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1874年の台湾出兵では、不満を持っていた士族がたたかったのでしょうか?

A 回答 (3件)

元武士の失業対策も兼ねてたみたいですね。


戦争中は、食べるものに不自由しない。
もし手柄をたてたら、立身出世。
その程度での参加でしょう。
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台湾出兵は、大久保利通が政府の主導権を握り、木戸孝允(一時下野、長州に帰る)の反対を押し切り、


大隈重信参議が政府の責任者、陸軍中将西郷従道を軍の指揮官として行われた。
台湾に向かった二個大隊の内、一個大隊は徴兵された正規軍鎮台兵一個大隊、
もう一個大隊は、新たに九州などで募集編成された士族が多い「植民兵」一個大隊
であった。
 (植民兵 は清国が無責任な態度を変えなければ、台湾を占領後、永住支配に
あたると、された。)

マラリヤなどで多大な犠牲をはらったが、清国が出兵を義挙とみなし、
賠償金を払い、謝罪したので、勝者として凱旋した。

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wikipediaによると不満を持った士族というのは、ここでは40万人から50万人と表記されています。

ただ派兵されたのは数千人と書いてありこれでは、解消とは程遠い数字ですので矛盾します。
もう一つ書いてあることは、派兵は植民兵としてと書いてありますので、植民地化を前提としていたようです。実際その後台湾は日本領となりますので、おそらく列強にならって早期に植民地化を狙った西郷の独断で出兵していて、不満を持った士族とは関係がないでしょうね。政府もしかたなく派兵を追認と書かれています。
矛盾をしているのは、参考文献の差のようです。前半は戦後の洗脳教育全盛の原口清(1922年生まれ)が書いている文献からで、後半はだいぶ偏見を自力で取れる程度の世代の鈴木淳(1962年生まれ)の文献からとなっています。
戦後すぐの教育はマルクス史観唯物史観ですから、必ず下が不満を持っている前提で話を作り上げていますので、その影響でしょうね。
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