プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

1. 神は ひとつである。――次の趣旨説明にてその当否・成否を問います。


2. 神は どんな名前の神を持って来ても・あるいは《無い神》を持って来
ても すべて全体として ひとつである。

3. それよりほかにあり得ない。


4. 人間にとって 神だという存在――または 非存在――が 同じひとつ
でないことのほうがおかしい。

5. ただし オシヘは互いに違っている。


6. 《信じる(その神を無条件にわが心に受け容れる)》と《考える(排中
律や因果関係にしたがって経験合理性にもとづき推論する)》とは 別である。

7. 神は 《信じる・つまり 思考に非ず》として受け容れるものである。
または《受け容れないとして 非思考における選択を成す》こと・つまり《無
い神を無条件でわが心に受け容れる》場合もある。

8. 《考え》て理解できる内容の神なら それは 人間の思考や想像によっ
てつくられたものである。


9. ただし 《信じる神》について その信仰――非思考の庭なる動態――
にもとづき その定義や説明をほどこすことは有り得る。

9. ということは この神についての定義や説明あるいはさらに神学であっ
ても そのような文章表現やシルシなどはすべて 神を指し示そうとするため
の補助線である。


10. ちなみに かみという言葉・文字・発音も 神について知るための補
助線である。

11.  もしこの補助線としての説明書きを 神であると錯覚したなら そ
れは 《思考や想像の産物》としての神が出来上がる。そのように人間がこし
らえた神であるとなる。


12. このような《観念の神》は その作った時点ですでに 死んでいる。
つまり思考の問題であり 観念にとどまる。そこに 言わばいのちは ない。
――信念とは成りうるかも知れないところの思い込みがある。有限の移ろいゆ
かざるを得ない果敢無い《いのち》ではあるかも知れない。

13. すなわち 《非思考》ゆえ 《神は ひとつである》と言おうとして
いるのですが どうでしょう?

A 回答 (34件中21~30件)

最初に書いてるでしょ「暇つぶし」だって


だから自然と笑みも出るのです


《〈神を知る〉ことが ヒラメキを通してであり それは 神のほうか
らの一方的な恩恵によるもの》――これが 主旨です。

趣旨は理解出来てますし、概ね賛同してますよ
ただ、アンタの「仮説」を信じるに足る論拠が知りたいのですよ
論拠の絶対性が理解出来たら支持しますよ

「ヒラメキ」とやらも他人の言葉を借りなければ説明できない程度の
「仮説」は支持できないって事

言葉を多くしなければ語れないならソレは真理では無い
それは只の「言葉遊び」だって事ヨ
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 最初に書いてるでしょ「暇つぶし」だって
だから自然と笑みも出るのです
☆ 分かりました。


☆☆ 《〈神を知る〉ことが ヒラメキを通してであり それは 神の
ほうからの一方的な恩恵によるもの》――これが 主旨です。

★ 趣旨は理解出来てますし、概ね賛同してますよ
☆ はい。

★ ただ、アンタの「仮説」を信じるに足る論拠が知りたいのですよ
☆ 《信じる》とは 《超経験のナゾを 無条件にわが心に受け容れる
こと》です。

《仮説》については 《考える》です。



★ 論拠の絶対性が理解出来たら支持しますよ
☆ 《信じる》には 論拠も根拠もありません。《無条件に》です。

《考える》については どこまでも問い求めて行ってください。



★ 「ヒラメキ」とやらも他人の言葉を借りなければ説明できない程度
の「仮説」は支持できないって事
☆ でも 分かりやすかったでしょ? 別建てで ヒラメキ論を掲げま
しょう。



★ 言葉を多くしなければ語れないならソレは真理では無い
それは只の「言葉遊び」だって事ヨ
☆ まあ 学問は 一歩一歩です。

お礼日時:2018/07/07 23:38

ですから、


反応している時点で、それはエセなんです。

投稿主様が思考し記載されている中に、エッセンスはありますが、
そこに執着すればするほどに、絶対性や絶対無から遠ざかっているはずです。
囚われです。

思考以前の、感覚のようなもの。
熱いやかんに手を触れて、熱いと感じる前に手が動く、それに近しいところです。

こう、書けば書くほどにウソが多くつじつまが合わなくなっていることに辟易します。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ですから、
反応している時点で、それはエセなんです。
☆ と言うより そもそも神は 人間の言葉による表現におさまらないと
いうことではないのですか?

