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変化することをいとわず、柔軟に生き方を創造して行く事は、楽しい事だと思います。しかし、人生には必ず終わりがあって、そんな楽しい人生にも幕が引かれます。
ところが、ここで私は、人生と言う旅の終わり、即ち目的地は死ではなく、心から自分の人生に納得できた時ではないかと思うのです。それは、死よりも前に起こる事です。
創造的人生は、どの様になれば真に納得の行く人生となるのでしょうか。
どの様であれば、人生を全うしたと言えるでしょうか。

どうぞよろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • ご回答くださった皆様へ。
    お礼の順序、前後します。ご容赦下さいませ。

      補足日時:2015/11/17 17:30

A 回答 (18件中1~10件)

こんばんは、あふぉな!さん。


いつもお世話になります。




>変化することをいとわず、
>柔軟に生き方を創造して行く事
>は、楽しい事

:はい、賛同します。これは
たぶん人間だけの特権ですね。


人間以外の生き物は
瞬間 だけ を生きていますが、


人間は【(己の)歴史】
と【現在】が交わる点
を生きていて、


【(己の)歴史】:【現在】
の割合をその日の優先順位や
テンションやモチベーション
によって配合することさえできます。
その日に飲みたい珈琲
みたくその日にブレンドできます。




>心から自分の人生に納得できた時
:それなら毎日毎日、一日一回、
大安心・大満足をして
毎日毎日、一日一回、
絶対的幸福を堪能したらよいのでは?




◇起きる → スタート!
 起きるときは【善は急げ】と申します、
◇寝る前  → ゴール!
 今日も一日ありがたうございました、
 そして今日も一日お疲れさん自分!


これを毎日毎日するんです。
毎日毎日【自分にとって最高の自分】
をするんです。



他の国のことはあまり知りませんが、
日本には【禊】という文化があります。



毎日一回誕生し、
その日をありがたく精一杯生きる、


ということを毎日していれば
いつだって
人生を全うしている
と言えるのではないでせうか。
 





【いつか】【そのうち】ではなく、
いつでもできることだと思います。




回答者ができているかどうかは
秘密です。(^-^;
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この回答へのお礼

いらっしゃいませ、ニュートラリングさん(^-^)
ニュートラリングさんは自由自在ですね、脱帽です。

それが出来てるか出来てないかは別にして、おっしゃるところ、ストライクゾーンにバシバシっと力強いボールを投げ込まれたみたいで、久しぶりにわくわくしました。

〉毎日一回誕生し、その日をありがたく精一杯生きる、

これは、、正にニュートラル、いつも新鮮な気持ちで生きることは、本当にナイスだと思いました。
今回のご回答、何度も読み直して、心のリフレッシュにしようと思います(*^◯^*)
どのフレーズをとっても読みやすいし、それぞれが明確な指摘でとてもためになりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/17 21:43

あほなさん、ごめんなさい。


この場をお借りして、すずめさんにご挨拶を。

私のはじめての質問に回答いただいたときに、
ピンと来てから、ずっと気になる存在でした。
おそらく、考え方がかなり近いと思います。

もうちょっと、崩れてくれないかなと願って
います。
こちらこそよろしくお願いします。
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この回答へのお礼

どぞどぞ^^
遠慮なさらず。

お礼日時:2015/11/19 23:05

ちょっと触れてもらったので


珍しく再登場です。

no.16さんへ。
考え方が似ている人がいるのは非常に心強いです。
励みにさせていただきます。

今回のテーマについて折衷させてもらうと
一言でいうと納得のためには
「真っ白に燃え尽きる」というのがやはり妥当だと思います。

前回の私の回答の
②成果があがる段階とは、社会に貢献しようとする段階
③認められる段階とは、普遍的な方向へのきっかけになろうとする段階
で、それぞれの軸で「真っ白に燃え尽きる」ことで
納得することができるのだと思っています。

