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現在日米関係のことについて勉強しています。
そこで、疑問に思ったのがアメリカと日本はいつどういった形で関係を持つようになったのかがとても気になりました。
私はペリー来航のときが日本とアメリカが本格的に関係(結び付き?)が濃くなった、と考えているのですが、実際はそれ以前にも交流はあったんでしょうか。
もしよろしければ日米関係に詳しい方に教えて頂きたいです。

A 回答 (4件)

とりあえず以下のような解説があります。


参考まで。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B1%B3 …

既にご存知でしたらすみません。
ちなみに以下のような書籍もあるようです。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E9%96 …
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外務省の外交史料の中に答えがあります。


「1853年のペリー来航以前の日米交流の歴史を記述した史料はありますか。?」との問いに対して
「外交史料館にはそういった史料はないが、外部にはある」とし、例として
・東大史料編纂所
・通航一覧
・マサチューセッツ海事史(アメリカの史料)
の名前が挙げられています。詳細は下記で確認してください。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/ …

ですからペリー以前にも個別に交流はありましたが、条約調印といった正式な形での国家間の交流があったという訳ではないです。
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案外知られていませんが、ペリー来航以前に、小笠原諸島が英国領だった時期があります。


日本は1675年に小笠原諸島を発券し、日本領を宣言しているのですが、流刑地だった八丈島以外には人が住んでいなかったのです。

1702年になると、スペインが西ノ島を発見しロザリオ島と命名します。1824年にはアメリカと英国が母島に到達し、1827年には英国が小笠原諸島の領有権を宣言します。1830年には30人程度の西洋人が父島に定住を始めます。
1853年に日本にやってきたペリーはその前後に小笠原諸島に寄っていますし、ジョン万次郎は1847年に捕鯨船に乗って小笠原諸島に到着しています。

日本とアメリカの関係性でいえば、本土は別にして島嶼はすでに侵攻されていたのです。

もっとも、日本も国際法に照らして有意な日本領発言をしていますので、明治になってからですが、小笠原諸島は日本に帰属することになりました。今でも父島にはかれらの子孫が住んでいます。
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アメリカとの関係は太平洋戦争まではそんなに深くありません。

アメリカの場合、ペリー来航の後、南北戦争とそのあとの混乱があり、日本に強い干渉はできずにいました。明治維新後、欧米列強の中で、日本がアジアで唯一欧米列強に比肩する国として立ち回りを演じていました。やはり人種や宗教・文化的な差別がありますので、どこともビジネスライクな関係です。むしろ深い関係だったのは植民地だった中韓などではないでしょうか。

アメリカと現在のような関係になったのは、太平洋戦争、ファシズムの除去、日本の経済的台頭、米露の冷戦時代が理由です。
第一次世界大戦が終わった頃から平和主義が叫ばれており、ファシズムと共産主義は嫌われ者でした。
アメリカにとって太平洋戦争における日本の行動は誤算で、日本敗北後は強い監督下においておいたのですが、日本の戦略的位置と経済の台頭で今のような関係になりました。経済力が強い国をなんの国際的糾弾もなく管理下におけるのは非常にアメリカには好都合です。
日本が米軍基地だらけなのは、日本の位置が地理的に見て、中国、朝鮮半島、現ロシア、東南アジアに出兵するのにうってつけだからです。
ソビエト連邦とアメリカは、共産主義と民主主義で水と油のような関係で、朝鮮戦争やベトナム戦争などの代理戦争を多数引き起こしていました。現ロシアもアメリカとは関係が悪いです。
ただアメリカが太平洋沿岸で最も危険視しているのは中国で、今回の安保もそれが原因です。
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