アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

一応下記の質問に関係する気がするので「その3」にしますが、内容は違います。
【「で、起こっている」と「に、起こっている」の違いを教えてください!】 その2
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10460354.html

 ↑の質問の際は、一部のホニャララコメントを除いて適切なコメントをいただき、ありがとうございました。
 ↑のデとニは、「動作・作用の行われる時・場所」の話でした。
 今回は「動作・作用の行われる時」を表わすデとニの話です。辞書の記述は末尾に。
 一方しか使えない場合もありますが、両方使える場合もあります。

「5月いっぱい{デ/ニ}締め切ります」
 の場合は同じように使えるでしょう。「期限」を表わしますかね。
「食事の後{デ/ニ}薬をのむ」
 の場合はどうでしょうか。同じように使えますか。
 同じように使えるとしたら、ニュアンスに違いはありますか?
 
 さらにわからないことがあります。先行質問などのデは格助詞でいいと思います。
「食事の後デ薬をのむ」 
 の場合は、格助詞ではないという考え方もあるそうです。
 ネット検索したところ、「格助詞」説のほかに「助動詞」説、「後で」の形で副詞説があります。
 どう考えるのがよいのでしょうか。

https://kotobank.jp/word/%E3%81%A7-573220#E5.A4. …
===========引用開始
大辞林 第三版の解説


( 助動 )
断定の助動詞「だ」の連用形。連用中止法に用い、また、「ある」「ない」「あります」「ございます」などに続けて用いる。 〔古語の断定の助動詞「なり」の連用形「に」に助詞「て」の付いた「にて」の転。中古末から中世へかけての成立〕 → だ(助動)

〔格助詞「に」に「て」の付いた「にて」の転。中古末から中世以降の語〕

( 格助 )
① 動作・作用の行われる場所を表す。
㋐ 「デパート-買い物をする」 「日本-初めての実験」
㋑ 「…でも、…でも」の形で、場所を列挙する。 「日本-も、アメリカ-も、青少年問題には悩んでいる」
② 動作・作用が行われる時を表す。
㋐ 動作が行われる時期を表す。「では」「でも」の形をとることが多い。 「現在-は、簡単に解決する問題だ」
㋑ 動作・作用の期限・限度を表す。 「新幹線は一時間-二百キロも走る」 「一〇分間-答えてください」
③ 動作・作用を行う時の事情・状況を表す。 「はらぺこ-帰ってくる」 「挨拶のつもり-声をかけたのだ」
④ 手段・方法、または道具・材料を表す。 「ペン-書く」 「汽車-行く」 「木と紙-できている日本の家」
⑤ 原因・理由・動機を表す。 「火事-一文なしになる」 「撃たれた傷-死ぬ」 「老師の一言-さとる」
⑥ 動作・状態の主体を表す。 「委員会-作成した原案」 「そっち-ほれても、こっち-いやだ」

( 接助 )
〔一⑤ の用法から転じたもの〕 原因・理由を表す。近世での用法。 「嬶達が先へ来て七十の賀を祝うてくれた-、今日の祝ひはさらりと仕舞うた/浄瑠璃・菅原」 「馬鹿にされる-面白いのだが、馬鹿にされると気がついちやあもうおしまひだ/滑稽本・浮世床 初」 〔 (1) 格助詞「で」は、近世以前でも、意味・用法は、現代語とほとんど変わらない。 (2) 接続助詞「で」が用いられるのは近世江戸語までで、現代語では、これに代わって、「ので」が用いられる〕
===========引用終了

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    質問者が「迷惑」と言っているのに、見当違いのコメントを入れ続ける回答者って、何を考えているのだろう。
     アチコチで同じようなことをやっている。

      補足日時:2018/05/31 22:06

A 回答 (18件中1~10件)

