誕生日にもらった意外なもの

自分が間違ってたり、ひねくれてたり、行き詰まったりしているにも関わらず、そんな自分を正当化しようとして更に焦燥感に駆られる。そんなことってありませんか?
自分を無理に正当化することをやめたなら、心は楽になるのに。

A 回答 (7件)

正当化しないと周りに押し潰されてしまう。

そうゆうのは致し方ない。今は焦らずに流に身を任せてみては
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この回答へのお礼

おお、フォローありがとうございます。

お礼日時:2017/04/25 10:41

集団的知性(しゅうだんてきちせい、英語:Collective Intelligence、CI)は、多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性である。

Peter Russell(1983年)、Tom Atlee(1993年)、Howard Bloom(1995年)、Francis Heylighen(1995年)、ダグラス・エンゲルバート、Cliff Joslyn、Ron Dembo、Gottfried Mayer-Kress(2003年)らが理論を構築した。
集団的知性は、細菌、動物、人間、コンピュータなど様々な集団の、意思決定の過程で発生する。集団的知性の研究は、社会学、計算機科学、集団行動の研究[1]などに属する。
Tom Atlee らは、Howard Bloom が「グループIQ」と呼んだものから一歩進み、人間の集団的知性に研究の焦点をあてている。Atlee は集団的知性を「集団思考(集団浅慮)や個人の認知バイアスに打ち勝って集団が協調し、より高い知的能力を発揮するため」のものと主張している。
集団的知性研究のパイオニアである George Por は、集団的知性現象を「協調と革新を通してより高次の複雑な思考、問題解決、統合を勝ち取りえる、人類コミュニティの能力」と定義している[2]。Tom Atlee と George Por は「集団的知性は、関心をひとつに集中し、適切な行動を選択するための基準を形成する能力がある」と述べている。彼らのアプローチは Scientific Community Metaphor を起源としている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/集団的知性


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ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas, IPA: [ˈjʏʁgən ˈhaːbɐmaːs]、1929年6月18日 - )は、ドイツの哲学者、社会哲学者、政治哲学者である。ハバーマス、ハーバマスとも。


思想[編集]
ハーバーマスは、フランクフルト学派第二世代に位置するが、第一世代の批判理論を承継しつつも、これを批判し、彼らによって生に従属する道具的理性として貶められた理性の復権をめざす。ハーバーマスは、『公共性(圏)の構造転換』(1962年)において、公共圏は、言論や出版の自由を得て自由に討論することにより政治的に参加することができた18世紀の市民社会においては、専制政治を行う国家の権力による「封建化」に対抗して家族や職場等の私生活の領域を解放する仲裁役として理想的に機能したが、19世紀後半に現れた大手企業やメディアが国家を支配する高度資本化による大量消費社会においては、公共圏が「再封建化」されるという構造転換があったと主張する。ハーバーマスは、『コミュニケーション的行為の理論』(1981年)では、20世紀において再封建化が進み衰退した公共圏の理想的な姿を取り戻すためには、人と人が相互の了解を追求・達成するコミュニケーション行為によって人を理解し、普遍的な社会批判の根拠を成し、より民主的な社会伝達や交流を可能にする、と主張した。マックス・ヴェーバーによれば、近代の合理化の進展につれ、それ自体が自己目的化し、本来人間のための合理化が逆に人間を鉄の檻のように包囲し、規定するという逆説的な状況が生まれた。彼の近代合理主義論を承継したマルクスやホルクハイマー、アドルノらフランクフルト学派第一世代は、社会の合理化を目的合理性のみととらえたところに過ちがあり、このようなシステム合理化のみならず、それと並行しておこった生活世界の合理化に着目すれば、近代的な理性を復権させることができるとする。


https://ja.wikipedia.org/wiki/ユルゲン・ハーバーマス


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公共とか。
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この回答へのお礼

アリンコなんかは、集合的知性があるでしょうね。共通の目的を持つ事によって集団行動がとれるようになる。

人はコミュニケーションによって相互理解するのではなく、自分を知る事によって、他の人の抱える問題などに共理解する事ができるようになるのではないでしょうか。
コミュニケーションは情報交換ですが、他の人のことを理解するのは情報交換ではなく心の理解のような気がします。簡単に言うと、痛みを自分の身を以て知っているから、他の人の痛みも分かるというような。

お礼日時:2017/04/25 23:31

人間の思考パターンとして宗教の理想として表現される


onenessとかunityはすると一体何なのだろう。

なぜそのような思考をパターンとして精神は持っているのか。

この場合は理性か。理性はなぜ集合知になってしまうのか?
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この回答へのお礼

誰かに認められたい、それも全面的に容認されたい、そんな気持ちからワンネスとかユニティと言う思考パターンが現れるのだと思います。集合知を認知するのは理性なので、理性は集合知の外にあって、集合知とは違うと思います。

お礼日時:2017/04/25 23:22

★ 自分を無理に正当化することをやめ


☆ ていない事例・やめない事例が 現われましたね。

つまり 理由や根拠は 二の次になっている場合が それです。

自己の不当であることが 明らかになったと感じるからなので
しょうね。
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この回答へのお礼

自己の不当が明らかになることをおそれるから、無理な正当化をしてしまうのかもしれません。ありがとうございます。

お礼日時:2017/04/25 23:19

「そんなことってありませんか?」


⇒たくさんありますね。

「自分を無理に正当化することをやめたなら、心は楽になるのに」
⇒多分、負けたくないのでしょうね。

でも、結果として孤独に陥ります。
そして、徐々に生命の力も尽きていきますね。
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この回答へのお礼

ですよね、やっぱり無理な正当化は無理がたたりますよね。自分の癖を見直す目の付け所は間違ってないのかなと思いました。
ありがとうございます。

お礼日時:2017/04/25 23:17

自分の及ばない所を正面から見つめるところから、


向上心は湧いてくるものです。
自尊心によるうわべの強がりならまだしも、
心の底まで正当化を信じて、他人を攻撃する輩は、
そのレベルから向上する事はありません。
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この回答へのお礼

向上心ですか。前向きですね。
自分を正面から見つめるのは難しいですが、それ自体が私にとっては及ばないところなので、及ぶようにしたいと思います。
ありがとうございます。

お礼日時:2017/04/25 23:16

こんにちは。



★ 自分が間違ってたり、ひねくれてたり、行き詰まったりしている
〔にも関わらず〕
☆ これは 誰が判断したのですか? すでにどこから見ても・誰が
考えても 決まっているということですか?

自分はまだ おのが信念と思想に確信を持っているならば いかに四
面楚歌であったとしても なお事態を確かめつつ はじめからの方針
にしたがってすすむはずです。

もしすでに自分も確信が持てなくなっているのなら わざわざ自己の
正当化を ふつうは しないでしょう。

ですから 問いをめぐる情況の設定が あいまいではないでしょうか?
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この回答へのお礼

なんか、自分で間違っていると感じてるから、正当化をして均衡を保とうとしているように思うのです。だから、余計に苦しくなるという。

お礼日時:2017/04/25 23:13

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