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私は43歳の男です。母のことで相談があります。私の母は認知症で現在老人ホームに入ってます。口数が少なくいつも穏やかで優しい母です。若い頃はよく母に迷惑をかけて泣かせてしまいました。20歳の頃に仕事で家を出てからは1年に数回会うくらいで、母を困らせることはなくなりましたが、話すこともなくなり疎遠になりました。

父は非常に厳しいというかコワイ人で、母が認知症になった時(当初は自宅で父が看ていました)の接し方がとても乱暴だったので、何度も父と口論をしたのですが、父の様子は一向に変わることはありませんでした。(母が認知症になる前から父と母の関係はギスギスしていました)

母の入所は辛かったのですが、父と母が離れることで少し安心しました。父が母に辛くあたるところを見なくてすむようになりました。母への対応を巡って、父と私の関係もかなりギスギスしたものになりましたが、入所が落ち着いたあたりから関係は元に戻りました。

入所して1年くらいがたちます。入所したての頃、2度、日を開けないで父と私で会いに行きました。かなり顔色もよくてスゴく安心しました。それから父は1ヶ月に1度会いに行っているようなのですが、私はこないだ半年ぶりくらいに行って来ました。あまりに間を開けすぎたように思いました。久々に会った母は、顔のツヤがなくなり痩せてました。胸が締め付けられるように苦しくなり、涙が出てしまいました。『なんで俺は半年も会いにこなかったんだろう?なんで半年も会わないで、母をほっぽらかして俺は平気なんだろう?』

みなさんに是非質問したい点がここなんです。あんなに優しい母を、私はどうして半年も会わないでほっとくことができたのでしょうか?半年も開けてしまったので施設のスタッフの人達にも、『冷たい息子』だと思われてないかも不安になって、そのことでますます行きづらくなったのは確かです。
でもなぜなんだろうと思います。大事な母ならそんな情けないことを言うまえに会いにいって、元気な顔を見せていろいろ会話をしに行けばいいものを、痩せてしまうまでほっとくことができた私自身の神経を疑ってしまうのです。前述したように私は20歳の頃に家を出て母とあまり会うことがなく、私達の親子関係は、このころから大変希薄なものだったのではないかと感じました。みなさんの家庭はどうでしょうか?親子関係の親密度はどうでしょうか?会いに行くことを深い愛情の念からではなく、『義務』と感じたことはないでしょうか?ご意見いただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。理由はどうであれ、次回からは1週間に1度は会いに行こうと決めています。

A 回答 (2件)

経験者です。



>あんなに優しい母を、私はどうして半年も会わないでほっとくことができたのでしょうか?

あなたにも「生活」があるからです。「仕事」をして「生活」をしていれば、同居でない限り「疎遠」になるのは普通です。
まだ結婚されていなのでしょうか? 結婚されていて、そう思われるのならば「かなり親への愛情が深い」と言えるかと。裏を返せば、「かなり親への依存心が高い」と。

>半年も開けてしまったので施設のスタッフの人達にも、『冷たい息子』だと思われてないかも不安になって、そのことでますます行きづらくなったのは確かです。

施設に入る人にはそれぞれに事情があります。1度も面会に来ない人に対しては「冷たい家族」と思うでしょうが、会いに行っている人にそんな風には思いません。

>母が認知症になった時(当初は自宅で父が看ていました)の接し方がとても乱暴だったので、

これは致し方がないことです。「介護」は「生活」になっていると、どうしても「乱暴」になります。人間とはそういう生き物です。
介護福祉士が「介護」を「乱暴」にしないのは「仕事」だと認識できている人だからです。(たまに、とんでもない人が「虐待」を行うのです)

>会いに行くことを深い愛情の念からではなく、『義務』と感じたことはないでしょうか?