格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの意識を表し、



「5月いっぱい<に>締め切ります」は「5月末」という固定的な時間の位置付けです。
「食事の後<ニ>薬をのむ」は、食事の始めから後への時間的な移行の位置付けです。

格助詞「で」は手段・原因・理由の意識を表すもので、

「5月いっぱい<で>締め切ります」は「5月」末をもってという手段の意識を表します。
ここから、「食事の後デ薬をのむ」 の「で」が格助詞の場合と判断の助動詞「だ」の連用形「で」の場合が区分されます。

この薬は食後服用なので、食事の後デ薬をのみます。
の場合は理由・原因の意識で使用されており格助詞です。

お腹の調子が良くないので食事の後デ、薬をのみます。
の場合は助動詞の連用形中止法または接続助動詞です。

なお、前2文の「この薬は食後服用なので、」「この薬は食後服用なので、」の「で」は接続助動詞になります。

バスの停留所で待つ二人が時刻表をながめ、「次のバスデ行こう」という場合の「デ」は格助詞ですが、「もうすぐバスがくるのデ、電車ではなくバスで行こう。」の「デ」は判断辞の連用形中止法又は接続助動詞になります。「~、電車ではなくバスで行こう。」の「で」は格助詞です。

このような区分は、形式主義からは判断できません。同一の形式が複数の品詞、意義を持ち多義化しているからです。存在の動詞「ある」が判断の助動詞「ある」に転化し、非存在の「ない」が形容詞から否定の助動詞「ない」に転化しているのを正しく判断できず、補助動詞や補助形容詞と名付け区分しているのが現在の学校文法、日本語文法の現状です。

推量の助動詞「う」が推量・勧誘・意志の意義を持ち、「問題の先送りはやめよう。」の「う」は次のように、この文だけからはどの意義で使用されているかは判断できません。

先生が生徒に諭す場合は、勧誘の意味になります。自分が、自分に言い聞かせる場合は意志になります。企業の問題の先送りが発覚し、対策がなされたのを評価して、外部の人が「もうあの企業が問題を先送りすることはないだろう」と判断して「あの企業は問題の先送りはやめよう」と述べた場合は推量になります。

これらは、文脈、つまり話者がどの意義で用いたかという話者の認識で決まります。先の助動詞の「で」なのか格助詞の「で」なのかもこれと同じです。

このように、言語は話者の認識の表現であり、形式と内容という矛盾の統一で、どのような概念にどのような形式を結び付けるかは、ソシュールの言う通り恣意的ですが、一旦規範化されれば、これを無視しては意味を伝えることはできません。

このように、言語表現にはいたるところに矛盾の結節点があり、これを無視した形式主義的な解釈では正しい理解はできません。■
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 少し細かく見ていきます。

>格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの意識を表し、
「認識」という言葉を使うのをやめ、「意義」にしたと思いましたが、今度は「意識」ですか。
 どう書いても同じことでは「時間的・空間的な位置付け〈の意識〉を表し」の〈 〉部は必要なのでしょうか。なんのためのものか不明です。
 さらに言えば「位置付け」も意味不明です。

>食事の始めから後への時間的な移行の位置付け
「移行の位置付け」とはどういう意味なのでしょうか。
 でしたら、「食事の前に」や「食事の途中に」だとどうなるのでしょうか。

>「5月」末をもってという手段の意識 
 何が「手段」なのでしょう。

>ここから、「食事の後デ薬をのむ」 の「で」が格助詞の場合と判断の助動詞「だ」の連用形「で」の場合が区分されます
「ここから」が意味不明です。
 このあと〈助詞の場合と判断の助動詞「だ」の連用形「で」〉の違いが書かれているようですが、全く理解できません。
 もう少しわかりやすくお願いできませんか。

>このような区分は、形式主義から
 類似の質問の際、毎回のように同じ言葉が並びますが、何が言いたいのか不明です。

>推量の助動詞「う」が推量・勧誘・意志の意義
 ほかの質問対する回答のコピペでしょうか。何が言いたいのか不明です。

お礼日時:2018/05/21 21:36

手段の意味を広く解釈すれば・・・、道具、場所、方法、時刻(何時何分ではなく何時)