言いかえると 表現しがたいところを あたかもタトへを用いて仮りのす
がたで表現し その表現内容を――仮りなのですから―― ひとつの補助
線として 神なる真理としての正解へと われわれはみちびかれて行くと
いうことではないでしょうか。



★ 投稿主様が思考し記載されている中に、エッセンスはありますが、
☆ ありがとうございます。

★ そこに執着すればするほどに、絶対性や絶対無から遠ざかっているは
ずです。
囚われです。
☆ ま 哲学ですから。経験科学としての哲学における――われわれ人間
のおこなうところの――問い求めということですから おっしゃることは
むつかしい問題です。

何も考えるな 何も言葉に表現するな・・・というところまで行き着きか
ねないという問題になりますね。



★ 思考以前の、感覚のようなもの。
☆ と表現したとするなら やはり《言葉で説明をおこなっている》こと
になります。むつかしいところですね。


★ 熱いやかんに手を触れて、熱いと感じる前に手が動く、それに近しい
ところです。
☆ ということは 神については おのおの主観において・特には思考に
よるよりも感性をつうじて しっかりよく捉えたまえという指針を出した
ことになります。

主観の問題なんだ・・・と言ったことになります。
そこまで言うのなら もっと――今度は――言葉を尽くして いろいろと
説明したほうがよいかも知れない。となるかも知れません。


★ こう、書けば書くほどにウソが多くつじつまが合わなくなっているこ
とに辟易します。
☆ でも 問い求めを推し進め よい成果が得られたなら 言葉による表
現をも 互いに発表するのがよい。とも考えられます。・・・

お礼日時:2018/07/07 23:09

言語化した時点で、エセ(まがいもの)です。



感じるしかありません。

そこに次元はありませんが、次元に依拠しています。
よって次元にあります。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 言語化した時点で、エセ(まがいもの)です。
☆☆ (趣旨説明欄) 6. 《信じる(その神を無条件にわが心に
受け容れる)》と《考える(排中律や因果関係にしたがって経験合理
性にもとづき推論する)》とは 別である。
☆ といった問題になりましょうか。


だとすると 《信じる= 非思考》であって おっしゃるような:
★ 感じるしかありません。
☆ とのご見解も また 別の捉え方になるようです。《思考に非ず》
というのは その《理性》に《感性》をもふくめて言ってます。

それとも 独自の視点がおありでしょうか。



★ そこに次元はありませんが、次元に依拠しています。
よって次元にあります。
☆ そうですね。《次元》というのは けっきょく 経験世界のこと
です。神は いかなる次元をも超えていますから。

たしかに 次元を超えたナゾが 経験世界における四次元の事象をつ
つみ含むことも 実際です。それだけの包容力があります。



――というふうには 反応しましたが 全体として もうひとつ詳し
く知ることができればよいがとは思いました。

お礼日時:2018/07/07 22:47

フフフ、、、


なるホロ成程

ヒラメキによって得た絶対なる神の恩恵は
表記すらも統一すべきであるという事ですね
それが絶対性である。と

では、そのヒラメキはアンタ以外はどうやって認識すれば良いの?
知識も経験も言語も違う人はアンタのヒラメキを全て理解しないと
絶対性を理解できないって事?
そも、アンタ「ヒラメキ」とやらをどうやって得てるの?
おせ~てちょ~だい

後、アンタの他の方への回答でgood押してない回答も少し有るけどなんで?
おもてなし。って言うからには全てにgood押すべきじゃないの?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ フフフ、、、
なるホロ成程
☆ 何がですか? コメントの全体がですか?

