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今日、非常にショッキングなことになってしまったのですが、白村江の戦いが終えてから倭国はどうなっていたのか?唐・新羅連合軍は百済を滅ぼし、倭国も滅ぼされたのか、と思いきや…。終戦後に新羅帝王の金良琳が現在の奈良県に平城京を築き上げ、倭国から日本に改名したとショッキングなニュースでした。そして藤原氏の本当のルーツまでも明らかになりました。実は唐(藤)の源(原)から渡来して来た、という意味を込めていたことから、藤原氏の本当のルーツが唐王朝であることが明らかになりました。つまり、初期日本は唐の属国だったに違いないのですよね?八幡神は新羅の神様なのは間違いないのですが、稲荷神は秦氏の氏神では無く藤原氏の氏神なのが正解なのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 天皇の由来が新羅の帝王だった金良琳が決めた名で、帝王を訛って今の天皇にしたという事になっているそうです。日本の由来がボリネア語の『シラヒース』で「日の出るところ」からきた言葉だそうです。
    この結果、日本人のルーツは唐人・新羅人と倭人の混血民族だったという事になりますけど、どうでしょうか?

      補足日時:2015/07/06 23:13

A 回答 (2件)

とりあえず悪酔いを覚ますこと

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唐建国…………618年


中臣鎌足誕生…614年

あれ?
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