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授業で松尾芭蕉が書いた「夏草」をやっています。次の授業で、芭蕉は何を求めて旅をしたのかについてこたえなえればなりません。自分でも一生懸命考えてみましたがよくわからないので解答例を教えてください。

A 回答 (1件)

出発年である元禄二年は、歌人西行の没後、ちょうど5百年目の年でした。


西行に深く傾倒していた芭蕉は、この先人の歌枕( 和歌に多く詠み込まれる名所・旧跡。)を尋ねてみたいとかねがね思っていたようで、これが表面的な目的とされているようです。
ただ、「芭蕉はどんな旅をしたのか」の著者、金森敦子氏によれば、それは、単なるきっかけに過ぎなかったということらしい。
西行には、
「都にて月をあはれと思ひしは 歌にもあらぬすさびなりけり」
という歌があります。
「都で月をおもむき深いものだと思って見ていたのは、とるに足らない慰みごとでしかなかった。都から遠く離れて月を眺めてみると、初めて心にしみてくる思いがする(金森敦子氏訳)」という意味。
華美や慢心による精神の荒廃に思いを致す内容だろうと思います。
芭蕉は当時、すでに名声を博していて、多くの門人から尊敬されつつ都で優雅な生活を送ることもできたわけですが、このままでは俳諧の本質から外れてしまう、と感じたのでしょう。
それまでも数度、長期の旅はしていたのですが、あえて道の整備されていない奥州路を選んだのは、その意味も大きかったのではないか、と金森氏は言います。
世俗を逃れ、辺境の地に自らを投げ込むことで、新しい俳句の境地が開けるのではないか。
そうしたことを求めて旅を始めたのかもしれません。

参考文献:「芭蕉はどんな旅をしたのか」金森敦子 晶文社
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この回答へのお礼

助かりました

ありがとうございます

お礼日時:2015/06/15 00:20

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