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挨拶ー原爆の写真によせて 石垣りん

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ
向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。


質問

1、詩の題名について 「挨拶」が表す意味を教えてください。
2、第一連の一行目について 「あ、」が表す意味を教えてください。
3、第二連について なぜ「この世」ではなくて「此の世」なのか教えてください。
4、第五連の三行目と第七連の四行目について 「安らかに」と「やすらかに」という二つの表記(漢字とひらがな)で書かれている意味を教えてください。


追記

この詩を読んで、僕は、平和ボケしている自分たちに対してりつぜんとしました。この詩から様々なことを考えさせられました。しかし、深く読めば読むほど疑問がふくらんでいきました。是非、質問に答えていただけると嬉しいです。

A 回答 (3件)

1.挨拶の意味は、国語の先生が言っていました


が、この詩は朝刊に載せられたので、
挨拶という言葉を入れてから、詩を始めた
らしいです。つまりあんまり詩の内容とは
関係ないと言っていました。
他は分かりませんが、4.は僕も同じことが
気になりました。
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石垣りん。

私の好きな詩人。

肉親との死別や次々と劇的に変わる環境の波に、足元を拐われることなくしっかりとした視点で世の中を見据え、人生のすべてを詩をかくことに捧げた表現者。

「りん」という名前の通り、ただ真っ直ぐに現実を切り裂くような言葉の使い手と思います。

さて質問に対する回答ですが。
ごめんなさい、全て分かりません。なら回答するなと言われそうですが…

詩に限らず絵や音楽など人間が創る芸術に対して、様々な解釈をつけることは自由ですが。
正解は、創った本人にしか分からないし、そもそも意味はないかも知れないということを伝えたくて書き込みました。

芸術作品は、作者の内面から溢れてくる創造物であり、触れた人が其々に感じた事が全て正解なのか、とも思うのです。

私自身文章を書く時は、さほど考えもせず、心から溢れるように出てくる言葉を連ねます。それに解釈を求められても答えられません。心と指先から生まれ、一度自分から離れた作品は、触れた相手のものとなり、様々な解釈によりかたちを変えていくもの…そんな風に感じています。

「僕は、~りつぜんとしました。」の、りつぜんは、何故「慄然」ではなく平仮名なのですか?
と問いかけられたら、なんて答えるでしょうか。明確な回答はありますか?あったとして、それは貴方にしか分からない事でしょう。

でも、なんでも疑問に思う事は佳きことと思います。そうして言葉を食べ物のように咀嚼して、やがては自身の糧となる…心が豊かになるということですから。

貴方の欲しい回答ではないこと、謝ります。でも疑問に対して探求する気持ちは持ち続けていて欲しいと思い、書き込みました。
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1、詩の題名について 「挨拶」が表す意味を教えてください。


日常的な人々の行動である挨拶だが、嘗てその瞬間に起きた悲劇が重なって感じられる異様な違和感

2、第一連の一行目について 「あ、」が表す意味を教えてください。
その異様さに気付いた瞬間の衝撃

3、第二連について なぜ「この世」ではなくて「此の世」なのか教えてください。
実在感や現実感の無さを強調するため

4、第五連の三行目と第七連の四行目について 「安らかに」と「やすらかに」という二つの表記(漢字とひらがな)で書かれている意味を教えてください。

現在の私たちの平和な日常性を漢字で表現し、その裏側張り付いている原爆の悲惨をひらがなで表記し、両者の不条理な距離感を強調している。
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