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高級品やクルマを欲しがらない若者、夢が無いなあという意見もありますがそれは何が悪いのでしょうか?
高級品と、自分の能力や技術力に直接の因果関係があるわけが無いので、
悪いの根拠が分かりませんでした。
そのお金で、資格試験など勉強していた方が世のためになるような気がするのですが。
人の意見を読んでいても今ひとつ分かりませんでした。

質問者からの補足コメント

  • すみません、誤解を招いてしまったので補足します。
    夢が無いなあというのは私の意見では無くて、ネット上の書き込みです。
    例えば下記です。
    今の若者はなぜ中途半端なもので満足するのか?
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4129932.html
    昨今急増中(らしい)、若い世代の健全性に関して
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8302511.html

    また、「高級品と、自分の能力や技術力に直接の因果関係があるわけが無いので、悪いの根拠が分かりませんでした。」の意味は、
    直接の因果関係があれば批判する意味が分かるのですが、直接の因果関係が無いので理解できなかったと言うことです。

      補足日時:2015/11/16 22:07
  • 資格試験というのは、高級品を欲しがらないのが悪い(良いことをしろ)というのなら、
    技術を磨いて仕事をした方が世の中のためになるのでは無いかと思って書きました。

      補足日時:2015/11/16 22:09

A 回答 (16件中1~10件)

>>高級品やクルマを欲しがらない若者、夢が無いなあという意見もありますがそれは何が悪いのでしょうか?


さあ?

>>資格試験など勉強していた方が世のためになるような気がするのですが。
世のためになりますね。ほんの少しだけ。

世のため、そのように気にするのならば現代ではあまり行われておりませんけど、死ぬ際に葬儀をいう概念をかき消して、大学病院に検体など、どうですか。

僕はしません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
検体まではちょっと無理ですね・・・。ドナーくらいは良いと思います。
資格試験などをやって、技術を磨くのは良いと思います。

お礼日時:2015/11/15 14:54

高級品もクルマを欲しがらない若者を誰が悪いと言ってるの??



分相応でイイ事な気もしますが
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
誰がと言うのは、高級車がステータスだった時代の人では無いでしょうか。
あくまでもネットで見ただけです。

お礼日時:2015/11/15 14:55

私も何も悪いとは思いません。


物の価値なんて金額で決まるものではないし、ましてやその方の能力、技術力とは何の関係もありません。
金額関係なく、自分が本当に素敵だと感じた物を身に着けたり所有されている方がよっぽど人としてのステータスがあるように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/15 14:55

私の世代では、まず車、ブランド品、毎日外食。

これが普通の生活でした。
時代も代わり、個人の価値観が重視されるようになりました。若い人達が自分に必要なもの、必要のないものを見る目が養われたのかと思います。地方の場合、車は無いと生活が不便です。公共交通が少ないですから。
高級品を追いかけない若者、悪くないです。高級品を追いかけてた世代が、その時代の価値観をいまの時代にはめ込もうとしてるから、そんな意見も出るのでしょう。
貴方の疑問、当然です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/15 14:56

何も問題無いですよね?どういう人間関係の人からいわれたのか?わからないけど


身分相応ってことばあるくらいで、むしろいいことですよね。
私が若いことは、若造が偉そうに・・・なんて身分相応ではにと批判された時代です。
その後、現代っ子はとか、新人類とか、若者はいつの時代もなんだからの批判を受けてきてるのかもしれないですね。どうしてそうなるのか?わたしにはわかりませんけどね(笑)

質問者の貴方様はしっかりされてる^^
無駄に年齢を重ねてきた中高年の人ってけっこういますからね。
わたしもひとのこといえたほうじゃないですけど(汗)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
人間関係というか、そう主張する人をネットで見ただけです。すみません。

お礼日時:2015/11/15 14:56

>>検体まではちょっと無理ですね・・・。

ドナーくらいは良いと思います。
資格試験などをやって、技術を磨くのは良いと思います。

あなたが良いこと思うことをするといいです。

>>そのお金で、資格試験など勉強していた方が世のためになるような気がするのですが。

そのお金で、資格試験など勉強していた方が【自分】のためになるような気がするのですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
分かりにくくて済みません。
技術や職能を磨くと職場や世の中のためになるというのが、勉強すると良いの意味です。

