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私は岐阜県出身なのですが、他の都道府県に滞在していると
年輩の方は必ずといっていいほど建設大臣だった「大野伴朴」
(字合ってるのかな)の名前を出します。彼が新幹線の道筋を
変えて岐阜羽島の駅を造ったことは知ってるんですが、
それがそんなに有名人になるほどことだろうかって思います。
彼はいったい何をしたんでしょうか?

A 回答 (4件)

「大野伴睦」さんですね。


岐阜出身の父から話は聞いたことありますが、やはりその「無理やり新幹線」の話題でした!(笑)

調べてみたら、自民党内でも相当高いポストについていたようです。
興味深かったのは、1963年、池田勇人首相が衆議院を解散した時に、副総裁だった伴睦氏が党の控え室で残した言葉です。
「サルは木から落ちてもサルだが、代議士は落ちればただの人、当選してまた会おう」これって今でも新聞によく載る言葉です。この人の言葉だったんですね。

あと、日本プロレスのコミッショナーをしていて、力道山とも親交があったそうです。政治的な功績については賛否両論あるようなので、ご自身で検索して拾ってみてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やっぱり名前が違ってましたね。どーもしっくりこないなって
思っていたんですよ。

「落選すればただの人」
そうか、この人の名言だったんですね。勉強になりました。

お礼日時:2001/07/27 14:22

いわゆる「党人派」政治家の代表格ですかね。


3度の飯よりも政治が好き、、と明治大学在学中からいっていたそうです
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岐阜羽島駅の件は非常に有名なのですが、実際は大野伴睦氏が無理やり作らせたとわけではありません。


まず、当初国鉄は旧東海道ルート(鈴鹿峠)を検討しましたが、長いトンネルを掘る必要があり東京オリンピックに間に合わないこと、米原乗換えで北陸の利用客を取り込むこと等から、関が原経由にルート変更をしました。
このルート変更に伴い東海道新幹線は岐阜県を通ることになったのですが、この時点で国鉄は岐阜県内に駅を設置しないこととしていたため、岐阜駅経由のルート設定を求める岐阜県側が反発し、国鉄の用地買収、設計に対して一切協力しないという行動に出ました。このため、国鉄の設計陣は岐阜県内に立ち入りできなくなったといいます。このような状態の中で、大野伴睦氏が羽島市への新幹線駅設置という妥協案で岐阜県内を説得し、これによりやっと国鉄は用地買収、設計を進めることができるようになったのです。
まあ、昔ながらの「足して2で割る」調整型の政治家だったのでしょう。

あと、やはり大野伴僕と言えばgomuahiruさんもかいておられますが「代議士は選挙に落ちればただの人」発言でしょうか。それから、日韓国交正常化に尽力したとか、ナベツネが番記者としてついていたとか、保守合同の際の立役者といったことが有名です。

最近はああいう党人派の政治家はいなくなりました。政治家が小物になってしまったのか、求められるものが変わってしまったのか、いずれにしても古きよき?保守政治を代表する一人でしょう。
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無理矢理新幹線の話ですね。

。。

岐阜羽島駅に行ったことありますか?駅から周りの風景と乗車人数を観察してもらえれば、なんでそんなに有名になったか判ると思います。

すみません、わざと言葉を濁しました。(^^;
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この回答へのお礼

利用ですか。もちろん、ありますよ。
修学旅行などで新幹線を使う場合、わざわざ岐阜羽島から乗るんですよ。
うちの学校からだと名古屋へはバスで1時間半くらいで行けるのに
2時間以上かけて岐阜羽島へ行き、こだまに乗って4時間かけて東京へ
という具合です。名古屋からならひかりがあるのにって思っていました。
しかも大野伴睦の銅像の前でなんか説明があったような気が。

お礼日時:2001/07/27 15:03

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