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落語フアンクラブ編の“落語大看板列伝を、興味深く読んでいます。その中に、桂枝雀が載っています。
当時、上方落語では、端正な芸の師匠・桂米朝と、爆笑落語の弟子・枝雀が。人気を分け合っていました。

師匠の米朝は、弟子の枝雀から、晩年、精神的な面での相談を受けて、責めることもできず、
<私はそういう経験がないから、なんとも意うてやれん。>
と、述壊しております。それに続いて
<その点、柳家小三冶とは話が合ってね、随分話をしたらしい。枝雀の追善会の時小三冶がやって来て「個人的にことを言えば『うまくやりやがったな』と言いたい。ずるいよ」と言ってね、それが一番印象に残っていますわ。>

質問は、柳家小三冶が言った“『うまくやりやがったな』”とは、どういう意味のことでしょうか?

A 回答 (3件)

枝雀は人気絶頂で実力バツグン、しかもエネルギッシュで勢いがある一番面白い時期に


死んでしまったので、後世まで伝説の落語家として名前が残る。しかし、自分はやがて
年を重ねて体力もなくなり、枯れていく芸を続けていかなければならない。
だから、「うまくやりやがったな。ずるいよ」と言ったんじゃないでしょうか?
当然、逆説的な意味も込めての追悼だと思いますが。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
枝雀は、人気絶頂に亡くなり、
<後世まで伝説の落語家として名前が残る。>
一方、自分(小三治)は、いずれは
<枯れていく芸を続けていかなければならない>
という、見通し(?)に残念な気持ちであった、ということですね。
そして、落語家の諧謔(ブラックユーモアのようなもの)もあったのですね。

お礼日時:2017/09/10 19:38

一般的に、枝雀は大変人気がありましたが


違う目で見たら
あそこまでしなくても十分できる落語家だという
評価もありました

このまま今の人気で行くべきか
それとも米朝のような道を行くべきか
悩んでいたのだと思います

志ん朝が亡くなった時も
談志は「いい時に亡くなった」と言っています

同じようなコメントですね

小三治のコメントは
これからどうすべきであるかという回答を
出さないままなくなったわけですから
人気の絶頂に亡くなったのですから
タイミングとしては良かったという
意味に取るしかないように思いますね
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
人気者の枝雀といえど、今後もそのままの路線(爆笑落語)で行くか、あるいは、師匠のように行くか(なってしまうのか)、いずれ、その分かれ道に立たされ悩むはずだが、それに遭わなくてよかった、ということですね。

お礼日時:2017/09/10 20:57

やりたいことをやって、さっさとこの世をおさらばしたこと。

長生きすれば芸道への苦悩が深まるだけだから、いいとこ取りだね。ああ、あいつに苦労させてみたかった、どんな芸になったやらということ。
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