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高天原から天照大神(アマテラス)が降りてきたとか、最初の人類がイザナギとイザナミであったとか、そのイザナギとイザナミがオノゴロ島におりたち子を産んで日本人が生まれたとか、・・・・。
このようにおよそ悟りへの道というものを全く知らぬ日本神道は仏教から見て言わば日本という島に住む野蛮人の類なのでしょうか。

A 回答 (9件)

もっと利口になりましょう。

最終兵器の餓死でなくなりますよ。ISSから来れる現実が有るのです。他の惑星からでも可能な事でしょう。もしかすると金星から移動してきたかもしれません。金星を滅ぼし地球を滅ぼし火星に移民ですかね。地球で食い止めたいものです。
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そもそも、宗教って要るの?



野蛮かどうかはしらんけど、多くの日本人は、無宗教じゃん
でも、他の国から見たら日本は民度は高いとか書かれるじゃん
宗教要らなくないか?
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あなたの質問で一番間違ってる所は


仏教は野蛮人という言葉や扱いを使いません
仏教から見て野蛮人という存在が存在しないので
居ない物を類と言われても困ります
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神社総代をしているおじさんです。


「悟りへの道というものを全く知らぬ日本神道は仏教から見て言わば日本という島に住む野蛮人の類なのでしょうか」
→そうかどうかはよく分りません。
そもそも、日本古来の神社と神道は同じではありません。
神道は後から発生し、神社を取り込んできた歴史があります。

私は神社に奉仕していますが、神道は無関係です。
ただただ、人々の穏やかな心を願っているだけです。
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神道は宗教というよりも、民族的な宗教感情


といったものです。

だから、仏教のような教義も経典もありません。

あるのは、自然を畏れ、先祖を尊ぶ、といった
程度の規範だけです。

仏教にいう悟りとは、煩悩の原因は我欲にある
から、それを除去しよう、てものでしょう。

神道にそんなモノはありません。



仏教から見て言わば日本という島に住む
野蛮人の類なのでしょうか。
   ↑
だと思います。
仏の教えが浸透していない蛮族の地、という
ことになると思います。

神道の良いところは、教義も経典もありません
から、布教しづらい、出来ない、ということに
あります。

また、どんな宗教とも融合可能で、宗教的な
争いも生じにくい、ということも利点でしょう。
ユダヤ教の専門家が、神道のこの利点に着目して
何とか、宗教間の紛争を止めさせることが
出来ないか、研究しています。
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人は悟らなくても救われるのです。


人の道さんは、この事を分かっていますか。

向上心はあるけれど、どうにもこうにもならなくなった人の求める世界が悟りの世界なのであって、現世に於いて充実した生き方をしようと云う人の為になるのが神道です。

釈尊仏教は心の仕組みを解き明かしたもの。
宗教と云うよりは哲学。

比較して優劣を問うことは大間違いですね。
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結局、物事の原因を我が命(生命)以外に求めているにすぎません。


これは、内道に対して外道になります。

野蛮である、野蛮でないというより、道を外に求めていては、何も開けないということです。
しかし、日本の仏教にいたっては、多くの宗派が仏像を本尊として崇め奉りますが、これも同様に“外道的信仰”になります。

※本尊論については、少し前に質問者様が質問されていますので、ここでは省略いたします。
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《さとり》というのは 《目覚めた(ブドゥ‐タ:タが過去分詞形)》と


言っているにすぎません。

ロシア語で ブーディチ(目覚める)という動詞があり ここから ブー
ディルニクと派生させれば《目覚まし時計》のことです。‐ニクは スプー
トニクのごとく道具などを表わします。スプートは道連れの意。

神とその信仰については アルケー神とわれとの関係を言えばよいのであ
っていちいち倫理的な意味合いを含む議論をする必要はありません。
せいぜい《人の道》と言えばよろしい。

日本人は これを《かむながらのみち》と呼びました。

      *

日本人の信仰――かむながらのみち――は オホタタネコを市民の代表と
し 市民からの推挙を受けて立った崇神ミマキイリヒコイニヱをムラヲサ
(市長)としたミワ(三輪)市政に始まると考えます。その生活共同のあ
り方を形成した人びとそれぞれの《非思考の庭》なる動態のことです。

崇神イリヒコは いわゆるハツクニ(初国)シ(知)ラシシスメラミコト
として伝えられています。第十代天皇ですが 実質的に初代です。
紀元300年ごろ 奈良・三輪山付近のことです。

このときにこそ 次のような社会における人びとののぞみに満ちた動きが
見られたのではないでしょうか。
▲ (十七条の憲法 第一条) ~~~
・・・上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに
諧(かな)うときは、すなわち事理おのづから通ず。何事か成らざらん。
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり のちに聖徳ぼんくら太子は この三輪イリ社会のあり方をパ
クッて表現したのです。
 
というのも 崇神ミマキイリヒコは おそらく市長であって 社会はまだ
二階建ての構造にはなっていなかったと考えられます。つまりお二階さん
という意味での《お上》ではなかった。

