プロが教えるわが家の防犯対策術!

わりかし負け惜しみめいた印象のある発言ではありますが、
「社会に出たら、学校の勉強なんて、役にたたないことばかり」
という言葉がありますよね。

この発言への反論をお聞かせください。

特に「漢文」とか、やり玉にあげられがちな授業を例にしていただけると、嬉しいです。

質問者からの補足コメント

  • みなさまの意見、大変参考になりました。
    ありがとうございました。

    ベストアンサーですが、
    “最低限、必要なものだけでイイ”ということになると
    どのように“生き方が狭まってしまう”か、
    という風に考えるという点で得心がいきましたので
    「fnfnnis3」様にさせていただきました。

    長文の引用をいただきました「booter」様も
    ありがとうございます。
    お手数をおかけしました。

    繰り返しになりますが、皆様、大変参考になりました。

      補足日時:2015/09/17 10:47

A 回答 (6件)

そういう人は役に立たないのではなく、役に立つ仕事についてないだけ。


つまり、頭数いれば誰でもいい仕事とか。。。。っていうのが一つ。
もう一つは、漢文?それを教養と言うのです。人間の厚みを増します。
理系の科目が不要と言う人は、物事を論理的に考えらる思考回路の価値を
認めてないだけです。

生活できるかできないかと言う基準で考えたら、趣味なんて要らないですね。
住宅だって、一人暮らしなら6畳1部屋あれば充分ですね。
でも10畳くらいあって次の間付きだとゆったりします。
食事はどうですか?エネルギーだけあれば後は無駄ですか?
摂ってる本人は気が付いて無いかも知れませんが、
タンパク質だってビタミンミネラルだって必要ですね。
さらに、デザートの果物やスイーツなどは
無駄の極みになってしまいます。

人も同じ、心の広さ奥行きは必要最小限の知識だけでは生まれません。
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こんにちは。



書籍からですが、この質問に直接回答してくれている文章があったので引用します。
これは学校の勉強、教養学習などが役に立つか立たないか、その肯定と否定の両方があり、私はそれぞれに納得しています。
引用が長くなってしまうのですが、必ず役に立つと思います。
頑張って読めば読めないことはありません。
考察の一助にどうぞ。

■肯定派

知の教室 佐藤優 まえがき より

「最近は、大学でも「すぐに役立つ事柄」すなわち実学を重視する傾向が強まっている。成果主義、弱肉強食の競争が加速している中で、実務に役立たない教養など時間に咲いても無駄だと考えている人も少なくない。しかし、それは間違いだ。すぐに役立つような知識は賞味期限が短い。
 何の役にも立たないように見える教養こそが、中長期視点からは、役に立つのだ。筆者はキリスト教神学というまったく役に立たない知識を大学と大学院で身につけた。教養を身につけることは神学研究の大前提になる。若い頃に教養と真面目に向き合う習慣をつけたことが、外交官になってからソ連崩壊を正確に予測すること、さらにロシアの政治エリートに人脈を構築する上で役に立ったし、また鈴木宗男事件に連座し、東京地方検察庁特別捜査部に逮捕された経験を持ちながらも、その後、社会的に復活することができる武器になったと思っている。
 この武器を読者ともに共有したいと思い、本書を上梓した。」

■否定派

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という、超有名な「学問のすすめ」からですが、福澤が言いたかったのは全くの逆です。

現代語訳 学問のすすめ 福澤諭吉著 伊藤正雄訳 P1より

「初編(明治五年二月) 天与の人権
 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という(西洋の)言葉がある。この意味はどうかというと、「神様が人間を造るに当たっては、どの人間にもみな平等の権利を授けられた。だから、生まれながらに貴賎上下の差別などというものはない。人間はみんな、万物の霊長たる固有の身心の活動により、天地間にあるすべての物質を利用して、衣食住の役に立てることができる。そうして、だれに遠慮気がねもなく、しかもお互い同士迷惑をかけ合うこともなしに、めいめいが安楽にこの世を渡れるようにしてやろう、とそういうのが神様のおぼし召しなのだ」という意味である。

