、飢饉の状況がやや改善。
 肉食文化の普及により、畜産業の発達。稲作メインからその分、選択肢が多くなりました。

化学肥料は、本田宗一郎氏が子供の頃の体験としてエッセイに記してますから、本格的な普及は、そのごろ、戦後でしょうね。

農業機械の普及は、戦後の農地解放以後。いままでのように、小作農家に重労働を強いることができなくなったので。
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この回答へのお礼

流通と肉食文化ですか。
なるほどです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/14 19:37

明治以降も散発的に東北を中心に飢饉(凶作)は発生していたようです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C% …

近年でも、1993年の凶作は記憶に残るところです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1 …

品種改良については、
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1111/spe1_01.html
「人工交配の育種法によって日本で初めて作られた品種が大正10年、秋田県の国立農事試験場陸羽(りくう)支場で育成された「陸羽132号」です。この品種は寒さに強く、当時の東北地方で広く栽培されました。農学校で教鞭をとっていた詩人宮沢賢治も「陸羽132号」の普及に努めたといわれています。」

あと地球の温暖化も影響しているのでしょう。
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この回答へのお礼

近代以降で飢饉があったとは初耳で驚きです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/14 19:35

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