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would、could、might について疑問に思うことがよくあります。これらの助動詞は仮定法として使用されるのが一般的であると教師から説明されましたが、実際に色々な英文(主に、大学受験での英文)に接し、wouldなどの過去の助動詞が出てくると、大抵は婉曲だとか、筆者の想像を表すといった解説を目にし、教師に解説を求めた場合にも同じように返答されることが多いのですが、そもそも婉曲や筆者の想像も仮定法ではないのか、いつも疑問に思います。それで、教師に問い詰めてみると、これは仮定法というより婉曲であると思うと言われ、では何故仮定法ではないのか聞き返せば、仮定法はあくまで事実とは反対といった観念を表す表現であるから、やはりここでは婉曲であるとジャッジ出来るだとか、時には仮定法とも捉えられるし、過去の習慣とも捉えられるし、婉曲や、あるいは丁寧さを、それから筆者の想像を表現しているとも捉えらるといった曖昧な説明で終了してしまうこともしばしばで、自分としては納得出来ません。
そこで質問なのですが、仮定法と婉曲や筆者の想像というのはそれぞれ別の概念ではないのですか?また、英文を読み慣れていても、仮定法と婉曲や筆者の想像、もしくは過去の習慣、あるいは過去の推量のどの使い方か判然としない場合があるのでしょうか?

例文も無く、また説明が分かり辛くて本当に申し訳ないのですが、教えて頂けましたら嬉しいです。

A 回答 (1件)

仮定法の用法から転じた表現で、あるネイテイブに同じような質問した時、彼らは仮定法という意識はないという事がわかりました。

ジーニアスやオーレックスでWouldやCouldをひくと仮定法と直接法(これは単に過去を示すだけ)に加え独立法という分類があります。なので仮定法から来たのだけど既に違う用法(仮定法の枠を超えた独特の用法)という意識があるのかなと思います。

でこういう細かい文法はおそらく文法を研究している学者レベルの話かともおもいますし、完成してないところは一般化してないので英語を教えている教師は知らないか、知っていても高度過ぎて英語を教えるには使えないかだと思います。もしこの辺をはっきりさせたければ英語ネイティブレベルの実力を持ち他のヨーロッパ言語なども把握した上で(どのようにしてこのような言い回しができてきたかという点で参考になるので)、論文を書くというぐらいのレベルではないかと思います。

>時には仮定法とも捉えられるし、過去の習慣とも捉えられるし、婉曲や、あるいは丁寧さを、それから筆者の想像を表現しているとも捉えらる

これはネイティブでもそうだし、勘違いすることもあるのだと思います。典型的な状況でない場合は紛らわしい表現とも言えるでしょう。
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