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戦時中・戦後の配給制について質問です。

亡くなった祖母・曾祖母に聞いた話です。
香川県小豆島の農村の人たちです。農家なので当然、米や農作物を作っていました。
戦時中・戦後しばらくは生活物資のほとんどが配給制で賄われていたと聞きました。
特に戦時中はとにかく物がないので、「芋のツル」まで食べていたといい、農村とはいえ栄養失調の人もかなりいたと言っていました。

そこで以下が質問になります。
1、都会や農村、地域などで配給物資は違ったと思いますが、一般的に配給制で配給される物には具体的にどのようなものがあったのでしょうか?
2、配給制自体は、いつ頃に始まり、いつ頃に終わったのでしょうか?
3、配給制について、詳しく述べてある書籍や資料、過去のテレビ番組などがありましたらご教示下さい。

余談ですが、曾祖母の話では、街から「どうかお願いです。この着物と食べ物を交換して下さい」と来る人がいた。大体の相場みたいなものはあったが、曾祖母は自分も食べる物が無いけど相場よりも多めの米を渡して精一杯の事をしていたらしいです。あと供出という制度もあって、農家で米を作ってもそのほとんどを国に差し出さねばならなかったと言っていました。

難しい質問だと思いますが、ご存知の方がおられましたらご教示のほど、よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

日本では、国家総動員法により1938年~1946年まで、 米コメに関しては、1982年まで配給制でした。



1.米、野菜、塩、砂糖、魚、肉、etc,
2.1938~1946年
3.
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%8D%E7%B5%A6 …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6 …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても参考になりました。
私の購入した書籍では、地域によるのかなぜか記述がバラバラだったので、今回質問させて頂きました。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2015/08/14 11:48

亡くなった母の話では実家が農家で、規定量を収め残りの米を薩摩芋などを入れない白米だけで食べていました。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2015/08/14 11:51

戦後最大の危機、食糧難、徴兵で、バランスを崩した結果ですね。

栄養不足分が、カップヌードルをつくりました。愚民の防御体制が崩れ武士がい無いと防御出来ない次期でしたかね。欧米の攻めのローマ戦も学習していれば、予想出来ますが、あまりに無防備な、明治期良いようにやられたきがします。意識操作で無防備にしますね。下界人を使う戦法にやられましたね。金貸しは、意識操作が得意ですからね。学習には、失敗は、つきものです。修行結果なのでしょう。次は、対策を充分に2度とこの人災を繰り返さない事が重要です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2015/08/14 11:50

いつまでなんでょうね・・


過日 夫の実家から配給手帳が出て来たのですが
戦後どころかそれよりもかなり経っていました
お米だったかな
ちょっと片田舎かも
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても参考になりました。
「配給手帳」とは初耳ですね。
自分なりに調べてみたいと思います。

お礼日時:2015/08/14 11:49

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