★ ヒラメキによって得た絶対なる神の恩恵は
表記すらも統一すべきであるという事ですね
それが絶対性である。と
☆ 細か過ぎ魔になりますが:

《〈神を知る〉ことが ヒラメキを通してであり それは 神のほうか
らの一方的な恩恵によるもの》――これが 主旨です。

★ 表記すらも統一すべきである
☆ とは どういうことか?

・ 《神》の定義を 一般共通のものとしたい。
・ 神が道であり生命であり真理であることの真理(絶対性)と 人間
についてその思いと考えなる主観の真実(相対性)とを 区別すること。

このふたつのことですか?



★ では、そのヒラメキはアンタ以外はどうやって認識すれば良いの?
★ 知識も経験も言語も違う人はアンタのヒラメキを全て理解しないと
絶対性を理解できないって事?

☆ たとえば 次のように《自己のハカラヒに非ず / 自己を人間の意志
のみで真理へとはこびゆくに非ず》と理解してください。:

▲ 〔親鸞:自然法爾(じねんほうに)章〕~~~~

  自然といふは

   《自》はおのづからといふ。行者のはからひにあらず。
   《然》といふは しからしむといふことばなり。

   しからしむといふは行者のはからひにあらず 
   如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。
 
     * 爾(に・じ):しかり。そうである。

■ (道元:現成公案) ~~~

  自己を運びて万法を修証するを迷とす。

  万法進みて自己を修証するは悟りなり。
~~~~



★ そも、アンタ「ヒラメキ」とやらをどうやって得てるの?
☆ きよらかなおそれを持つ心に 夜中に盗人の襲うがごとく やっ
て来ます(テサロニケの信徒への手紙一 5:2 )。

★ 後、アンタの他の方への回答でgood押してない回答も少し有
るけどなんで?
おもてなし。って言うからには全てにgood押すべきじゃないの?
☆ 言葉は述べて来ていますが こちらの重要な問いには 長い間
答えなくなっているので 放っておいてある人物です。(フェイスブ
ックなどで個人的にもじゅうぶんやり取りをしたあとの問題です)。
(あと 向こうからブロックされている場合もあるかも知れません)。

お礼日時:2018/07/07 22:19

高校で学んだ数学の極限だと、lim(x→∞)x/3=∞で、lim(x→∞)x/-3=-∞だと思う。

やっぱし同じじゃない気がするんだよね。
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この回答へのお礼

無限大(∞)は 経験的なものごとです。

その数がそのつど一定しますし その一定した数にさらに1を足すことが
出来ます。

つまり 限りがない(無限)と言っていますが どこまでもその数は 伸
びて行きます。そして そのつど確定します。

つまり 経験事象であり 相対的な量です。




ところが 絶対性なる無限(真無限)は 経験世界を超えていて 知覚さ
れたり数えられたりするような相対性の問題から自由です。




プラス・マイナス(±)がつくのは やはり経験事象です。非経験の場で
ある普遍神は むろん これらの事象を超えています。

相対的で経験されうる事象を超えているということは じつは その相対
性なる量や形を 〔超えている神は〕 包み含むということもある。とな
ります。



そんな感じで 捉えてください。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2018/07/07 17:41

薬丸マジ卍でその無限、-3で割ってみると、おんなじ結果になるに決まってるのん?

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この回答へのお礼

プラス・マイナスをも超えているのだから どんな数で割っても

マジ卍で おんなじになるんとちゃいますか?




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2018/07/07 13:33

卍?

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


