激凹みから立ち直る方法

第二次大戦でなぜ連合軍はドイツ本土まで侵攻したのでしょうか?
ドイツの占領から解放すると言う意味ではそこまでする必要はあったのか。

A 回答 (5件)

ベルリン陥落までドイツが降伏しなかったからです。



第一次大戦の場合、1918年3月にドイツ軍が春期攻勢でパリ付近まで
進行しましたが、米軍の参戦や長引く戦争による士気の低下などで
連合軍の攻勢を支えきれず、フランスでのアルゴンヌの森の戦いなどで
交戦中にドイツ革命が起こって11月には休戦協定が結ばれました。

日本の場合、日本が降伏したので一部を除いて戦闘終了しましたが、
もしそのまま継続していた場合には日本に上陸するつもりでした。
九州のオリンピック作戦と関東の」コロネット作戦で
総称したものがダウンフォール作戦です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6 …
もしポツダム宣言を受諾しなければ、東京も陥落したかもしれません。

ある意味、日本の本土に侵攻されたのが沖縄・硫黄島・北方領土ですが、
このうちソ連はポツダム宣言受諾後も侵攻しました。
しかも、ソ連軍総司令部(スタフカ)が停戦命令を出した8月24日、
日本の降伏文書にソ連代表も調印していた9月2日も戦闘中で、
停戦したのは9月5日です。
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ヒットラーが降伏しなかったから。


(自殺後、東西各々将軍が無条件降伏した。)

国境に至る前で降伏があったら
武装解除、進駐、占領となったでしょうね。
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結局のところ戦争は相手国の占領によって終結するからです。



ドイツの場合はソ連の赤軍が南下し、ドイツを支配、さらに地中海まで進軍するのではないかという危惧があり、
連合国、特にイギリスはソ連の動きは警戒していました。
結果、ドイツは4カ国により分割統治され、1990年まで西と東に分断されてしまいます。

日本も同じで戦争末期には日ソ中立条約が破られソ連が参戦、沖縄戦での敗北、広島長崎への原爆投下で無条件降伏を受け入れました。
実は日本にもドイツに同じく4カ国による分割統治案がありましたが
ソ連を参加させない(共産主義をはびこらせない)という連合国の意志の下で逃れることができました。

最終的に両国とも連合国の占領政策下で平和国家として生まれ変わり今に至ります。
確かに戦後レジームには賛成できないところはありますが、
現在に生きる私たちは今この現在のドイツ、そして日本を肯定するしかないと思います。
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国境で寸止めしたら、ドイツが戦闘を止めるって話が有ったの??

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「ドイツの占領から解放する」のが目的ではないから。

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