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第二次世界大戦が始めた責任は東条英機etc・・・となっていますが。彼は戦争を回避しようとした人物でもあると聞きました。私も何かで読んだことがあります。大日本帝国1の右派で、一番戦争責任があるんじゃないかと思われる人物がいれば教えてください。

A 回答 (3件)

まぁこのあたりはいろいろな考え方もあるのでしょうが、少なくとも大東亜戦争の戦争責任については、いわゆる東京裁判で裁きが終わり、その後のサンフランシスコ講和条約をもって国際法上の戦後処理が(形式的には)完了しております。


従いまして、何百年も前のことならともかく、まだまだ当時を知る方が多く生存しておられる今日において、その戦争責任を云々するのは、刑事責任追及の大原則である『一事不再理』に反することにもなり、適当ではないと思います。

とはいえ、あくまで歴史考察の一つとして論じるなら、戦争なんてのは、だれか一人の個人がいくら頑張っても、そう簡単に起こせるものではありません。
戦争責任者として時の為政者など個人の名前が挙がることがあっても、それは、たとえが適切ではないかも知れませんが、企業や政党内の不祥事において、社長や党首の名前が「責任者」として出てくるようなもので、管理監督責任、あるいは、立場上対外的に責任を表明する意味での個人名であり、必ずしもその本人が、悪事の考案、企画、準備、実行を行ったということとは限りません。
例えばいちヒラ職員が個人的に横領罪を犯した場合でも、対外的には役員や社長が「私は責任をとります」と言って謝罪したり減給に甘んじたりするような場合もあります。これをもって、その職員の犯した犯罪について一番の責任者は社長だとは言えないと思います。

私は東条英機や当時の政治家達がどのような人物なのか詳しくは存じません。ただ、戦争というのはいろいろな意味で大変に大きな出来事であり、個人の伊達や酔狂でできるものではありません。戦争するぞという風潮、雰囲気、流れ、というようなものが醸し出されてこそです。誤解なきよう申し上げますが、私は当時のいわゆる戦犯と言われる人々に何の責任もないとは言いません。しかし、個人の責任を追及して済むものであるとも思いません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2004/08/23 13:31

質問者の問いとは違った意味で石原莞爾だとは思いますが、彼は盧溝橋事件などで中国との戦端を開く方針であったと理解しています。

しかし本来戦争責任などという言葉は無意味です。

多分之は連合国も含め《当然日本国民も》全体の責任である筈ですし、東京軍事裁判等と言う物はあくまでも勝った側が負けた側を裁いただけと考えても何ら不思議と思いません。イラク戦争を見ればイラク国際軍事法廷を開いてもフセインがA級戦犯になってもブッシュがA級戦犯で裁かれる可能性はありません。《東京裁判当時の裁判判例にてらしても矛盾だらけです。まず第一にブッシュは最初の戦争を起こした罪に問われます。》

A級戦犯などの区別ですら戦勝国の勝手な区分ですから
靖国問題でA級戦犯の合祀問題がマスコミで言われますが、彼等は私利私欲のために戦争を拡大した訳ではないと思います。もし罪を問うとすれば、外交、戦略、等の判断ミスと戦争を長引かせ双方(どちらかと言えば日本国民)に多大な犠牲を強いた罪と言えば裁く事が出来るかも知れません。

多分石原莞爾は東京裁判で戦犯の罪を覚悟して申し出ましたが裁かれなかったと記憶しておりますが!!!!
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2004/08/23 13:30

 歴史にいいも悪いもないと思います。

。。
・・・なんて答は意地悪ですかね?^^;

 戦争に至る過程というのは複雑です。どこかの独裁者が
「世界を征服してやる!」
と言って戦争を起こすような単純な話は、なかなかありません。大国同士の利益・思惑が複雑に絡み合った結果ではないでしょうか。

 日本が大戦に加わったのも
「状況的にそう追い込まれたから」
という言い方もできます。
 たとえば、「ハルノート」などで検索してみると、いろいろな資料に出会えますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2004/08/23 13:28

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