お礼日時:2015/11/15 17:00

悪くは無いですよ。



物欲が強すぎる人には、熱を冷ましてあげないと、親切になりません。

欲は適度であれば便利であり、強すぎると苦痛になりますし。

諭す内容は質問者さんの主張と同じものになります。

しかし、弱すぎるというのも問題の一つです。

物への興味が薄れていると言う事は、

他に満たされないものがあるということです。

何かに囚われて、気もそぞろになっている精神状態ですから、

これはやはり解決しないといけませんでしょう。


物以外に悩むところで言えば、

第一に肉体の健康と安全、親しい間からの親族や友人や恋人、

仕事への遣り甲斐、他人からの尊敬、自分の信条や夢の実現となります。

欲求と言うのは段階があるそうで、上に並べた順番で満たされるという

ことは良く知られています。


なるほどとは思います。

しかし、どうしてそこまでするの?

何故、大事な事として語られるの?

何故、それほど重要視されているの?

と言う点に関しての説明があまりありませんよね。

だからなんなの?

という素朴な質問には誰も答えていないんです。


簡単に言えば、幸福感を得るためです。

幸福になることではありません。あくまでも感覚を楽しむことです。


欲求不満が解消されれば、幸福感に類するものに包まれるでしょう。

つまり、その肉体的な(脳内の)感覚を多く得るための生き方です。

人の脳内には、苦痛とは真逆の魅惑的な感覚がたくさんあります。

人はどうせ死んじゃいますので、生きているうちに沢山味わっておく、

と言うのが損の無い生き方であるという主張です。


また、これから遠ざかると、

「どこがよかったのかおもいだせない?」

となります。

「冷静に考えれば、必要ではないよね?」

となります。


勿論これでも良いのですが、

たまに思い出して(いやいやながら)味わってしまうと、

「ああそうだった。頭で考えて分かるもんじゃないよこれ。

 俺はどうして、必要ないとか言ってたんだ。その期間、損をした。」

と凄い後悔するんです。

この”これ”と言うのは、”快感”のことです。

ですので、快感については、忘れるほど遠ざかってはいけない。

これが鉄則です。

快感から遠ざかると、理屈っぽくなりますし、やる気が減退します。

本人の能力も下がりますし、自分・他人への貢献度も下がります。

この状態で普通に生きられる人は、

一度やる気を出すと、素晴らしい人物に変わります。

こうした可能性を見れば、やる気が減退している人は勿体無いと思います。

それは本来のその人ではないと思えるからです。


また、

快感から遠ざかることになった原因が、

周囲の人にあり、本人に責任が無い場合が多いんです。

こうした人は自分を責めて生きていますから、

これを見つけた場合は、皆で何とかして上げるのが当然です。


今に始まったことではなく、

人と言うのはこの様にできており、人のつながりと言うのは、

これらを互いにサポートするだけであって、それ以外にはありません。

社会の仕組みが高度になり、

一見して見え辛いので、目的がわかり辛いですよね。


本質的には以下の二つの方針に沿っております。


・如何にして、自分の快感を得るか。

・他人が快感から遠ざかっていたら、

 それを思い出させて、(自分で)何とかさせる。


どんな制度も上の二つの思想を実現するためのルールですし、

全ての人の活動はどちらかに当てはまります。


次にご質問の内容について説明します。

世代間のギャップがあります。

年配の方は統一された価値観で教育されており、

悩まずに、横一列、同じ事を同じ年齢でしておりました。

実はこれらの価値観、年齢に対する取り組みは、

生理的な面でも合理的であると思います。


脳内の制御は、

ニューラルネットワークと言う生体コンピュータが行っています。