「で」を用いるか、「に」を用いるか表現者の・・・?が現れます。
「に」は」目的格と言われるように、動詞?の目的を示すだけ、どちらかと言えば形式的な表現です。
単に、物事を言葉で描写するだけなら「に」でも十分なのかな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>手段の意味を広く解釈すれば・・・、道具、場所、方法、時刻(何時何分ではなく何時)
 最後の「何時」はなんて読むのでしょう。「なんじ」と読んでも「いつ」と読んでも意味がわかりません。

>「で」を用いるか、「に」を用いるか表現者の・・・?が現れます。
「・・・」には何が入るのでしょう。当方にはわかりません。

>どちらかと言えば形式的な表現です。
>単に、物事を言葉で描写するだけなら「に」でも十分なのかな。
 もう少し具体的にお願いできませんか。

お礼日時:2018/05/21 21:39

次のようなやり方でどうつながるか試してみてください。



つけられる語
 はっきりした年月日 「平成30年5月20日」
 はっきりした時刻  「午後3時33分」
 昨日・今日・明日・先週・今週・来週・先月・今月・来月・先年・今年・来年
 〇世紀・〇〇時代
 いつの日(年)か・またの日・次の日(年)・来たる(年月日)

つける語
 「で」・「では」・「でも」  「に」・「には」・「にも」 

つけられる動詞
 始まる・始める・終わる・終える・締めきる・開始する・終了する など。

 「で」の方は「終わる」「締めきる」「終了する」にふさわしいと思います。

  【「で」の成り立ちについて】

『に‐て』

【一】
(断定の助動詞「なり」の連用形「に」に接続助詞「て」の付いたもの)
(1)「なり」の叙述を中止して、下に続ける。…で。…であって。

*徒然草〔1331頃〕一一三「数ならぬ身にて、世の覚えある人を、へだてなきさまに言ひたる」
(2)(「あり」「なし」「はべり」「候ふ」などの補助用言を伴って)断定的な陳述を表わす。…で(ある)。

*平家物語〔13C前〕一一・逆櫓「此の風は追手にて候へども、普通にすぎたる風で候」
(3)(多く「…を…にて」の形で)…として。…にして。

*徒然草〔1331頃〕一八四「天下を保つ程の人を、子にて持たれける」
【二】

(完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」に接続助詞「て」の付いたもの。中止に用い、また、「あり」などに続ける)
動作・作用が完了したままの状態にあることを表わす。…してしまっていて。…していて。→にたり。

語誌
(1)【一】は「にして」と同義と認められるが、上代では用例が少ない。中古では「にして」が主として漢文訓読系に用いられるのに対して、「にて」は和文系に多く用いられた。
(2)口語の助動詞「だ」の連用形「で」はこれから生じた。


『に‐て』 〔格助〕
(格助詞「に」に接続助詞「て」の付いたもの)口語の「で」に当たる。
(イ)場所や時を指示する。
*尋常小学読本〔1887〕〈文部省〉一「ふたりの女の子は、その下の石の上にて、ほんを見てゐました」

(ロ)手段・方法・材料などを示す。
*尋常小学読本〔1887〕〈文部省〉一「此ふたりのばうしは、母が紙にて、こしらへたのであります」

(ハ)原因・理由を示す。
*竹取物語〔9C末?10C初〕「竹の中におはするにて知りぬ」

語誌
(1)中世初に「にて」が変化して「で」の形を生じ、現代語の「で」にいたる。→で【一】。
(2)(イ)の用法の場合、上代では「にして」の形の方が多い。中古の和文では、散文に多く和歌に少ない。

