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日本の歴史を記した「古事記」「日本書紀」は、8世紀初頭に編纂されました。
一方、中国の「三国志」は3世紀にまとめられた歴史書で、「古事記」「日本書紀」より400年以上前に書かれたものになります。
三国志には「魏志倭人伝」があり邪馬台国の記載がありますが、中国と日本は海を隔てており、当時はそう簡単に行き来できるものでなかったので、中国の史料を大量に持って帰ることは相当大変だった考えられます。
一方でその当時は遣隋使・遣唐使が始まっており、中国の書物をある程度持ち帰って読んでいたのも事実と考えられます。
では、「古事記」「日本書紀」の著者は、「三国志」を読み、そこに書かれている邪馬台国のことを知っていたと思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 古代日本が漢や魏、晋といった古代中国の王朝と交流があったのは確実だと思われますが、古事記や日本書紀にそのことが一切書かれていない(おそらく意図的)のは不思議です。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/03/12 07:50

A 回答 (6件)

日本書紀は一部を除き、完璧な漢文で書かれている。

完璧な部分は、渡来した中国人学者が書いたと思われている。ある親子2代の中国人学者が書いたというかなり具体的な研究もある。

そもそも、日本書紀は、中国に対して、「我々日本は、中国に負けない歴史を持った、中国と同等な国である」ということを主張し、冊封・朝貢外交ではなく、対等な立場で外交することを目指した史書だ。
だから「倭」などという中国側が勝手に付けた侮蔑的国名を排し、「日本」という自前の国号を宣言し、史書の題名としたのだ。
中国の四書五経や歴代王朝の史書、仏典など超重要書物は当然日本にもあり、内容もむさぼるように読まれていたに決まっている。そういう中で、「我が国も、史記のような建国以来の史書を作らねば、中国に我が国を認めさせることはできない」という高い志を持ち、長い長い年月をかけて造られたものだ。

当時の日本人は、漢文を読むには読めたし、それなりに書けたはずだが、中国人に漢文で読ませる完璧な文章を中国語で書くのはさすがに難しかったのだろう。ちょっとしたミスで中国人に笑われては元も子もない。
今でも日本在中の日本人がネイティブな外国語を自由自在に扱うのは非常に難しい。
だから、書くのは中国人のお雇い学者に頼んだのだろう。

古事記に関しては、これは日本語の記述部分も多く、漢文も日本風の漢文だ。明らかに国内の日本人相手の読み物だ。
こちらは、中国の史書の影響が皆無とはいわないが、あまり関係ないだろう。
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邪馬台國は中国が当てた差別漢字。

漢委奴國王の奴は古事記でも使われるのなら、差別漢字かは意見分かれる。漢委奴國王を当時の天皇に当てるのはおかしいですか。
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魏志倭人伝は日本書紀で引用。


神功皇后を卑弥呼にしていますね。もちろん作偽で別の人ですが、
候補は孝元帝皇女の倭迹迹姫、男弟は崇神帝。邪馬台国は大和。
つまり時代をずらして書いていますね。

古事記は崇神帝の代にしているのでこのほうが正。

当時は中国の話は倭の5王ということで、呉(クレ)の名前で出てきますね。

倭からは帰化人が使節を務めましたね。百済使節や高句麗使節が同行して3国一緒に中国に出向く。日本書紀には呉という名前で中国を呼ぶ。
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当時は読める書物も少なかったので、当然のごとく読んでいたでしょう。



畿内ヤマト王権の”ヤマト”も、三国志に書かれた邪馬台国から付けた(名乗った)のだろうと私は推測しています。
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日本書紀は、神功皇后摂政39年条の分注に魏志倭人伝が引用されていますので、著者が三国史を読んでいることは間違いありません。



これを根拠に、卑弥呼 = 神功皇后とする説があります。

(誰が作ったサイトかよく分かりませんけど)
https://nihonsinwa.com/page/2532.html

古事記の著者も魏志倭人伝を読んでいると思われますが、意図的に触れないようにしているようです。
日本国家は中国の属国などでないことを強調したい意図があってのことでしょう。
https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2007/e/6f9e26f1464 …
この回答への補足あり
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可能性は、


1~99までありますよね?
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