▲ (岩本一善:コミュニケーション論講義 (3) p.61 )
ソシュールによるコトバ記号の 「随意性(☆ または 恣意性)」 とは、
私たちの感覚器官によって識別される認識ゲシュタルトと、 ある特定の
言語が切り分ける世界の境界とは一致せず、 後者はその根拠を言語外の
現実には見出すことができない「随意的」 なものであるということである。

☆ 要するに 《コトバの意味するものが 経験的なものごとである》
場合――つまり 《卍》は そのコトバの意味が まさにそのかたちと
して経験的なものと対応しているそのような場合―― けれども その
もの(卍なるかたち)と音韻( manji )との間には 自然で論理的な絆
は無いと言っています。

卍なる言葉は ややこしいので 例をほかに取りましょう。そうしてこ
のソシュールの《言語記号の恣意性》なる仮説を批判したのが 次の質
問です。

【Q:ソシュールの《言語記号の恣意性》は 神話である。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8508948.html






▲ (岩本 前掲論考 p.63 )
言語によるコミュニケーションの起源についての仮説

☆ そのひとつをご披露します。

【Q:日本語とはどういう言語か。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6422669.html

☆ その趣旨説明の前半に 《ことばの生成するところ》を仮説してい
ます。



老婆心ながら 取り上げました。

お礼日時:2018/07/07 11:52

成程なるほど


ようやく質問の趣旨が理解出来ました
理解力が足りなくて申し訳ない

絶対なる神は一つである

この一文を読んだ瞬間皆が「YES」と思うでしょう
(他人の頭ン中は観測出来ないので私の勝手な思い込みです)
世界には真理が有り最終的に全ての真理は一つに集約される
言い方や表現は変わるでしょうが思考する前、直感的に
「絶対に違う!」と思えないならそれは真理の一つです

ただ、その神を人は観測も計測も出来ないので(今の所)
神を知ろうとするアプローチは千差万別であるし、そうであるべき
貴方が信じる手法が正しいと思うなら良いんじゃないの

ただ、教えを乞われても無いのに
No5のお礼に書かれてるような上から目線で言われてもね
仮説は所詮、仮説
物乞いには誰も教えを乞わない
教えを乞われる先人へ自然と人が集まる


因みに、アンタの他の人への回答の「good」って自分で押してんの?
おせ~てちょ~だい
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 成程なるほど
ようやく質問の趣旨が理解出来ました
☆ それは よかった

★ 理解力が足りなくて申し訳ない
☆ すなほでよろしい。


〇 絶対なる神は一つである

★ この一文を読んだ瞬間皆が「YES」と思うでしょう
(他人の頭ン中は観測出来ないので私の勝手な思い込みです)
世界には真理が有り最終的に全ての真理は一つに集約される
言い方や表現は変わるでしょうが思考する前、直感的に
「絶対に違う!」と思えないならそれは真理の一つです
☆ 言わんとするところは そのまま承ることのできる内容です。

注意すべき点もあります。
人間の観察し認識しうる世界のものごとについての知解は 一般
に――《相対性の世界》にあるからには―― 主観真実と呼ぶの
がよいでしょう。

《真理》は 絶対性の場におけるいわゆる全知のことになります。



★ ただ、その神を人は観測も計測も出来ないので(今の所)
☆ 《観測・計測(つまり認識)》が出来るものごとは 《可知》。
(それが 既知と未知に分かれる)。

《認識し得ないと証明されたものごと》は 《不可知》。

《認識しうるかし得ないかが 認識し得ないナゾ》が《非知》です。

つまり もし認識しうる可知であったり 認識しえぬと決まった不
可知であったりするものは 初めから《神》ではないわけです。


★ 神を知ろうとするアプローチは千差万別であるし、そうである
べき
貴方が信じる手法が正しいと思うなら良いんじゃないの
☆ 《ヒラメキ》によるしか 神は知り得ません。そのヒラメキも