 多くの「で」は、『断定の助動詞「なり」の連用形「に」に接続助詞「て」の付いたもの』か、『格助詞「に」に接続助詞「て」の付いたもの)口語の「で」に当たる。』か、判断できないケースが多いと言われています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 そうか。
「に」の接続の問題が絡んできますね。その点に関しては下記が参考になると思います。とくに、コメント欄のやり取りをご参照ください。
 ただ、これが「動作・作用の行われる時」のデとニの違いにどの程度関連しますかね。
【板外編16】「カラ」と「ニ」の話〈2〉 辞書?
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12204782117.html 

>多くの「で」は、『断定の助動詞「なり」の連用形「に」に接続助詞「て」の付いたもの』か、『格助詞「に」に接続助詞「て」の付いたもの)口語の「で」に当たる。』か、判断できないケースが多いと言われています。
 当方の知識ではそんな感じです。
 ただ、No.1の回答者が「明確な違い」をご存じのようです。現段階では当方にはまったくわかりません。補足を待ちたいと思います。

お礼日時:2018/05/21 21:46

もう少し補足させていただきます。



格助詞「に」や「で」が時や場所を表すというのは文の中での意味で、「に」「で」の意義ではありません。
これを混同しているため、毎回それぞれ意味の異なる文をかき集めあたかも「に」「で」の意義を論じているかのような混乱を呈しています。
示されている、辞書類も同様のレベルで、これが混乱に拍車をかけています。

学校に行く。
あなたにあげる。

は、話者→対象の方向への移行の位置付けですが、

先生に本をもらいました。
それは誰にもらったの?

の場合は、対象→話者と逆の方向の位置付けの認識です。これは、

車に乗る。
こちらに来る。

と同じ関係です。ここで、「学校に行く」を例に、場所を表すと言ってみても、では「車に乗る」の車は場所か?ということになります。(@_@;)

「に」はその他にも、「そこに」「それに」「その為に」等多用な使われ方をします。これを、分類し意味を明らかにするのも大切ですが、まず「に」の意義を抽出し明らかにするのが文法論、語論の役割です。これが、格助詞「に」の規範としての意義になります。

それを踏まえた上で、「その為に」が目的を表したり、原因を表したりするという分析が可能になります。これは、話者の認識の動きを捉えることで始めて可能になります。この、意義と意味を混同しごたまぜに論じても混乱するだけです。現在の辞書や類義語辞典がこのレベルでしかないのは本質問に示された通りです。■
    • good
    • 0

コメントをいただいた点について記させていただきます。



≪「時間的・空間的な位置付け〈の意識〉を表し」の〈 〉部は必要なのでしょうか。≫
「時間的・空間的な位置付け」というのは、対象に対する話者の認識のあり方なので、何がということを明確にするために、「意識」「認識」を加えたものです。言語表現を直接的に支えているのは話者の認識ですので、まずその点が理解されなければなりません。

≪「食事の前に」と「食事の途中に」の場合≫
これは、言うまでもなく「食事」という行為の時間的な流れの中での前・中・後という位置付けで、「食事の途中に」は食事という時間幅を持った行為の間への時間的な位置付けの表現です。

(食事の前に)¦← 食事中 (食事の途中に) →¦(食事の後に)

という、時間の流れに対する位置付けです。

≪「で」の助動詞と格助詞について≫
格助詞「で」は手段・原因・理由を表すもので、時刻表を眺め相手に対し「三時のバス【で】行こう。」という場合の「で」は、「三時に出発するバスを利用して(使って)行こうという手段の認識を表したものです。

これに対し、5時帰宅予定の人が時刻表を見て、5時10分発のバスがあるのを見つけ「5時10分発のバスがあるので、これに乗ろう。」という場合は、「5時10分発のバスがあるのだ、よしこれに乗ろう」という、判断辞「だ」の連用形「で」の用法になります。

