数日前、わたしのFacebookのドイツ人の友人が、「最近のヨーロッパでの極右の台頭が怖い」といってきたので、「ヨーロッパだけじゃなく、日本でもアメリカでも同じだよ」と返信しました。
ところで、そのドイツの友人と、『顔のないヒトラーたち』という映画が話題になりました。
彼女やその友人のドイツ人も知らなかったということですが、わたしも未見ながら見てみたいと思っています。
その時の彼女の言葉「ナチスの犯罪はほとんどのドイツ国民が知っている、ただ一部の極右はそれを認めようとしない」ということばに考えさせられました。
「ホロコースト」を否定すること、それは何らかの「洗脳」であるのか? だとすれば、それは誰による洗脳であるのか? 或いは自ら「それ」を「否定する」という途を、自ら(主体的に)選択したのか?であるならば、それは何故か?
自分も含めて、人間て、そんな崇高なものじゃない。「かれがやったこと」を、何故「われはやらない」と言えるのか?
何故やったことを「やらなかった」ことにしたがるのか?いや、「やったこと」を「やらなかったことに」したわけではなく、そもそもそれははじめから「なかったこと」なのか?
上記のようなことを考えていると、歴史的事実は「神」の存在同様「不可知」の領域であるから、「ある」というひとにはあり、「ない」というひとにはない。それが我々の歴史=過去の出来事へのアプローチの限界なのか?
例えば、今年はフルシチョフによる「スターリン批判」60年目にあたりますが、プーチン政権下で、スターリンの再評価の機運が高まり、また政府による情報の統制(国家機密と個人情報に関する法律の壁)によって、スターリンに批判的な過去の記事には、専門家でさえアクセスが困難だと言われています。
これもまた「神」とは別の次元での「不可知の領域に」組み込まれつつあるようです。
歴史を学ぶとは、結局、「それについての様々な「解釈」を学ぶ」という意味に他ならないのか?
歴史的認識についてのお考えをお聞かせください。
暑くて参っていますので、お礼が遅れるかもしれませんがご了承ください、
みなさまもご自愛ください。
A 回答 (12件中11~12件)
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No.2
- 回答日時:
歴史自体は、それを体験した人が死んだら、後は記録や伝承だけになります。
(つまり、痕跡が無ければ、その後は消えて無くなります)ホロコーストに関しては、まだ体験した人は生きているわけです。(高齢ですから、記憶は曖昧になっているかもしれません)
ですから、完全に無かったとは言うのは、難しいのは確かでしょう。
どちらにしろ、記録が失われれば、その痕跡は消えて、歴史は改竄されて行くのは事実です。
古代であれば、征服国家が、征服した国家の記録を消して、歴史を改竄するのは、良くある事だったと言えます。
歴史学者は可能な限り、残された痕跡や記録、伝承を調査して、歴史的整合性のとれた、歴史的事実を構成します。
ただし、それが完全なものとなる保証は無いわけです。
すでに、日本史においても、聖徳太子として認識していた人物は、歴史的に存在しなかったと言う説が主流となっています。
したがって、近代や現代においても、将来は歴史が正しく伝わらない可能性は確かにあります。
国家としては、正しい記録を残すために、可能な限りの書籍を所蔵しています。(日本では国会図書館です)
ただし、国家自体がそれを改竄したり、破棄する可能性は、排除できないですよ。
歴史を正しく認識するには、可能な限りの記録・伝承を集めて、その整合性を確認して、信頼できる部分を組み合わせる方法しかありません。
細部は失われても、その大きな流れは、ほぼ正しいわけです。
歴史を学ぶと言う事は、正しいと思われる、歴史を再構成する事と、その歴史的な流れを認識する事です。
歴史が、人間がどう考えて、行動してきたかを教えてくれる事を信じて、それを追求する事でしょう。
こんばんは。ご回答をありがとうございます。
>歴史を正しく認識するには、可能な限りの記録・伝承を集めて、その整合性を確認して、信頼できる部分を組み合わせる方法しかありません。
けれども、その「正しいと思われる」といい、「整合性」といい、「信頼できる部分」の集成といっても、その確からしさの根拠をどこに求め得るのか?という問題はないでしょうか?また、その「正確さ」は、何者によって判断され得るのでしょうか?