絶対なる神のほうからの恩恵として与えられます。

絶対性とは そういうものです。


★ ただ、教えを乞われても無いのに
☆ この表現 ヘン。立ち場がぎゃくだと思う。


★ No5のお礼に書かれてるような上から目線で言われてもね
☆ 《先の者》の目線であるに過ぎません。


★ 仮説は所詮、仮説
☆ 謙遜してそう言っただけです。


★ 物乞いには誰も教えを乞わない
☆ 《修行中なら》という条件をつけて 言ったまで。

★ 教えを乞われる先人へ自然と人が集まる
☆ だから その先人たちをわが仮説は超えたと言っています。


★ 因みに、アンタの他の人への回答の「good」って自分で押し
てんの?
☆ そうです。おもてなし。

お礼日時:2018/07/07 11:26

ミヤシヤミさんの疑問ももっともだ。

コロコロ変わるっつーか神、2つあるのかもなー。その無限、-3で割ってみてはどうか?
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この回答へのお礼

そのお礼欄のコメントを読んでみたまえ。


★ その無限、-3で割ってみてはどうか?
☆ おんなじ結果になるに決まってるぢゃん。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2018/07/07 04:03

No3のお礼の文体だけ違う所が面白いよね



⑤ 絶対者なる神は 経験世界をつくった創造主だと表現され得
る。
⑦ 絶対性なる神は おそらく《絶対無》だ。という表現で捉え
たい向きも出て来る。

創造主だったり絶対無だったり絶対な存在の意義がコロコロ変わるのはおかしくね?


☆ 《絶対性》を――それは 相対存在であるわれわれ人間を超え
ているというのに―― どうやって観測したり測量したりできるん
かいな。

んなこたぁ百も承知だよ
アンタが言葉で「絶対性」を縛ろうとしてるから逆に聞いてんの


そもそも、アンタ何を質問してんの?
持論の正当性を聞いてんの?
持論をベースに対話したいの?
回答者の「神」を教えて欲しいの?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ No3のお礼の文体だけ違う所が面白いよね
☆ 心の眼で見なくちゃ。

同じだよ。相手に合わせてる。




☆☆ ⑤ 絶対者なる神は 経験世界をつくった創造主だと ≫表現され
得る≪。
☆☆ ⑦ 絶対性なる神は おそらく《絶対無》だ。という ≫表現で捉
えたい≪ 向きも出て来る。

★ 創造主だったり絶対無だったり絶対な存在の意義がコロコロ変わる能
力はおかしくね?
☆ 《意義》の問題ではなく そうぢゃなく 《表現の問題》だってんぢ
ゃん。

☆☆ ④ ≫表現の問題としては≪ 神は 《絶対者》であるというふうに
擬人化して呼ぶ場合がある。

☆ 《擬人化》という表現方法に移行している。そのあと この《人格に
擬した表現》の《絶対者》から ⑤の《創造主》なる言葉(概念)が得ら
れて行く。

《 意 義 》 は 変 わ っ ちゃ い ね え よ。
きちんとしっかり読んでやってね。




☆☆ 《絶対性》を――それは 相対存在であるわれわれ人間を超えてい
るというのに―― どうやって観測したり測量したりできるんかいな。

★ んなこたぁ百も承知だよ
アンタが言葉で「絶対性」を縛ろうとしてるから逆に聞いてんの
☆ 何のこっちゃ?



★ そもそも、アンタ何を質問してんの?
☆ わたしの水準を超える知性がいないとも限らない。

★ 持論の正当性を聞いてんの?
☆ 学問は あたらしい――特に定説を批判し常識に抵抗するあたらしい
――仮説を得たなら ただちに発表するのが あったりまえ。

★ 持論をベースに対話したいの?
☆ このQ&Aの場としては 情報交換。

★ 回答者の「神」を教えて欲しいの?
☆ けっきょく いちゃもんで終わるナラハシ。たい焼きの中に餡子はな
かった。

まだ修行中なら わたしにおしえを乞えばよい。学問は そのようにして
水嵩を増して発展してゆく。

あとの者が先になり 先の者があとになる。

お礼日時:2018/07/07 04:01

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