≪>このような区分は、形式主義から
 類似の質問の際、毎回のように同じ言葉が並びますが、何が言いたいのか不明です。≫

この、「で」や「行こう」の「う」のように書かれた文字の形だけからは、これがどのような意義、意味を表しているかは判別できません。「で」は音だけの場合、「出」「弟(子)」もあるように、「で」という形や、音韻により意味が決まるのではなく、話者がどの意味で使用したかという話者の認識で決まり、聞き手は文、文脈から判断します。このような、対象→認識→表現という過程的構造を捉えることなく、目の前の文字の形、音韻(音の形)という形式から意味、意義が決まると考えるのが形式主義の発想です。
現在の言語学は言語実体観という物として語が存在し、頭の中に語があり、これを道具として使用するとする言語道具観という形式主義、機能主義的な発想で言語を捉えています。この発想で、辞書や類義語辞典が作られ、これに慣らされた発想で言語を捉えているところに根本的な欠陥があります。毎回、この点を強調し、現在の学会、学界レベルの発想では言語の正しい理解はできないことに注意を促しています。

≪>推量の助動詞「う」が推量・勧誘・意志の意義
 ほかの質問対する回答のコピペでしょうか。何が言いたいのか不明です。≫

これは、助動詞「う」が推量・勧誘・意志の意義をもち、「明日は学校へ行こう」と表現された場合、この「う」という形、「明日は学校へ行こう」という文の文字列の形からは「で」の場合と同じように、「う」のどの意義で使用されたかは判断できないという、形式主義的な発想の限界を指摘したものです。■
    • good
    • 0
この回答へのお礼

話を拡散するのはやめていただけませんか。
「形式主義的な発想の限界を指摘」……何度も同じ話を繰り返されるのは迷惑です。
 言いたいことはわからなくはありませんが、まったく同意できません。おそらく同意される方はほとんどいないと思います。迷惑なおんで、そんな主張は自分の日記でお願いします。

 そんなことより、No.3のかたのコメントと当方の返信をご確認ください。
 今回話題にしているのは、「食事の後{デ/ニ}薬をのむ」です。
「三時のバス【で】行こう」なんて話はどこから出てきたのでしょう。
「手段」を表わすことぐらいわかりますが、そんな話は関係ありません。

 ちなみに、「5時帰宅予定」で、「5時10分発のバスがあるので、これに乗ろう」と思うのは……なんかのギャグですかね?

お礼日時:2018/05/22 21:33


極端な例子も知れませんが。
後でする、と、後にする、「で」と「に」で「する」の意味が異なる場合があります。
する→実行する・動く・行う・・・「やる」で言いかえ可能。
する→する≒設定?、設定する・と言うことにする。
後でする→後でやる、後で実行する・・・・。
後にする→後にやる??、後回しにする・(順番)を後に設定する。
食事の後で薬を飲む→順当な表現?、食事したついでに薬を飲む→食後の必要性?。
食事の後に薬を飲む→服用時の指定が食後、となっている。
で起こっている、に怒っている・・・たぶん、怒っている内容に相違があります。
で起こっている→場所の表現、で(山崩れ)が起こっている。
に怒起こっている→に(山崩れ)が怒っている、皆無ではありませんが、少ない表現と思います。
これらを文法のみでの理解はどうでしょう・・・?。
    • good
    • 0

コメントに補足させていただきます。



「食事の後デ、薬をのむのは止めましょう。」の場合は助動詞「「だ」の連用形「で」ですが、

「食事の後で薬を飲むのは、漢方薬ではありません。」の場合は格助詞「で」になります。

この文では説明が分かりにくいと考え、「三時のバス【で】行こう」という前後の文脈の分かりやすいい例を挙げたものです。

ポイントは「食事の後デ薬をのむ」という文の形式だけからは、格助詞の「で」であるか、助動詞「だ」の連用形「で」であるかは判断できない、両方の可能性があるということです。それは、話者がどちらの意味で使用したかで決まるもので、文脈から判断しなければならないということです。

一番の問題は、
≪今回は「動作・作用の行われる時」を表わすデとニの話です。辞書の記述は末尾に。
 一方しか使えない場合もありますが、両方使える場合もあります。≫
という問い自体が誤っているということです。

「同じように使える」とか、「両方使える」というのは文の形、形式を問題にしているもので、本来格助詞「で」と「に」は意義が異なり、当然のことながら文での意味が異なります。

話者が「で」を使う場合と、「に」を使う場合は対象を異なった認識で捉えているということで、偶々文に現された文字列が同じような配列になっているからと言って、これが交換可能と見る発想自体が誤りだということです。

この点を理解していただきたく、現在の言語学の学問レベルにまでさかのぼり、その誤りを指摘しているものですが?