基は体内の制御を行うだけの仕組みですが、

これを転用して現実世界での営みに活用しているようです。

そのため、

社会構造が体内の組織と似たものになるのではないかと思います。

社会生活をしながら、転用部分に相当する脳内の部位を活性化させ、

これによって体内の制御ソフトを強化し、健康にも貢献するわけです。

人の体は全て脳の制御ソフトが行っています。


体を鍛えると体力がつくのではなく、

体に負荷を与え、これに無理やり脳に対応させることで、

脳内の制御ソフトを進化させているわけですね。


こうした体力づくり以外の必要も生じます。

肉体の成長により、新しい肉体の制御ソフトが必要になります。

年齢による変化にあわせて、新しい制御方法が必要になります。

これを会得するために、社会上での役割や活動を上手く使って、

脳内にフィードバックをかけていくわけですね。


社会と言うのは、肉体年齢にあわせて、肉体が必要とする脳用ソフトを

得られるソフト販売店みたいなものです。

自然の欲求から、年齢に合わせた仕事や立場が用意されています。


つまり、年配の方は理屈がわからずに取り組み、

その様なものであると思い込み、

その恩恵に対しては良く考えずに享受してきたわけです。


物欲と言うのは、体内のカロリーや其の他必要な物質を欲する仕組み

から生じている、脳内への投影だと思います。

細胞の願いであり、これを肯定すると言う事は、代謝を良くする事に

相当するでしょう。


多くのカロリーを供給するためには、その経路が上手に作られないと

いけませんから、脳が指令を出して各部が連携します。

またカロリー以外の必要物質を吟味し、調整します。

高級品を望む嗜好と言うのは、このカロリー以外の必要物質を望む衝動

であり、医学的に必要な数々のたんぱく質ではないかと思います。


ですので、社会と言うのは物欲を強く持つと、

友人ができるようになっているはずです。

高級品を望むと、友人関係が変わり、能力が向上するはずです。

社会の中では、個々人は一つの体内組織の細胞に相当し、

これに逆らって動作することが不可能であると思います。



例えば子供の頃から友人が少ない人は、

周囲より物欲が少なかったはずです。

昔の教育方針ですと、

親が子供にモノを買い与えてはいけないとされていました。

理由については親も知らない。

ただそういうものだと教えられてきたわけです。

なので、守らないでいいのじゃないか?と言う親が増えています。


私が最初に友人を作ったときは、

駄菓子を買うために、空き瓶を集めて酒屋に持ち込みお駄賃を得る

遊びからでした。

驚いたのは、お金持ちの息子が夢中になって菓子をほおばる。

どうも、

親の方針で小遣いもなく、菓子も与えられなかったようなのです。


性格面や経済面、其の他の多くの点が彼と共通していませんでした。

しかし、同じ欲求のもとで連携を果たすことで、

とても強いつながりを互いに感じました。

つまり、欲を活用して子供に友人を与えるための大人の智慧ですね。

親が買い与えてしまう玩具は、一つ一つが人間の友人になるはずだった

可能性なのです。


趣味のつながりと良く言いますが、

もっと本当に強く友人や恋人を望むのならば、

同じ物欲を持つ人を探すことです。

同じ欲を持つ人に対して、人は優しいものです。

優しくすると友人ができるのではありません。

いまの教育は因果が逆転しておりまして、物欲で共闘をした者同士が互い

に優しくなるという事を教えていないんです。



因果が逆転しますと、大変なことが起きます。

友人や恋人、社会からの尊敬が無いと、これが気がかりで物欲が生じません。

物欲こそがこれらを一気に解決する特効薬なんです。

欲のために忍耐が生じますし、互いを必要としますし、

その期間が長ければ、互いを好きになりますし、かけがえの無い存在として

認知します。(そういう成り行きしかない)

