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【仏教】
自らを島とし、自らを依り所として、他を依り所とするなかれ。

法を島とし、法を依り所として、他を依り所とするなかれ。

これの意味を教えてください( ᐡ。• ·̫ •。ᐡ )

A 回答 (5件)

現代語で主体的に生きよってことじゃない?コロコロ意見を変える無責任な生き方をするなみたいな

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秘密です。


福音書、論語、孟子、プラトン、トルストイを座右の書で生きれば・・・。
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釈尊が八十歳の高齢となり入滅間近な時の説法



島=灯明=闇を照らす智慧の光
法=普遍的な法則

「自分自身をよりどころとし、他の者をあてに(依存して頼りとしてすがることを)してはならない。
 同時に、法をよりどころとし、他のものをたよってはならない」


 仏教は、自分自身に闇を照らす智慧の光とは何かを、他人の考えに従ったり、頼りにすることで、自分の考えが働かないようなことをせずに、普遍的な法則に従うことで、悟りの道を拓きなさいという意味。

 短い言葉では、自灯明、法灯明 というようです。
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前回書いたものですが、重複は避けます。


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/11237052.html

ただ、そこでミスをしたことで訂正をいたします。
謹んで、お詫びいたします。

ここが開いているのも、運命かもしれません(^^;

》「島」とはサンスクリット語のdvīpa、パーリ語の dīpaの「灯明」を意味します。
》「島」は誤訳だと言われています。法(ダルマ)は、釈尊の教え。

×「島」は誤訳だと言われています。○「灯明」は誤訳と言われています。
「岩波仏教辞典」によると、「島」と呼ぶべきところを、「灯明」としたのが誤訳だということだそうです。

その上で、中村元氏によると、『スッタニパータ』には、「自己を洲(す)とする」(attādīipa)という語句が見つかるそうです。(洲とは、大きな川の中の島)
そこには、(自燈明、自帰依、法燈明、法帰依)の同等の定型句が、長阿含経・中阿含経に見いだされる、としています。

その意味は、
》「依頼心をなくせ」と受け取られています。
という文言は、私個人の定義ではありません。この言葉にもエピソードはあるそうですが、それを書いた所で特別な意味を持つわけではありませんので、割愛します。
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「涅槃経」に出てくる『自灯明・法灯明』の教えですね。



まずこの教えの背景を書くと
キノコ料理に中ってしまいブッタが「わたしは、まもなく入滅します」と、従者である阿難尊者に告げると、阿難尊者は「どうか死なないでください。ブッダが死んだらわたしたちは何を頼りに生きていったらいいのですか?」と入滅を待っていただけるように頼みこみます。
それに対してブッタが説いたのが、ご質問に出てくる教えです。

意味としては、次のような事だと私は理解しています。
私(肉体をもつ釈迦)が消えたからと言って嘆いてはいけない。
私が消えた後は、これまでに説いた教え[法(のり)]を道しるべにして、自分自身の足で歩きなさい[悟りへの道を歩きなさい]。
 【注】自分の心のままに自由奔放に生きろとかと言う意味ではありません


もう少し世俗的に書くと
教えてくれる人(ブッダ)がいないから勉強ができない(悟りに至れない)なんてこと言わずに、先人(ブッダ)が書いた本など(法)を読んで勉強をしなさい。



私の下手な説明よりは↓の方が分かると思います
 https://higeojisan-lab.com/buddha-jitomyo-hotomyo/
 http://zhaozhou-zenji.hatenablog.com/entry/2014/ …
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