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富士山の頂上に登り日の出とともに東の空に向かい、24時間不眠不休にて有瑠慶本願を唱え続けるのです。
そうすれば翌日の日の出の頃には、神が何であるか分かるという。
それは何故でしょう。

A 回答 (6件)

なんていうか私が例えば


「死ね」とか「気持ち悪い」とか

私が誰彼構わず全員に発言しまくる
わけにはいかないのだろうね。

嫌いな人が増えすぎて困った。

みんな私を批判すれば優しく無料で教えてくれると思って
調子に乗っているのだろうか。

人の道さんや
アルケー本願とは関係ありませんが
連呼したい気分だったので
回答しました。失礼しました。

世の中、まともな人はいないのだろうか。
私には教えてくれる人がいない。
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そういう身体を痛めつけることをすると


ドーパミンなどの体内麻薬が作られ
恍惚感に襲われます。

それを神と称しているだけです。

これは座禅も同じです。
長時間同じ姿勢を続けていると、やはり体内麻薬が
作られ、恍惚感に襲われることがあり、これを
禅では「悟り」と称しております。
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基本的に#3さんのご見解に同感です。


おそらく禅の 只管打座 と似たような効果でしょう。
こうした苦行の際に現れるアルファ波の影響により、エンドルフィンという神経伝達物質が脳内に大量発生し、それがある種の多幸感をもたらします。
このことによって、神を認識できたと勘違いするのでしょう。
また、フィジカル的に辛すぎると考えることが嫌になります。
つまり、一種の思考放棄状態になるので、そうした感覚も受け入れやすくなるのだと思います。
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睡眠不足と苦しみからくるホルモン分泌と 希少体験によるナチュラルハイじゃないか?

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24時間不眠不休で、365日間不眠不休で、3650時間不眠不休であっても分からないものは分からない。


おわり。
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64歳主婦です。



そもそも、神とは「大生命」ですから、

吾々の内にある完全円満な或るもの、これが神ですね。

神を知るには一神か多神かの問題を解決しなければなりません。

日本語でカミというのは

第一に「創造神」のことをカミと言います。

この語源は「嚙む」といって「上」と「下」とが和合すること、

天と地が結び合うこと、陰と陽とが触れ合うことによって

事物を生み出す愛の働きをいます。

第二には、「輝く身」即ちひとつの発光身を言う。

一燈園では、「お光り」と言い、仏教では、

「不可思議光」とか「無礙光如来」といったりします。

キリスト教のエンゼル(天使)の多くは、投げかけられた救いの霊波

がエンゼルという形としてあらわれたものです。

第三に吾々が神というのは

「幽り身(かくりみ)」の略称です。

肉眼で見える体は備えていないが、体がないのではなく

幽微(かすか)な身を備えていて

時と所と人とに応じて、場所次第、時代次第、救われる相手次第で

神はその現れ方を千差万別にして来るのです。
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