>細部は失われても、その大きな流れは、ほぼ正しいわけです。
「細部を失った大きな潮流」「細部の真実性を欠いた全体的な確かさ」というものに、なにか矛盾を感じてしまうのです。
言い換えれば、「全体」とは正確に嵌めこまれた無数のジグソーパズルのピースようなものであると考えるとき、細部の誤謬の積み重ねが巨大な正しいであろう潮流に成りうるのか?という疑問が残るのです。
No.1
- 回答日時:
~~~~~~~~~~~~~~~~
3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(ヤ)むことがない。
4 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/da …
~~~~~~~~~~~~~~~~~
Tissattheravatthu
Akkocchi maṃ avadhi maṃ,
ajini
maṃ ahāsi me;
Ye ca taṃ upanayhanti,
veraṃ tesaṃ na sammati.
Akkocchi maṃ avadhi maṃ,
ajini maṃ ahāsi me;
Ye ca taṃ nupanayhanti,
veraṃ tesūpasammati.
Kāḷayakkhinīvatthu
Na hi verena verāni,
sammantīdha kudācanaṃ;
Averena ca sammanti,
esa dhammo sanantano.
Khuddakanikāya
Dhammapada
https://suttacentral.net/pi/dhp#3
~~~~~~~~~~~~~~~~
sanantano primeval; old; eternal. (adj.)
それが「永遠の」という意味らしいけれど、
仏教のそれも、上座部仏教のそれも初期の経典とされるダンマパダ
において、永遠が出てくるのは、不思議で、
最近、ブラジュロンヌさんのところで
永遠を話題にしたから、そのうち、このダンパダの永遠も考察する
かもしれない。
何度も休むといったのにこうして
投稿していたら、機嫌を悪くするかもしれないが。
いやとっくに機嫌が悪くなっているかもしれない。
こんばんは。
>実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
この「ダンパダ」というのが何であるのかわかりませんが、
確かに「怨みに報ずるに、怨み以て為すなかれ」ということも事実でしょう。けれど、では現実に我々はどうしたらいいのかを考えなければ一歩も先へ進むことはできずに、同じ場所で10年一日の言葉を唱えているだけになってしまいかねません。
ただ今回の質問である「歴史的事実」とはなにか?という問いに対して、このご回答がどのように結びついてくるのかがよく理解できませんでした。
ご回答をありがとうございます。
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おすすめ情報
マーク・トゥエインの言葉があります。
『歴史はそれ自体繰り返すことはないが、それは韻を踏む』
因果は巡る小車...9.11も、ISも、歴史の「脚韻」といえるのではないでしょうか....
”The only reason people want to be masters of the future is to change the past.”
― Milan Kundera
今回の質問で、わたしは今だ(そしておそらく今後も、ドイツにおけるホロコーストのような形で)評価の定まらないであろう日本現代史のあれこれの事件について、それの正否(存否)を問うているのではありません。
歴史というものは、結局「相対性理論」同様に、観測者(観測する地点によって)異なるものであるのか?いや、厳密に精査すれば普遍的な事実が存在するはずだという、二つの立場が考えられ得ると思うのですが、みなさんはどちらの(どのような)立場を採りますか?という問いでもあります。
ある事柄について、身近な例では学校でのAくんとBくんの喧嘩について、周囲の人間はどこまで「客観的に成りうるのか?」或いは「成り得ない」のか?
歴史=過去の出来事が我々に語りかける声は、「どのようにもご自由に解釈してください」所詮は「死人に口なし」ですから、という身も蓋もない結論に至るのか?というようなことなのです。
今回の質問に関しては質問者自身が五里霧中であり、みなさまからの「回答」に自分なりに納得のゆく「返答」が出来ていなことを痛感しました。
質問者として、知識不足と感じましたので、今回の質問は一旦締め切らせていただきます。
みなさん、ご回答をありがとうございました。
尚、本日図書館で以下の書籍を取り寄せてもらいました。
◇
「過去の克服 ヒトラー後のドイツ」石田 勇治/著 2006年 白水社
「戦争責任の受けとめかた ドイツと日本」加藤 周一/著 1993年 アドバンテージサーバー
「過ぎ去らぬ過去との取り組み 日本とドイツ」佐藤 健生/編 2011年 岩波書店
「戦争責任・戦後責任 日本とドイツはどう違うか 朝日選書 506」 粟屋 憲太郎/他著 1995年 朝日新聞社
「歴史学の未来へ」ノーマン・J.ウィルソン/[著] 2011年 法政大学出版局
「歴史哲学への招待 生命パラダイムから考える」小林 道憲/著 2013年 ミネルヴァ書房
「京都哲学撰書 第12巻 現代史への試み」上田 閑照/監修 2011年 燈影舎
以上、歴史哲学というよりも、主に戦後日本史及び戦後のドイツと日本との相違の観点からの選書です。