それは「愛情」であり「義務」でもあるのでしょう。分ける「判断材料」はないと思いますが。子どもを作ったら、育てるのが「愛情」であり「義務」であるのと同じかと。
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いえいえ。


それはあなたが「ようやく!」自立の精神というものが自分に芽生えた結果ですよ。
自分を責めることはないし、普通のことだと思います。
むしろ、ベタベタと「お母さんのそばにいないとダメだ」ということのほうが、問題だと思います。

多分、以前に家を出られた時も、心の何処かで実家を懐かしんでいるというか、心配だったのでは?。
そういうのは誰にでも多かれ少なかれあるものだけど、いつかは「切る」事をしていかないと、自分の人生は成り立たない。
切ろうとはしてきたのかもしれないけど、結果的には切れなかったのでしょう。
それは実家に問題が多かったことが起因になっているのでしょうけどね。

それが「ひとごこち」ついたために、どこかであなたの中にわだかまっていた「もの」が切れて。
それが安心に繋がって、半年という期間、会いに行くという「理由」を忘れることが出来た。
理由=原因ですから、その半年間の間が、実はあなたにとっての「正常」だったんですよ。

よく「男はマザコン」といいますけど、厳密に言うとマザコンというのとは違います。
母子の関係性が、女性同士と違い、男性の場合は「互いが求め合う」関係…互助の関係で成立していますので、ある意味「恋情」…恋慕の関係に近くなるところがあるので、男性は母親に「女」を見るわけです。
だからこそ尚更、どこかで母親というものに「飽きて」違う女性を求めていくことは「必須」なのですが…それが十分にできない環境下に置かれてしまうと「マザコン」と呼ばれるような状態へと進んでしまいます。

あなたの場合は「お父さん」とお母さんが不和であったということですから、あなたは心の何処かで「俺が守らないと」という意識を持ち続けていたのではないでしょうか?。
本来ならば、お母さんとて自立した「女」であり、お父さんとの関係性はフィフティフィフティであり、関白とか、かかあ天下とかの「スタイル」の違いはありますが、男女の関係性は同率であり、平等です。
それが損なわれていた家庭内での息子の感情は、実は「お父さんの模倣」へと進みやすいところがあるんですね。
ここらへんが理解しづらいところだと思いますが
「息子は、父親を否定しつつも、父を超えられないというコンプレックスから、父の模倣へと進む」
…という傾向があるんですね。
お母さんへの気持ちと、お父さんへの思い…この両方が相まって「父親の代理」としての愛情をやがて持つようになってくるわけです。
これが「マザコン」の形態のひとつです。

その「関係性」が、ようやく崩れたのですよ。
コンプレックスから解放された半年だったということです。
無論、息子としての心配というのはあり続けるし、それが消えてしまうということはありえないのですが、それはそれ、ということで、過剰な心配や、ましてや「決心」などというものは、あなたのこれからを阻害する要因でしか無いのです。
それは「自立」とは全く逆方向へのベクトルでしかありません。

希薄に感じているのは、親子の関係性ではなくて「愛情」そのものを十分構築できなかった、という意味での「後悔」でしょう。
しかしそれは、あなたに問題があるのではない。
あくまでも、あなたが育った環境にこそ、大本の原因があるということを忘れてはいけません。
あくまでも、あなたはあなたであり、今の生活基盤を崩してまで実家に尽くすことはない。
あなたは自分の人生を謳歌するという気持ちが、まだ足りていないのです。

十分に、なおかつ冷静に、過去を反芻して下さい。
出来れば第三者の冷静な目がほしいところです。
一人ではどうしても、自分を甘やかしてしまいますので。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
今日一日、あなた様から頂いたメールを反芻しておりました。
何か、長年蓄積されてきたシコリが溶解してくようで、気持ちが大変軽くなりました。感動しました。私の後悔でしかなった半年が、実は『自立』への大事な過程であったとのご指摘に、目が覚めるような思いで、本当に安心することが出来ました。
サッパリしました。今のこの身軽になった心境であれば、母に会いに行くとことも、ごく自然に出来るような気がします。今日は自分にとって記念すべき日と言ってもいいくらいに、『私の自立』ということの本当の意味を掴んだ気がします。新しい人生を歩めるような気がします。大袈裟に言っているわけでは決してありません。相談にのっていただきまして心から感謝いたします。
ネット上でこのような奇跡が起こるなど思いもよりませんでした。本当に、本当にありがとうございました!!

『出来たら第三者の冷静な目』も是非tombanさんにお願いしたいです!!

お礼日時:2015/12/03 18:19

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