「さきの副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ!」とキメの台詞があります。水戸黄門が副将軍の時の将軍って、誰でしたでしょうか?また、時代劇で水戸黄門が多く、長く、また再放送される理由とはどうお考えでしょうか?(個人的に水戸黄門は好きです)

A 回答 (6件)

お犬さまの悪政で有名な将軍綱吉に堂々意見をしたわけで庶民はよろこんだに違いありません 水戸黄門が現代で受け入れられるのは日本人がい

まだに官僚・政治は簡単によくならないものとあきらめているからかもしれませんね 選挙があるにもかかわらずです 越後やの現代版は今や当たり前の感じもしますね 
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この回答へのお礼

全くです。いろんな政治家等をみていると、「この世に黄門様はいないのか」と思ってしまう方々は少なくないでしょうね。
有り難うございました。

お礼日時:2005/01/21 12:22

放送が続く方だけ・・・



年をとってても、現役バリバリ。「かっ、かっ、かっ、か~ぁ」(高笑)
カリスマ的存在だからでしょう。人気があるのは・・・(高齢者に特に)

さらに、元々、全国漫遊していませんから
史実無視してストーリー創作できる人物の一人ですので、脚本家が歴史考証する苦労が減る。
視聴者もそれがわかっているからクレームしない。

いつまで、シリーズが続くのか、22世紀になってもあるのかに、思いが行ってしまいます。本当の最終回を見てみたいです。

余談ですが、アニメの、サ○○●●やド○●●●の最終回もテレビで
見たいです。
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この回答へのお礼

知り合いの学者によると、印籠が出される瞬間が「瞬間視聴率」が一番高いそうです(笑)。

>余談ですが、アニメの、サ○○●●やド○●●●の最終回もテレビで
見たいです。

同感です(笑)。でもこれらのアニメはおそらく最終回は存在しなさそうですよね。私の先輩にあたるのび太が、もう子供と似たような年になってしまいましたし。今は子供がド○●●ンを楽しんでいます。

回答有り難うございました。

お礼日時:2005/01/21 12:20

江戸幕府には、正式な役職として"副将軍"が有ったわけではありません。


徳川家はその家督が続くようにと、将軍がいる徳川本家のほかに分家した尾張の徳川家と紀州の徳川家と、水戸の徳川家がありました。
分家はその他にも有りましたが、"徳川"を名乗れるのはこれだけで、あとは"松平"姓でした。
この中で、将軍のいる本家に跡目相続できる男子がない場合に、尾張家や紀州家が徳川家を引き継ぐ事になっていました。
本来は、この三家をもって"御三家"といい、水戸の徳川家は副将軍格として扱われ、将軍を補佐する役目がありました。
このため、常に江戸に詰めている事になり、水戸家は参勤交代が免じられていました。
従って、光圀が水戸家の家督を継いだ次点で、"副将軍"になったといえるので、そのときの徳川本家の将軍が誰かと言うことになります。
TVでお馴染みの水戸黄門は、既に隠居しているので、"先の副将軍"という言い方になります。
設定では、五代将軍の徳川綱吉・・・生類憐みの令で有名な犬公方さま・・・になり、元禄時代の初めの頃・・・・17世紀末頃になっているようです。
時々江戸城で、光圀と綱吉が仲良く話しているシーンが出ますが、あまり仲が良くなかったという話も良く聞きます。
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この回答へのお礼

興味深く拝見いたしました。
また、芸能人で言われる「御三家」という由来をここで感じました。
光圀公と綱吉公が仲が良くない・・・人間味のある話で含み笑いをしてしまいました。
どうも有り難うございました。

お礼日時:2005/01/21 12:14

徳川光圀(1628年6月10日~1700年12月6日)が水戸藩主であったのは1661年~1690年になります。


当時の将軍家は

http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/history/to …

4代家綱5代綱吉の時代になります。
当時の習慣として、元服の時に主君から名前の1文字を貰いますので「光圀」の「光」は3代将軍家光にちなんだ名前となります。

尚「副将軍」という地位は実際には無く、御三家の内水戸家は参勤交代を行なわず、江戸に常時いることが決まってましたので、将軍を補佐する家柄として通俗的に「副将軍」と称してました。
勿論実際に黄門様が全国を漫遊したという事実はありませんし、助さん(佐々介三郎宗淳がモデル)格さん(安積澹泊覚兵衛がモデル)など、モデルになった人物はドラマとは違って学者的人間です。

尾張家と紀州家は隔年交代で参勤しております。

番組が長く親しまれるのは、勧善懲悪というか善と悪がはっきりしており、安心してみていられるという事とお年よりの「スーパーヒーロー物」と考えればよいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>勿論実際に黄門様が全国を漫遊したという事実はありませんし、助さん(佐々介三郎宗淳がモデル)格さん(安積澹泊覚兵衛がモデル)など、モデルになった人物はドラマとは違って学者的人間です。

そうだったのですか!?てっきり諸国漫遊をしていたものだと・・・再認識です。有り難うございました。

お礼日時:2005/01/21 12:10

将軍は、5代目の徳川綱吉です。



1700年12月6日に水戸黄門として知られる水戸藩2代目藩主、水戸光圀公が73歳で死去しました。
名君の誉れ高い光圀は、将軍の補佐役として「天下の副将軍」と呼ばれることもあるが、当時、実際には「副将軍」という幕府役職は存在しませんでした。
この呼び名がついたのには理由があるります。

光圀の実際の位は「従三位」で官職が「権中納言」と言います。
「黄門」とは中納言の唐名のことです。
水戸藩主は常に徳川将軍のそばにいる家柄ということで、いつしか「天下の副将軍」と称されるようになったそうです。

また、光圀は引退後『大日本史』の編纂に着手。
資料を求めて「助さん」「格さん」のモデルとなった家臣を諸国へ派遣したエピソードから「光圀公が諸国を漫遊して悪を懲らしめる」という講談が生まれ、時代劇の定番ヒーローとして語り継がれるようになった。


水戸黄門が永く愛される理由は、
・老人(水戸黄門)が主人公なので御年寄りに人気
・勧善懲悪のシンプルな作りなので子供や御年寄りに受けが良い
・人がめったに死なないため、喜劇のまま終わる。
※他の時代劇では、必ず人が死にます。
・由美かおるのお約束

~~~~~~~~~~~
「変身願望で心理分析」
筑波大学の井上教授は、長寿番組「水戸黄門」の人気の秘密は“変身”にあると。
越後のちりめん問屋のご隠居が印籠を見せただけで、天下の副将軍になる。
普段隠されているものが実は、“こうなんだ”と正体を現す・・・
これが「水戸黄門」の一つの特徴。
私たちは誰でも、自分に100%満足している人は普通いません。
普段の自分と違った別の人間になりたい、より強い人間になりたい!という、色んな願望の現れの一つが“変身”という形なのだと。
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この回答へのお礼

堅苦しく、理解しにくいため本を読むのが嫌いなのですが、juraruminさんの回答、非常に分かりやすく拝見させて頂きました。よみながら一人で「ふむふむ」と納得していました(笑)有り難うございました。

お礼日時:2005/01/21 12:07

綱吉公の時代です。



私も「水戸黄門」好きです。
1.勧善懲悪が日本人の気風と合う。
2.普通の好々爺だと思っていたのが、実態は誰もが平伏す大物だった。
特に2は、スカッとしますから!
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。
なるほど、綱吉公だったのですね。さらにTVを見るのが楽しくなりました。

お礼日時:2005/01/21 12:05

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