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【仏教】
自らを島とし、自らを依り所として、他を依り所とするなかれ。

法を島とし、法を依り所として、他を依り所とするなかれ。

これの意味を教えてください( ᐡ。• ·̫ •。ᐡ )

A 回答 (3件)

自灯明・法灯明



弟子の阿難が、釈尊の臨終の間際に「釈尊がいなくなったら、何を頼りにして生きたらよいのでしょうか?」と聞いたそうです。

「自分を灯火とし、自らををよりどころとせよ、他を頼りとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない。」
と釈尊はお答えになったわけです。

灯火-灯明とは、私たちの道を示す無碍光(むげこう)のこと、さえぎられぬ光。
「島」とはサンスクリット語のdvīpa、パーリ語の dīpaの「灯明」を意味します。
「島」は誤訳だと言われています。法(ダルマ)は、釈尊の教え。

これは「依頼心をなくせ」と受け取られています。
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それゆえに、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。



これは、長部経典16「大般涅槃経」第2章に記載されている内容ですね。これは釈迦が死ぬ直前に弟子が嘆き悲しんだことに対して、釈迦が説いた言葉です。

下記のサイトでは内容としてはこの言葉の後に次のように続きます。

----以上引用終わり---

 では、アーナンダよ、どのように比丘は自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、法を依り所とし、他を依り所とせずに、住むのか。
 ここに比丘は、身体について、身体を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。
 もろもろの感受について、感受を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。
 心について、心を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。
 もろもろの法について、法を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。
 このように、アーナンダよ、比丘は自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、法を島とし、法を依り所とし、他を依り所とせずに、住むのです。
 アーナンダよ。今でも、また私の死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行僧として最高の境地にいるであろう、

----以上引用終わり---

 ですから、自らがきちんとあることが前提なのですね。

「自灯明(Attadīpā)」の本当の意味。
http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2014/ …
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仏教の最終目標は悟りを開いて仏となることです。


悟るとは、他から学んだり獲得するのではありません。
人間にも動植物にも石にだって仏性があります。
悟るとは、自分の中の仏を見出すことです

悟るには自分と仏法しか必要ではないという教えです。
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