その前段階として「nothing comes easy.」としての①があって
それが自己満足で終わらないために②③という段階に進む必要がある
という感覚です。

詰めていくと微妙に違うのでしょうが
こちらの方もこんな感じできっかけにさせてもらっていますので
これからもよろしくお願いします。
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この回答へのお礼

「nothing comes easy.」ですか^^
私の考えとは異なりますが、これも良い解釈だとは思います。
私の考えでは、価値のあることはむしろ簡単に成し遂げられる、のでは?というものです。
ニャンポコさんへの返信でも書きましたが、物事を成し遂げるときにはリラックスというのが重要になってくると思うのです。リラックスしているから、自身の力が最高に発揮できるのではないかと。

>その前段階として「nothing comes easy.」としての①があって
それが自己満足で終わらないために②③という段階に進む必要がある
という感覚です。

ふむ。。関門としては、①が一番難しいでしょうか?私が燃え尽きるまで努力したことは、中学時代の部活動ぐらいです^^;そして振り返って、それはいい思い出にはなったが、それが正しかったとはいえない自分がいます。

上にニャンポコさんからのお返事があるようです^^

お礼日時:2015/11/19 23:30

いわゆる「スポコン」的「根性論」は今は


否定され、「余裕派」が大多数を占めてい
るようですが、その理由は、効率的でない
ということよりも、「やりたくない」では
ないでしょうか?

ゲームでも、レベルをあらかじめ上げてお
いて余裕を持って進めたい、なんていう奴
も多い。
人生観も変わったものです。

心からの納得ですからねえ。

ああ、それから私はsuzumenokoxさんに
考えが似ているといつも思うのです。
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この回答へのお礼

人生観というよりは、事実かなと、私的には思ってます。仕事でも勉強でもスポーツでも、余裕のあったほうが、高いパフォーマンスを発揮できますよね?人生も同じではないかと思うのです。今やってる野球の国際試合ですが、日本が韓国に負けましたよね。3-0だったのが、九回に逆転されて3-4で負けのようです。ピッチャーの則本に精神的な余裕がなかったからでは?というのはこじつけかもしれませんが、こういう大きな舞台でも余裕、リラックスというのは大事なことです。まして人生こそ、そういう余裕が必要なのではないでしょうか。

ですから、スポ根みたいにハイテンションでずっと行くっていうのは言ってしまえば虚構だなと私は思っているのです。が、サイテックスさんなんかはそれを地で行ってるようでありますから、説得力がある(笑。

上にスズメさんからのご返信があるようですよ^^

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/19 23:24

初めて回答させていただきます。

よろしくお願いいたします。

「心から自分の人生に納得できた時」はありましたが、それは結局人生の中では瞬間でしかなく、失われてしまいました。
「人生を全うした」というのは、状態が完全に固定されるのだと思いますが、「完全に固定」というのはあり得ないように思います。
そうすると、納得できている間に、その状態が失われる前に死ぬことでしか「真に納得の行く人生」はないのではないでしょうか?

「創造的人生」ですが、「精神が充実し、束縛から離れて自由になること」をイメージさせていただきましたが、「充実」は自分ひとりだけで成しえることができるか?に疑問があります。
「孤島で一人」ではムリで、活動や親交を通じてでしか、自分の不足を補って充実を得ることはできないのなら、活動も親交も不変ではないので、「心から自分の人生に納得できた時」はあっても、「人生を全うした」には至れないのではないでしょうか

個人の完結力が哲学の目的なら、哲学的でない回答ですが、どう思われますか?
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この回答へのお礼

はじめまして^^

私の考えでは、人生を全うするというのは、固定というよりは、安定走行に入る、と言う風な意味を考えていました。

創造的人生について、「精神が充実し、束縛から離れて自由になること」をイメージされたということですが、それも一つの良い解釈だと思います。人間は、生来のものにプラス、様々なものを生後に身に付けていきます。その代表が、言葉であったり文化であったり、様々な人々との縁であったりすると思うのです。そのようなものが個性を形作っていく、つまり創造的であると私は解釈しました。(この見方は受け売りなんですがw)そういう創造的な人生を歩んでいく中で、充実というものがなされるのであるなら、おっしゃるように、活動や親交を通じてなされるということだと思います。
不変ではないからこその、創造的人生ではないかと考えました。

>個人の完結力が哲学の目的なら、哲学的でない回答ですが、どう思われますか?