特効薬を嫌えばネガティブループに突入します。

これではやる気がどんどん減退しますよね。

「僕は物欲が少ないんで友人が少ない。これが気がかりで物欲が少ない。」

快感を思い出せないので、やる気が出ないと言う状態でしょう。


ところが、

このメカニズムとは別に、闇雲に忍耐をもとめたり、努力を求めたり、

自己研鑽や協働、コミュニケーションを求める文化がはびこっています。

欲を絡めずにできる訳がない(体内の仕組みから)のですが。


快感から遠ざかった状態には、肉体的な刺激のある物欲がききます。

服、靴、イス、寝具など日用品がお手ごろです。

ここに目的を加えリラクゼーションを求めれば、最後は家や車になるでしょう。

大変弱っている人には、美味しいものが効きます。

こうした人は風俗産業も利用してください。

そのために存在するのです。

公的な場では医者にいけと言いますが、他でも解決できます。



昭和世代は世論に負けて、嘘を子供に教えるようになりました。

しかしそうした中でも、男が男の子に教える真実があるとしたら、

「高級品を求めて快感を得なさい。

 その過程で人間関係も変わり、精神面も含めて充足する仕組みになっているから。」

に集約されると思います。

これだけは嘘じゃないし、伝えたいことであるため、年配の人が強く主張するんでしょう。

本当に重要な話だからです。


以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/15 17:08

No.7があなたに言いたいこと。

あってるかは知らないけどね。

「先の事考えすぎ」
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/15 18:01

「高級車がステータスだった時代の人」です(笑。


わたしはどっちかっていうと、あなたが疑問に思ってることを発言した人の側です。

>高級品と、自分の能力や技術力に直接の因果関係があるわけが無い

ここの解釈によるのでしょう。この文は二つに分けて考えねばならない。

普通は、人よりも良い財やサービスを得ようと思えば、金銭が必要となります。
しかし、若いころは一般的には、所得は低いし、そんなことは出来ない。
社会に出て、キャリアやスキルを積めば、所得が上がっていくから、上のようなことが出来るようになる。
つまり、「収入の高さは自分の能力や技術力に密接に関係がある」というのが前提にあります。
まあこれはいいですよね?

ただ、「その収入の高い人は必ず高級品を欲しがる」というのは、緩やかな相関はあるものの、必ずしも
成り立つわけではない。

この二つの命題を合わせると、「高級品を買う、欲しがる」は必ずしも「個人の能力や技術力」には関係が無い、
というあなたの主張は正しいと言えます。

でも、昔は、三種の神器や、3Cなんかにも表れている通り、貧しいところから立ち上がって、収入を上げて、
持ってない財を手に入れて、というのが、成功の象徴だったのです。
そのために一生懸命、身を粉にして働く。これが美徳だったのです。
「いつかはクラウン」って言葉、ご存知ですか。この言葉があまりにも端的に示しています。
ご存知なければ調べてみてください。

いま若くて低所得なのに、身分不相応の高級車やブランド品を借金して買え、と言うのではなくて、
いずれそういうものが手に入れられるくらいに自分を高みに持っていく努力をせよ、というのが主旨。
高級品を欲しいとさえ思わないのは、自分を高めようとか、もっと良い生活をしてやろうといった、
野心が無い、と見えるのです。

高級品を実際に買うかどうかは別として、若者が野心を持たないことは、現代においても私は悪いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/15 20:30

>高級品やクルマを欲しがらない若者、夢が無いなあという意見もありますがそれは何が悪いのでしょうか?



「悪い」というのは、あくまでも質問者の見解であって、第三者がそう結論づけたわけではないと思うのですが。

普通に平ったく考えて、若者が高級品に手を出さないことは、特に悪いことでもないと思いますけど。
ただ、バブル世代のBBAやGGIらとしては、自分たちはマスコミに踊らされてお金のない若い時代に無理して高級品や車を買ったのに、今では価値観が変わって若者がお金を使わないということに、若干嫉妬の気持ちもあるかと思います。
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この回答へのお礼

すいませんが、

>「悪い」というのは、あくまでも質問者の見解であって、

私は上記の逆を言っているのですが、どこの部分を読んで、私が悪いと思ったと思われたのでしょうか。
あと、BBAやGGIってなんですか。意味は何となく分かりますが、もっと一般的な言葉を使うのがマナーだと思います。

お礼日時:2015/11/15 21:18

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