問題は、何故話者が「で」や「に」や連用形の「で」を使用したかを明確にしなければなりません。これらは、意義が異なり対象の捉え方により使い分けています。この話者の認識を無視し、その結果の形式だけを比較しても無意味だということです。

これは、以前に接続助詞とされる「ので」が形式(抽象)名詞「の」+格助詞「で」の場合と助動詞「だ」の連用形「で」の場合があることを指摘したのと同じです。

「壁塗り交替」と呼ばれる、
a. ジョンは、壁にペンキを塗った。(〜ニ〜ヲ)  b. ジョンは、壁をペンキで塗った。(〜ヲ〜デ)
も同様の議論で、表現形式が異なるだけで論理的な意味は等しいとされる2つの構文ですが、そもそも「い」と「を」と「で」は意義が異なり、「で」には助動詞と格助詞の場合があり、この意義の相違を無視して多くの誤った論文が生産されています。

「形式主義言語論の「壁塗り交替」という現象論 (2)~(13)」で、
  「ニ格とデ格の交替について」、「感情動詞におけるニ格とデ格の交替について」を論じていますので参照下さい。読みにくい文で申しわけありませんが、この経験があるので言われていることの誤りが良く分かった次第です。
http://gutokusyaku1.mediacat-blog.jp/e112489.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントNo.1から。
===========引用開始
1)この薬は食後服用なので、食事の後デ薬をのみます。
の場合は理由・原因の意識で使用されており格助詞です。 

2)お腹の調子が良くないので食事の後デ、薬をのみます。
の場合は助動詞の連用形中止法または接続助動詞です。
===========引用終了
 1)2)の「後デ」の「デ」の違いが当方にはわかりません。
 読点が余計な気がしましが、何か意味を持っているのでしょうか。


 コメントNo.7から。
===========引用開始
3)食事の後デ、薬をのむのは止めましょう。」
の場合は助動詞「「だ」の連用形「で」ですが、

4)食事の後で薬を飲むのは、漢方薬ではありません。」
の場合は格助詞「で」になります。 
===========引用終了
 3)4)の「後デ」の「デ」の違いが当方にはわかりません。
 やはり読点になんらかの意味があるのでしょうね。
 これが1)2)とどう違うのか、わかる人がいたら教えていただきたい。


 これでは「説明が分かりにくい」どころでなく、まったくわかりません。
 ちなみに、「三時のバス【で】行こう」も、文脈があっても「まったくわかりません」という点では同様です。
 できれば1)〜4)の話で、もう少しわかりやすく説明していただけませんか。
「もしかすると当方の疑問の解決につながるのかな」と思ったのですが、現段階ではあまり関係がなさそうです。

お礼日時:2018/05/23 21:29

言葉が先で文法は後から!。


言葉による文章が理解できて、初めて文法が理解できます。
文章を理解するためには、使われている言葉でどの言葉が重要か、判断できないと理解できません。
格助詞を伴う言葉は外せません、どの言葉に格助詞をつけるか?、何を表現したいのか、話手の判断によります。
格、格別の計らい、とかどだい格が違う、とか使われます。
格助詞を伴う言葉は格が違うのです。
「で」すべて格助詞とは限りません、文章が理解できて、初めて格助詞と判断できます
川でおぼれる、川におぼれる×、ばくちにおぼれる、ばくちでおぼれる×。
※夏に京都へ行く(反応→さよか)。
夏の京都に行く(反応 さどやあつかろ)。
夏の京都を行く(夏の京都の風情、よし、も悪しも十分堪能する)。
個人的な見解ですが、文法で導いたものではなく、多くの表現例に接した経験による日本語の感性による判断です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>「で」すべて格助詞とは限りません、文章が理解できて、初めて格助詞と判断できます
 では、No.7の「お礼」にまとまて1)〜4)のうち、どれが格助詞ではないのでしょう。

