dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

才能って何?センスって何?

才能とかセンスって言葉で片付ける人は現実から逃げているような気がするんですよね。
確かに世界のトップクラスに行けば才能とかセンスの違いというものが直接関わってくるかもしれませんが、世界レベルじゃない限り努力で成績はいくらでも伸びると思いますし、努力量と努力の仕方次第でいくらでも上のレベルに行ける気がします。

自分の解釈では、ロナウド メッシ イブラヒモビッチ レブロン ジョーダン ナダル フェデラー ボルト ウッズ 本田 イチロー等の超一流アスリート達はみんな究極のナルシストで超絶負けず嫌いだからこそ常人離れした努力量と研究を重ねて偉大になれたのだと思っています。

人間の運動神経、中枢神経、反射神経等の筋肉へ指令を送る伝達速度は生まれたときは個人差は無いと思いますし、脳みそだって個人差はないと思います。
でも実際同じスポーツを同時に始めたのにあいつの方がオレよりできるみたいなことが起こるのはなぜでしょうか?

そもそも才能とセンスって何を根拠に言ってるのでしょうか?

A 回答 (10件)

才能よりも


環境、賢い親、支援者、スキル、情報、タイミング、良きコーチ、生まれた年、デビューした年、ライバルがいないこと、お金
などの現実的な要素が遥かに大事だと思います。
才能や努力ってファンタジーなんだよね。
現実を無視してる。
    • good
    • 1

馬でいうと、足の速いサラブレッドは遺伝のようです。

    • good
    • 0

モノを習得するとき、相当量、遺伝が影響してるみたいですよ。

習得対象への適性不適性を考えれば、かなりの遺伝の関与があるでしょう。この事を、人は一般にセンスとか
才能といってるのだと思います。厳密に言えば、ギフト=神の贈り物=才能、ご先祖から与えられた遺伝能力でしょうね。
    • good
    • 0

福原愛ちゃんは、お母さんがお兄ちゃんに卓球を教え込んでた。


そこに愛ちゃんがやりたいとやらなくていいのにやりたがったのが始まりです。

愛ちゃん漫画に書いてありました

大抵はやりたい!
って言う遊びがないと、
やる気ないならダメですが

親が厳しくてもできますよ。
なにせ、生活費払ってますから当然です。

どっちかっていうと、やはり、
生活かかってるとよくできます。当然です。

やりたいっていうのはいやな時にも
負けたくないとか、継続しないといけないけど、小さければライバルが必然少ないので

ライバルが少ないスポーツはすぐトップになりやすいらしいと聞いたことがあります
    • good
    • 0

人間は遺伝的に、自分の実力を最高に発揮できる分野ってほぼ決まってしまっているのですよ。


ノーベル賞の利根川博士もおっしゃってましたが、遺伝子を研究すればするほど、本来人間には髪の毛一本ほどの自由度も無いという意を強くしたそうです。ここで言う自由度とは、人間が何をどれ程出来るかの限界(どのレベルまで届くのか)は、全て遺伝的にコントロールされていてそれを超えることはほぼ不可能という意味です。なので、人間成功しようとしたら、自分は何が出来るのか?何が一番得意なのか?を、できるだけ早い時期に発見することだそうです。この「自分が出来ること・真に得意なこと」こそがセンス・(生まれつきの)才能なんだと思いますね。だから親は子供に対して、得意なことをできるだけ早く見つけられるように助けてあげるのが、最大の使命だということです。

>でも実際同じスポーツを同時に始めたのにあいつの方がオレよりできるみたいなことが起こるのはなぜでしょうか?
↑説明したとおりで、予め遺伝的に伸びしろが決まってしまっているということです(サボろうが一生懸命にやろうが最終的にたどり着けるレベルは一緒)。

とは言え、人間はしたいことと出来ることは異なる場合があるのもまた事実です。だから、好きなことをやるなってことではありません。成功はしなくてもやりきった充実感は満足感は得られるかもしれません。其れは其れでよいのかなと思います。出来ることとやりたいこと、どちらの道を選ぶのも個人のチョイスですからね。その辺がなんとも微妙なところですね^^。
    • good
    • 0

産まれた瞬間は差はないと思いますが、影響を受けるのはその後の家庭環境でしょう。


親の育て方で子供の育ち方が変わって、内なる才能やセンスが開花するということです。
それに子供がついてきたなら、いわゆる一流アスリートになるし、ついてこなかったら凡人で終わります。
卓球の愛ちゃんを見れば分かりますね。
小さい頃からラケットを握って卓球に接してきました。
で、結構なスパルタでしたが彼女が負けずについてきたからあそこまで行ったんですね。
途中で投げ出したら、いくら親が言ったところで無理です。
その違いです。
    • good
    • 0

努力と反復ってシンドイからある意味 逃げかもね。


現代は科学的な解析が進んでるので、努力のし過ぎによる怪我で頓挫するケースも減ってきてるし、体のメカニズムを考えながら練習もできる。
なので、逃げ場所は減ってきてるかも。

ただ、生まれた時、というか胎児の前から個体差はあると思いますよ。もちろん、それがどう役に立つかは組み合わせの妙。
例えば、反応が微妙に遅い方が上手くいく場合もあるはず。
    • good
    • 0

才能やセンスのある者は


教わらなくてもできる
教わらなければできない者が追い着くには努力が必要
才能やセンスのある者が努力すると超一流になる
才能やセンスのない者は努力しても一流にはなれないことが多い
「人間の運動神経、中枢神経、反射神経等の筋肉へ指令を送る伝達速度は生まれたときは個人差は無い」
生まれたときはそうであっても
そこからの成長速度がはやい
    • good
    • 0

才能やセンスなんてものは物事を成し遂げるには大した要素ではない、と考える人はそれぞれの人の能力の違いを知覚できないんでしょうね。



努力で才能の違いをカバーできることもある、ということに拘って個々の人間を見ようとしない、あるいは見る能力が無い、そういうことです。

自分に大した才能やセンスが無くても興味があったり好きだったりそれなりに努力していたりすれば、「あ、こいつの才能は努力以前に備わったものだ」と思わざるを得ない事実に突き当たるものなんですが、そういう体験が無いのか鈍感なのか何なんでしょうね。
    • good
    • 1

おはようございます。



「運」と同じように、説明しろと言われたら説明が難しい要因、
だと思うんですよね。

「努力をしなくて適当にやってもらって、それがまるで努力の
結果のように都合がいい」、それを才能、あるいはセンスがあ
るという、なんて説明でいかがでしょうか。

才能やセンスをもっている人間も努力できるのです。他の人が
努力する結果でたどり着く所に、才能やセンスをもってる人間
は少ない努力で到達できるんじゃないか、と思いますよ。


以下雑談
ちなみに「運」は、適切なタイミングで適切な行動をとる確率、
と誰かが言っていました。「運の良さ」としか説明されていな
いゲームが多いですが、私はこれがしっくりくる説明だな、と
思っています。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!