学問の必要

 ところが、今広くこの人間社会を見渡すと、賢い人間もあれば、愚かな人間もある。貧乏人もあれば、金持ちもある。身分の高い人もあれば、低い人もあって、その実情には天地の総意があるように見える。それはなぜかといえば、理由は、簡単明瞭である。『実語教』という本に、「人学ばざれば智(ち)なし、智なき者は愚人なり」と言ってある通り、賢人と愚人との区別は、学問をするかしないかによって決まるのだ。
 また、(賢人愚人の区別だけではなく、身分の貴賎や貧富の相違も、学問の有無から生ずるのである。すなわち)世の中には、むずかしい仕事もあれば、やさしい仕事もあるが、そのむずかしい仕事をする人を身分の高い人といい、やさしい仕事をする人を身分の低い人という。すべて精神的に苦労の居る仕事はむずかしい仕事であり、手足を使うだけの肉体労働はやさしい仕事である。医者とか、学者とか、政府の管理とか、または大きな商売をする町人とか、大ぜいの奉公人を使用する大百姓などは、みな身分の高い、偉い人といえる。身分が高くて偉い人になれば、自然財産も豊かで、下の者から見れば、まるで手も届かない、違った人種のように思われる。けれども、その相違のもとはと言えば、やはりその人に学問の力があるかないかによって、それだけの相違ができたまでのことだ。別に生まれながらに神様から決められた宿命ではない。ことわざに、「神は富貴を人間そのものに与えるのではなく、その人の活動の報酬として与え給うものだ」といってある。そこで前にも言ったように、人間は生まれつき貴賎貧富の別があるわけではない。ただ学問に励んで、物事をよく知った人間は、偉い人となり、財産家となり、無学な人間は、貧乏人となり、つまらぬ身分になるだけのことなのだ。

和漢学の迂遠
 但し、ここでいう学問とは何か。それはただむずかしい字を知ったり、わかりにくい古文を読んだり、和歌を詠み、詩を作るというような、実社会に役立たぬ学問をいうのではない。むろんそれらの学問も、自然と人の心の慰みとなり、随分結構なものではあるが、昔から漢学者や国学者などが言うほど有難がるべきしろものではない。昔から、漢学者に生活のきり回しの上手な人間は少ないし、和歌がうまくて、商売上手というような町人もめったに聞いたためしがない。そこで用心深い町人百姓は、子供が学問に精出すのを見ると、こいつはいずれ財産をつぶすのではないかと、親心から心配する者がある。無理もないことだ。つまりはその学問なるものが、実用に縁遠くて、日常生活の間に合わぬためである。
 そこで今は、そんな暇つぶしの学問は棚上げして、まず勉強しなければならぬのは、万人に共通の、日常生活に密接な「実学」である。」
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社会に出ても、「培った仕事のスキルがよそに行ったら役立たず(むしろマイナス)」なんて


事は良くありますけどね。
勉強の内容自体は使う機会が無いですけど、勉強の成果(学歴)は「社会に出る時」の選択肢
の広さに多大な影響を及ぼすのもまた事実でしょう。
そこを無視して「だから勉強はする必要がない」というのなら、現実見てないのはそちらの方
だと言うべきですね。
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>この発言への反論をお聞かせください。



 「おめーが社会に出て、手紙もらったとするだろう? 日本語で書いてあったら、国語が役に立つだろう? 英語で書いてあったら、英語が役に立つだろう? 中国語で書いてあったら、漢文が役に立つだろう? ラブレターだったり、就職先の紹介だったり、人生を左右しかねない内容だったらどうよ? 学校で勉強しなかったばっかりに、自らチャンスを棒に振ることになるだろう? 同じ様に、算数も理科も社会もそうだ。社会に出たら、学校の勉強なんて、役にたたないことばかりだが、役にたたないものばかりじゃねーんだよ。いつどこで役に立つかはわかんねーけどな? それでも、大人は親切だから、最低限のことを身に付けさせてから、社会に送り出そうとしているんだ。それが義務教育っちゅーやつだ。分かったら、グダグダ言わずに勉強しろ。分からなかったら、分かるようになるまで勉強しろ。そんで、いつかやってくるかもしれないチャンスを逃すなよ? チャンスが来なかったら、自らチャンスを捉えに行くんだぞ? 」

 この反論は今適当に考えた。このように、学校の勉強は、煙に巻くのに非常に役に立ちます。
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充分に役立っているのにそれに気付かないのか、気付いても反感があるのか知らないけれど、例え無駄な事でも意味があるし役に立つのである。


勉強の全てが実用的に役立つわけではなく、経験として何かのヒントとして非常に役立つのだ。

漢文ならば、ある物事に法則性をつけたり・・・ん~役に立たんな。
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「役にたたない」んじゃなく「役にたてられなかった」んでしょ。

自己責任?
「1万円札なんか持ってたって自販機じゃ使えない」ってのと一緒です。
どんな知識だって使い方次第で役に立てられます。
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