そのときの歴史的人間および歴史的社会にもとづき 《シントウの原形ま
たその確立》について 次のように考えます。

          *

ひとは 《ネコ‐ヒコ》連関である。そして《イリ》なる歴史知性の誕生。

三輪山に祀ったオホモノヌシなる神が 聖霊となって イクタマヨリヒメ
に生ませたのが オホタタネコだと言います。日本版イエス・キリストで
す。

そうしてある時 疫病が出て困り 市長はこのオホタタネコを探し求めた。
祟りという認識でしたから 祀れば(オホタタネコをして オホモノヌシ
のカミを祀らしめれば) 平らかになるだろうというものでした。
(この同じ系譜のスサノヲやオホクニヌシについての記述には 薬草を求
め医療に熱心であったとも書かれています)。

けれども《ネコ》は 根子で大地の子であり 《ヒコ・ヒメ》は 日子
(彦)・日女(姫)で太陽の子です。
 
これは――つまり ネコとヒコとは――

 (あ) 一人の人の身体と精神とに当てはめられるでしょうし 

 (い) あるいは市民政府のもとに 市民一般と 市長および公務員
    (つまり公民)とにやはり当てはめて捉えてもよい

と思います。つまり社会形態としても 確立したかたちを採り始めたと考
えられます。

すなわち この《ネコ‐ヒコ》連関は そのような内容をもって 《イリ
(入り)》なる歴史知性の誕生を見たと捉えます。

崇神ミマキイリヒコイニヱの《イリ》であり《ヒコ》であり 歴史知性と
いうのは 人のきよらかな自然本性にそのまま《入り》したというその自
己到来のことです。(これを 《ブッダ(目覚めた)》と言っても罰は当
たらない)。

あるいは 目の前の現実の世界にそのまま――理屈抜きに もののあはれ
を知った境地のもとに――《入り》したとしてもよい。




その以前では イクタマヨリヒメというように《ヨリ(憑依)》の知性だ
ったわけです。

アニミスムないしシャーマニスム(たとえば 《鬼道をよくする》卑弥呼
を想え。つまりそれは 崇神ミマキイリヒコの少し前の三世紀の出来事で
ある)であり 何ごとにも寄り憑くというべき歴史知性以前の知性です。

原始心性とも言います。これも シントウの原始的なかたちだろうと思わ
れます。その《何ごと》とは ほとんどすべてが《かみ》と呼ばれたので
すから。

 


人は 《イリ歴史知性》の自覚のもとに ものごとに対して 《ヨリ原始
心性》として世界のものごとに寄り憑くことが少なくなった。このように 
歴史的な(時間的な・相対的な)自然本性に自己が到来するなら 人間の
生活そしてさらには 人類の社会と歴史は すでにふつうに(つまり現代
人とあたかも同じように) 営まれていくと言えます。
(潜在能力が ただちに現われようとして待機している状態にまで来たと
言えるでしょう)。


かんたんですが この記述をもって 神道の神学の出発点と考えます。そ
の心は 崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトも いかにスメラミコトと言
えども カミ(オホモノヌシ=ヒトコトヌシなるカミ)ではないというこ
とだと思われます。
(のちにアマテラスを奉じるタラシ・ワケ系が その神の座にみづからが
アマアガリをおこなって坐ったという経過なわけです。これは シントウ
の第二次展開です)。

       *

もう少し述べます。まづ世界は次のように成り立っているというのが シ
ントウの世界観です。

○ (モノとコト e = mc^2 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~

 モノ(物)―――もの(者)―――――――オホモノヌシ(大物主)
 コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)―ヒトコトヌシ(一言主)
  ↓        ↓            ↓
 自然・社会・・・・ひと・・・・・・・・・・・かみ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ヒトコトヌシ(一言主)のカミというのは カミでありつつ現実の姿
になって 雄略ワカタケルの前に 葛城山で現われたと言われます。話も
したと言い そのとき一言主の神は こう名乗ったという。

  《あ(吾)は悪事(まがごと)も一言 善事(よごと)も一言
  言離(ことさか・言い放つ)の神 葛城の一言主の大神ぞ》
                        (古事記)

ここで《良し悪し》として倫理の問題が出て来ますね。
 
☆ 世界に《イリ》した歴史知性なる人間の その世界における位置づけ
が重要だと考えます。《ひと》と《かみ》との間のへだたり および 近
しさ このことが重要ではないかと。

天皇という漢語が当てられたスメラミコトも 仮りに現われた仮りの存在
としてカミと呼ぶことはあっても(ほんとうは ないはずですが) カミ
なのではないということ。

もしカミであるとなるとすれば それは 別様の――第二次の・傍系の・
ゆがんだ――神学になるだろうと捉えます。
 
いかに多くのカミガミが現われても それらはすべて《オホモノヌシ=ヒ
トコトヌシ》としての唯一なるカミのもとにまとまっている。こう捉えま
す。名前がふたつに分かれますがこの神が 普遍神です。
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日本書紀を作った時の創作ですからね。

でも日本神道全部を同じ視線で見るのは違うと思いますが。
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