お礼日時:2018/05/23 21:52

わたしの考えです。



コメントNo.1から。

>1)この薬は食後服用なので、食事の後デ薬をのみます。
の場合は理由・原因の意識で使用されており格助詞です。 

  「後で」の「で」は断定の助動詞連用形。あるいは、格助詞「で」

>2)お腹の調子が良くないので食事の後デ、薬をのみます。
の場合は助動詞の連用形中止法または接続助動詞です。

  上記と同じ。

 コメントNo.7から。
>3)食事の後デ、薬をのむのは止めましょう。」
の場合は助動詞「「だ」の連用形「で」ですが、

 1)、2)と同じ。

>4)食事の後で薬を飲むのは、漢方薬ではありません。」
の場合は格助詞「で」になります。 

 1)、2)、3) と同じ。

それに加えて「食事の後で薬を飲むのは、漢方薬ではありません。」という文の、二つの「は」はどのように使われているのか、分からないし、文の組み立てそのものもよく分かりません。一見すると「食事の後で薬を飲むのは」が主題で、「漢方薬ではありません」が説明に見えますが、
「食事の後で飲む薬は、漢方薬ではありません。」と言ってはいけないのでしょうか。(もっとも、その前に「食事の後で」を「食後(に)」と言ってはいけないのでしょうか)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

1)〜4)はいずれも〈「後で」の「で」は断定の助動詞連用形。あるいは、格助詞「で」〉ですか。
 まあ、4)に関してはほぼ破綻していて、その点はNo.7のコメント者も認めているようです。

 当方は、全部格助詞でいい気がしています。「断定の助動詞連用形」と主張する人がいるなら、「そうかもしれません」と言います。逆らう気はありません。
 たしかに「食事の後デ」のデが「断定の助動詞連用形」になる場合はあると思います。でもそれはきわめてマレでしょう。
「A薬を飲むのは食事の後デ、B薬を飲むのは就寝前だ」
 なら「断定の助動詞連用形」と考えるのが妥当な気がします。しかし「食事の後デ薬をのむ」をどのような文脈の中に置けば「断定の助動詞連用形」になるのかはさっぱりわかりません。
 あれだけ断言するので、明快な解説があると期待したのですが、No.10のコメントを読んでガッカリしました。
 何が書いてあるのかわかりません。
「食事の後デ薬をのむ」のデが「断定の助動詞連用形」ととれる文脈も不明のままです。

 OKATさんなら理解できますか?

お礼日時:2018/05/24 20:51

格助詞「で」と判断辞「だ」の連用形「で」の区分について



最初に判断辞「だ」の連用形「で」がどのように使用されるのかを見てみましょう。
まず、「大辞林 第三版の解説」です。

で  ( 助動 )
断定の助動詞「だ」の連用形。連用中止法に用い、また、「ある」「ない」「あります」「ございます」などに続けて用いる。。

この「助動詞「だ」の連用中止法というのは、

これは日本酒【で】、その横にあるのはワインです。
今日は晴れ【で】、明日は雨になりそうです。

のような、飲み会の中締めのようなもので形の上では一旦終了しますが、まだ後へ続いていきます。終止形の「だ」のように「今日は晴れだ」と断定はしますが、連用形なのでことがらが完全に終わっておらず、次に続いていきます。「今日は晴れ」と事柄を一旦展開し、ここで完全に終わらす一旦中締めをし次の事柄を「明日は雨になりそうです。」と展開しています。この場合、後に句点「、」を用いポーズ、中止を表現します。この、句点は必ずしも表現されるわけではありません。

