幼稚園時代「何組」でしたか?

当時の戦争では、住民の虐殺は悪いことなのですか?
日本の将兵に住民を虐殺するのは悪いという意識は有ったのですか?

毎日新聞の100人切りの紙面を見ると
殺してどこが悪い、英雄的な日本兵のを侮辱するなとの罵声が飛びそうですが。

食料を略奪で賄うというのが常識の日本軍
総理大臣以下国家指導部は容認していたのではありませんか?
現場の指揮官は戦争に勝つためには、略奪、虐殺を繰り返さないと
戦争に勝つことができないという現実はわかっていたはずですが。
(補給路を持たない日本軍将兵が、捕虜を殺さず略奪せず戦争するとは思えません)
悪いという意識があったとは思えないのですが????


今の常識を持って80年も前のことを言うのは間違っていませんか?

私たちも、100年後
法律が変わったら死後犯罪者になりますか?

A 回答 (5件)

過去の常識を今に裁いてもよいかと言うと、愚かです。



例えば、朝鮮併合はその当時は合法的な事でして、今の時代では違法な事でも当時の日本を悪とする事は愚かです。

ただ、あなたの文章を読むと南京の事をあまり知らないような気がします。


当時の南京の事情をご存知でしょうか?


当時南京は、非武装都市宣言を行いました。しかし、日本軍が南京に入ったとたん、便衣兵による無差別攻撃が多発し、戦闘地域と化しました。

この場合、戦闘地域でたとえ非戦闘員が死んでも、国際法違反にはなりません。戦闘地域から民間人を安全な場所に移す責任があるのはその政府であり、南京の場合は蒋介石政権に責任があります。

100歩譲って30万人が死んだとしてもこれは虐殺には該当せず、国際違反にもなりません。しかも、100譲ってごねる権利があるのは蒋介石政権とそれを継承した国(台湾?)だけです。南京問題でごねているのは中国ですが、中国とは1949年に建国された中華民人民共和国です。南京問題とは関係のない政権です。

現に、毛沢東政権時代は、「南京問題」を主張しませんでした。



戦闘地域で、非戦闘員を殺して国際法違反にはならないというのは、南京に限りません。

例えば、沖縄の米軍の民間人の大量殺害も、戦闘地域に民間人がいたので、国際法違反にはなりません。当時の沖縄は、地元民が大変協力的で、戒厳を敷かなくても良い状態でした。

しかし、米兵怖さに、沖縄の地元民は、日本軍に助けを求め、共に行動をする事になりました。
これは本来やってはいけません。戦闘になった場合は、合法的に民間人を殺す事が出来るからです。これが沖縄の悲劇でした。

この問題は、日本軍に責任があるのではなく、戦闘地域になるような場所に住んでいる住人を、あらかじめ非難させなかった当時の警察の責任です。なぜかと言うと、軍人は住民を強制的に移動させる権限を持っていません。それらの行政権を持っているのは警察ですので、それを怠った警察の責任なのです。因みに、東京大空襲や、原爆投下は明らかな国際法違反です。

「戦闘地域に民間人がいるのが悪い」と言うのは、今でも国際法として生きています。
イラク戦争のときは、人間の盾として戦場に行く人がいたようですが、愚かとしか言いようがありません。日本でも、自衛隊基地の民間利用の問題がありますが、あれは戦時になったら自衛隊機地を利用している民間人は死んでも合法になるので、自衛隊機地を民間人が利用するなどかなりとんでもない事なのです。




しかし何故、南京大虐殺が世界で既成事実になっているのか?
については『歴史問題は解決しない』倉山 満 (著)を読むことをオススメします。
    • good
    • 1

<参考>


1917年時点、第一次世界大戦時の日本の常識は、以下の通りです。

坂東俘虜収容所
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1 …

捕虜たちは階級差はあるものの、日本兵と同様に給料を受領。更には周辺地での労働や、親類、以前の勤務先からの振込みなどを通じてお金を調達した。
収容所内には日本人が経営する売店もあり、彼らは自由に買い物ができた。また収容所を出入りする商人からも同様に買い物ができ、アルコール類も生活必需品と同様に入手可能だった。板東俘虜収容所内にはレストランも完備されていた。

青野ヶ原俘虜収容所
http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/08sisi/hur …

俘虜の生活は、『ハーグ陸戦協定』の俘虜の取扱条項で保障されていたたこと、・・・・、よく思われがちな捕虜虐待や過酷な重労働などはありませんでした。

また、日本が満額ではありませんが給金を立替えで払っていました。そのため俘虜にも収入があり支給されるものと別に、給金で地元住民から必要な物資を買っていたようです。こうやって地元住民と俘虜の間に交流がもたれていました。

監視付だったと思われますが収容所外への遠足などが企画されていたようです。


対中戦争では、長期の渡洋侵攻によって、アメリカとの開戦以前に、日本の国力が極端に低下し、まともな補給が出来なくなっていました。
(中国が、軍事力に劣る場合の大陸国家の基本戦略である「戦いの場を内陸に移動し、相手の軍の補給が続かなくする。」を取ったため、陸軍は、泥沼の長期戦になり、国力の低下から補給能力が失われていた状況の中で、海軍だけは戦力がほぼ維持されていた。)
    • good
    • 1

なんで釣りだとわからないかな。


みえみえの論点のすり替えなんだが。

テーマそのものは、当時と昔の感覚の違いを理由に行為を裁けないというものだが、
論点は、その行為自体は「あった」という前提でないと成立しない。

こいつの狙いは 南京事件=事実 と誤認させることだ。
「南京大虐殺30万人説について。過去のこと」の回答画像3
    • good
    • 0

百歩・・四千歩譲って、30万人は数を盛っただけで、10万人としても


すでに解決済みではないか?
極東国際軍事裁判で日本は東亜戦争におけるすべてについて裁きを受けている。
文句があれば当時の極東国際軍事裁判(東京裁判)を行った連合国を相手にいうことではないだろうか。
(70年も前に終わった裁判にいまさら文句をつけるのはどうかと思うが)

遡及法を作ってまで罰することはないだろう。
その点は安心してよい。
    • good
    • 0

事実ですか?。


中国のでっち上げ出なないのですか。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!