良いと思います。私も自身の思いが少し整理できました。ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/19 23:18

お礼ありがとうございます。



>世の真実の姿が見えるようになりたいです。

なると楽です。


>いつの間にか身に付けた沢山の色眼鏡は、その人固有の世界の見方であり、意味のあるものだとある方から教わりました。

確かに。


>様々な物事の絡みが解けるのではないかと思っています。

解けますが、何をどこまで解きたいかによると思います。
興味があるものは解けると思いますよ。
時間は、それなりに必要でしょうが。

本人を救うも伸ばすも、本人でしかないので。

望みが叶うことを願っています。
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この回答へのお礼

何をどこまで解きたいのか。とりあえず、絡まった糸が溶けて機能するようになるとこまでかなぁ。具体的にはわからないです@@;
でも、至高の整理や、欲求の取捨選別が叶うと、かなりいい感じになると思うんですよね。身軽になるというか。今のままでも結構身軽ですが、これからは芯のようなものを身につけたいですね。

>望みが叶うことを願っています。

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/19 23:08

自分で決めること、目的も、やり方も。



それが自由。

そして、これ以上できないところまで燃え尽きること。

真っ白な灰になった、矢吹丈ですよ。

それから、自分のためだけじゃだめ。

天下取ったって、寂しいんだから。

世のため人のためが、自分の満足になる。
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この回答へのお礼

燃え尽き派ですね^_^
感覚は理解出来ますが、私の考えは少し違います。余裕を持って、目的地へ着く(定めた生き方を叶える)のが良いんじゃないかと、そんな風に思いますね。
私もジョーは大好きですが。

サイテックスさんのお考えと似てるのかな?

お礼日時:2015/11/18 16:37

納得するには


①全力を出し尽くす
②成果があがる
③認められる
という三つの段階があると思います。

死ぬまでに③まで行ければ
それは「納得」という軸での
自己欺瞞ではないゴールなんだろうと思います。
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この回答へのお礼

スズメさんのご回答はいつも分かりやすいですね。感心します。スマートな考え方をされているのかな?
今回のご回答も、納得出来ました。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/18 16:39

「全うする」と云う意味を常識的、平均的な意味で捉える方々の意見なら、それなりに受け止める事が出来ますが、意外な捉え方をした人の意見に接すると、精神的なバンジージャンプを体感した気分になりますね。



でも、谷底から元の場所に戻ってくると、生物的な命と精神的な命とは違うから、と思えました。

補足です。
№6で頂いたお礼は名言、ですね。

   独り言 (あの回答を読み返してみると、確かにテンション高いな)
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この回答へのお礼

いつも楽しい回答ありがとうございます^_^
個性的なご意見も多く、扉が次々と開かれるような気分です。お陰で頭の通気性がよくなります。真面目に質問すれば真面目に返ってくるのがここの良いところです。

生物的な命と精神的な命とは違う。精神的な命の中には、生き様も入っていそうですね。
でも、生物的な命と精神的な命は不可分であるから、丸くまとめて体を伴った生き方を目指したいです。

お礼日時:2015/11/17 21:57

そもそも自分の死を自覚できるだろうか。


死んで無になるなら自覚は不可能。あの世があるなら魂という形で第3の人生の始まりだ。
結局終わりも全うもないのさ ┐(´-`)┌
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この回答へのお礼

自分の最後は自覚できるのか。
厳密に言えば無理なのかもしれません。

終わりも全うもない。ある意味でより大きな人生に対する解釈があるのかなと思いました。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/17 21:48

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