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タイトルどおりです。

「主客未分」の意味を中学生の子供に理解させる分かりやすい説明や良い例文はない物でしょうか。

国語の問題文に出てきているのですが、この言葉が良く理解できず
煮詰まっています。

A 回答 (3件)

主体と客体に分かれていないこと


すべては「自分」と「他」という考え方ができますが、
それを区別しない混沌とした状態……分かりにくいですね。
どういう問題で出てきているのでしょうか。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

自他との区別がない・・・やはりそういう感じになりますよね。

私の調べ方も悪いのかもしれませんが、仏教用語?のようでさらに難しい説明ばかりでした。

大井道夫著「風景への挽歌 私の自然保護論 」からの読解問題です。

この語には注釈がなかったのですが子供も国語辞典をひいたりしていたのですが、載っていませんでした。

中学生が知っている言葉じゃぁないですよね。
理解するのもなかなか難しいと思いました。

お礼日時:2007/08/30 21:29

西田哲学のようです 主客未分


http://www.nishida-philosophy.org/syusi.html
何の事やら orz

観察対象と観察する自分を分けることなく、自分も観察対象の中に投入して感じることが重要だ。

ってなことのようです。
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この回答へのお礼

ちらっとURL見てみました。

普段新聞や本を読んでいても理解できないような小難しい文章ですね。

<観察対象と観察する自分を分けることなく--------->
ちょっと中学生には難しいですが「自他を区別しない混沌とした状態」ですね。

今この国語の問題を解けてもこの深い意味は身になるとは思えませんね(笑
いちいち辞書をひく子なので載っていなかった今回は、多分アドバイスがなければ分からなかったのでしょうが、知らない言葉であっても前後の文から推測してだいたいの意味を推し量って解く事は出来たんじゃないか・・・と思い、皆様を煩わせてしまった事に反省しておりますが、こういう場で皆さんのお知恵を借りられた事で前に進められました。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/08/31 12:28

もう少し、前後の文章があれば、説明できるかもしれませんが。


「主客未分」は、仏教用語としても、少し変なような気もします。

例えば、禅宗で、師匠と弟子が問答をする場合、師匠が主、弟子が客となって問答をするのですが、優れた師匠と弟子のやりとりであれば、主と客が入れ替わって、弟子が師匠をやりこめる、といったことがあります。これを「主客顛倒」と言ったりします。

また、結局は主も客もない、融通無礙であることを、「主客相忘(主客あい忘る)」「不論主客(主客を論ぜず)」などと表現したりします。

いずれにしても、仮にであっても、まず主と客を立てないことには、「主客顛倒」「主客相忘」などと言うことはできません。

ご質問の「主客未分」だと、「主客未だ分かれず」ですから、「主も客も未だ区別がない」となります。つまり、ANo.1さまがおっしゃるように、“主と客が混沌とした状態”としか言いようがないように思います。

仏教で説くのは、主と客が未だ分かれていない混沌とした状態ではなく、主と客を認めた上で、この二つは別物であって別物ではない、不一不二的な考えだと思います。
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この回答へのお礼

丁寧にお答えくださってありがとうございます。
主客顛倒は日常で一度は耳にする言葉ですよね。主客を使った用語は結構あるのですね。

「日本人の自然観は自然と人間とを明確には区別しないものである。私たちの胸の底では、自然と人間とは主客未分の状態にあるのである。」

結局no.1さんのアドバイスを元に前後の文章から憶測して解かせました。(問題の答が合っているかは分かりませんが 笑)

いちいち辞書をひく子なので載っていなかった今回は、多分アドバイスがなければ分からなかったのでしょうが、知らない言葉であっても前後の文から推測してだいたいの意味を推し量って解く事は出来たんじゃないか・・・と思い、皆様を煩わせてしまった事に反省しております。

お礼日時:2007/08/31 12:19

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