プロが教えるわが家の防犯対策術!

1. 《わが固有の時》とは 境のない密室である。

2. 《非思考の庭》とは 心の明けなる奥の院である。


3. 《わたし》は 閉じられていない。

4. しかも 社会相対的にながら――ほかの人との関係の世界にあって
しかも―― 独立している。ゆえに《密室》であり《奥の院》である。


5. この《時》・この《庭》によって 《わたしはわたしである》。

1=1. 
( 1 というのは 自由意志が一個であり 判断と選択がそのつど 1だ
ということ。社会関係の中におけるわたしの《独立》は この意志自由に
よる)。


6. この時・庭を去って 思考の緑野および感性の原野にあって わた
しは 《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》。

〈1=1〉x1x1x・・・・=1

具体実際には:
〈1=1〉+μ / -ν → 〈1=1〉へと還帰する。
(クリスマスツリーのかざり( μ / ν )を取り去って・取り戻して 樅の
木本体に還る。ケノーシス)


7. 《内と外との境がない・心の明け》というのは 気持ちが能天気だ
(つまり 義無きを以って義とす)ということ。《密室・奥の院》という
のは 《ルーアハ・つまり かみの霊なるナゾ》だということである。


☆ 批判・添削をどうぞ。

A 回答 (1件)

《絶対》としての精神に能力あり。


意、と云う力がこの宇宙の存在となる。
"存在"は時間と空間を伴って現象する。

現象は"個"そのもの。

"個"ゆえに境あり。
境なきように思えるのは本体と"同質"であることの証し。

いかんせん、生命は自立(存続)しなければならない。
それゆえに"我"が必須となる。

その"我"は本体と同質ゆえに、回帰という流れになる。
だが、生命はその命を全うしようという"意"を持つゆえに、願望が生じる。

この生命の状態を人間ならば凡夫という。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 《絶対》としての精神に能力あり。
意、と云う力がこの宇宙の存在となる。
"存在"は時間と空間を伴って現象する。
☆ これは ヘーゲルの《世界精神》とよぶような神のことでしょうね。

この世界精神が あたかも自己運動をも起こす。

モノ=コトなる場にユラギを起こし そこに 単体としてのモノをも生
じさせる。そして 生命体をも。

コトを起こすモノとしての生命体が 特には《存在》なのであろう。

人間については 《存在者》とも呼ぶ。これは:
★ 時間と空間を伴って現象する。
☆ または 《時間的なるもの》としてある。

★ 現象は"個"そのもの。
☆ 人間は おそらく意志自由の意志が《ひとつ》なるゆえ 《ひとり》
であり 《個・個人》なのであろう。

わたしを それ以上分割することはできないし ふたり以上をあつめて
しまっては 存在の単位体とはならない。個が 単位体である。

★ "個"ゆえに境あり。
境なきように思えるのは本体と"同質"であることの証し。
☆ ん? 《境あり》と見えるのは そのまま単体どうしであるからで
は?

★ 本体
☆ とは 最初の世界精神のことですか?

★ いかんせん、生命は自立(存続)しなければならない。
それゆえに"我"が必須となる。
☆ うむ。《自由意志》にもとづき《われ》が 自立するのでは?

★ その"我"は本体と同質ゆえに、回帰という流れになる。
☆ 《世界精神なる本体と同質》だという《われ》は 《時間的なるも
の》であるゆえ 限りを持ち相対的な存在である。

つまり 相対存在と絶対性(世界精神)とのカカハリが そこに生じて
いる。

★ 回帰という流れになる
☆ とも言えるし すでに絶対性(普遍神なる霊)が 相対存在のわれ
に宿ったとも言えるらしい。


★ だが、生命はその命を全うしようという"意"を持つゆえに、願望が
生じる。

★ この生命の状態を人間ならば凡夫という。

☆ 自由意志は 相対性の世界にあって有限で部分的な知性のもとにそ
の判断と為すべき選択をおこなう。(世界の全体をではなく 部分をの
み知って 判断をおこなう)。

ここに生じるのが クリスマスツリーの飾りであり 樅の木本体から何
かを取り去ってしまうことにもつながっている。

お礼日時:2018/01/04 21:15

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