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1904年ヨーロッパの雰囲気が悪かった訳が知りたいです

日露戦争のちょっと前にヨーロッパが不穏な空気だったのは何でだったんでしょうか?
想像だけで補うには言葉が足りなくて困っています
原因がドイツなのは分かっているのですが
ドイツが何をしたのか、どんな影響を与えたのか
知っている方がいらしたら教えていただけないでしょうか

A 回答 (1件)

できるだけ簡単に説明します。

それでも長文になり、しかも反対意見も出る可能性すらあります(笑)
スタートは18世紀後半です。ドイツを統一して強国にしたいと考えた人物がいました。ビスマルクです。
彼は「ドイ統一はオーストリア(墺)なしで行う」と決めていました。なぜなら、墺は多民族国家だったからです
またドイツの統一に邪魔な大勢力は「仏」だと考えていました。
彼は鉄血政策によりそれを実現させ「ドイツ統一」と「フランスの孤立」さらに
「独・ロ・英・墺」の友好関係樹立という外交の「離れ技」を成し遂げました。狙い通りドイツは強国になりました

ところが、19世紀末に、新しいドイツ皇帝は彼を「クビ」にして、それまでと違う政策に打って出ました。
植民地獲得政策です。まず、その狙いを「バルカン半島」に定めたためたため「英」「露」と対立が始まりました。
もともと「仏」と険悪であったので、バルカン半島をめぐって「独・墺」VS「英・露」+仏の対立構造が生じます
それに加えて「墺」VS「バルカン諸国VS「トルコ」という対立があり、
おこぼれが欲しいと「イタリア」の参加したのです。これが、1904年ころのヨーロッパです。
そこらじゅうで対立があり、「不穏な空気」だったのが、お分かりになりましたか?
さらに、この空気に一段と不穏さを加えたのが社会主義運動です。
その社会主義運動の中心地である「独」は(「露」ではありませんこの時の運動の中心は「独」です)
周辺国から危険視されていました。「不穏の二乗」がドイツを中心におこっていたのです。それが事情です(笑)
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この回答へのお礼

なるほど
それでドイツが原因だったんですね!
分かりやすい説明ありごとうございました

お礼日時:2020/06/08 19:25

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