この「で」が格助詞でないのは、手段・理由・原因を表すのではないことからも明らかです。この文中の、「手段・理由・原因を表すの【で】はない」の「で」も「だ」の連用形です。これは、先の大辞林の解説にある、<「ある」「ない」「あります」「ございます」などに続けて用いる>場合です。

このように、格助詞「で」と判断辞「だ」の連用形「で」は形は同じですが意義が異なり区別されなければなりません。

格助詞「で」は、

汽車で行き、電車で帰る。   ビールは麦で作る。
病気で休んだ。         大雪でひどく困った。
校庭でテニスをしよう。

のように使用し、ポーズは入らず句点を使用することはありません。これらは、手段・理由・原因の意義で使用されています。

このような相違を理解したうえで、回答に挙げた例文を見てみましょう。

1)この薬は食後服用なので、食事の後デ薬をのみます。

この文では「ので」と「後デ」と二つの「で」が使用されています。最初の「ので」の「で」は判断辞の「で」で、句点が続いています。次の「後デ」の「デ」は薬を後に飲む理由の認識を表し格助詞を使用しています。


2)お腹の調子が良くないので食事の後デ、薬をのみます。

ここでも、二つの「で」が使用されており、「良くないので」の「ので」の「で」は句点はありませんが「お腹の調子が良くないの」と事態を動かぬものとして話し手が確認した形式(抽象)名詞「の」を使って、これを肯定し強調する話し手の判断辞「で」です。その判断に続け、食事の後に、通常とは異なり「薬を飲む」という決断を表明するため、「食事の後デ」と一旦中止したものなので、やはり判断辞の「で」になります。この点を強調するため句点を入れました。

3)食事の後デ、薬をのむのは止めましょう。
この文も、ポーズを明確にするため句点を入れ判断辞であることを明示したものです。
「食事の後デ薬を飲むのは、止めましょう。」とすれば、手段・理由の認識の表現となり格助詞ということになります。

4)食事の後で薬を飲むのは、漢方薬ではありません。
この文は、NO.9の回答で「二つの「は」はどのように使われているのか、分からない」と指摘されているように、あまり適切ではありませんでした。「食事の後で飲んでいる薬は、漢方薬ではありません。」または、「食事の後に飲んでいる薬は、漢方薬ではありません。」とすべきでした。

「食事の後で飲んでいる薬は、漢方薬ではありません。」の「後で」の「で」は格助詞で、「漢方薬では」の「で」は判断辞になります。

「食事の後に飲んでいる薬は、漢方薬ではありません。」では、「後に」と時間的な位置付けの「に」が使用され、「漢方薬では」の「で」は判断辞になります。

このように、「食事の後デ薬をのむ」」という文の形式だけからは、「デ」は格助詞の場合も判断辞の場合もありうるということです。それは、話者の対象の捉え方で決まるものであり、表現された、文、文脈から判断されます。

「No.8」の回答で、「言葉による文章が理解できて、初めて文法が理解できます。」と言われているのは、文法というより、意味と言うべきところです。表現された、形式を文法規範に則り、聞き手が追体験することにより意味が理解されます。日本語の文法を理解していない人には日本語の文、文章は単なる絵でしかありません。

文は話者なしには存在しえません。書かれた文は形と内容の統一として存在しており、感性的な形は言語表現ではありません。書道は、この言語表現と非言語表現である感性的な形の表現の統一して存在しています。

質問者が例文を記した時は、想像により記したのか、あるいは単なる前に記された形だけを写したのかもしれません。この場合、看板屋が理解できないロシア語の文を描くのと同じで、その文の意味は文案を作った作者なり、コピーライターの認識を表しています。これが、文脈を無視してその一部だけを引用したものであれば、意味不明、あるいは多用な解釈が可能になります。

アプリオリに文が存在するという言語実体観は言語を正しく捉えたものとはいえません。■
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!