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日本史は中学校以来ですので、アホな質問かもしれませんがご容赦下さい。

なぜ日本と近隣三カ国は国交を締結してから随分と経つのに未だこんなに揉めている(というか一方的に絡まれているように映るのですが)のでしょうか?

かつて欧米諸国の方が日本よりもよっぽど過酷な統治を植民地で行った面も多分にあると思うのですが、そちらの関係は何故日本ほど複雑になってはいないのでしょうか?

アフリカの国などは旧宗主国にあこがれの様な感情を持つ国もあると聞きます。
大日本帝国は、同じ国になった台湾・韓国では、インフラ整備や教育にかなりの力を注いだとも聞きます。
むしろ逆に、植民地支配に留めずに、結果的に相手の文化を否定して併合までしてしまった事がより深い怨嗟を生んでいるのでしょうか?

軍政時代や共産党の一党独裁政治による過度の反日教育が大きく影響しているとも聞きますが、その辺はどうなのでしょうか?
台湾と韓国とでは、対日感情に結構差があると思うのですが、その辺りの違いは何なのでしょうか?

もし宜しければご教授頂ければ幸いです。

A 回答 (7件)

それぞれ若干問題点は異なると思いますが・・



中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国のいずれも戦勝国ではないのがネックだと思われます。

中華民国(台湾)との間に然程わだかまりが存在しないのがその傍証となると思います。(国交がありませんが・・)


三つの政府とも、自己の正当性を確立するために、敗戦国である日本を負の象徴にせざるを得なかったわけです。
対し、中華民国政府は大陸から追い出されたものの、一応は戦勝国政府ですので、自己正当化の為に反日は不要だったわけです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。

>いずれも戦勝国ではないのが
石原氏が用いる「三国人」という言葉はこれが語源なのですよね?

>中華民国政府は大陸から追い出されたものの、
そういえば戦勝国は中共ではなく中華民国だったのですね…。

お礼日時:2005/01/31 15:32

このような問題は、個人の価値観、歴史観、事実認定に差が生じますよね。



私は、植民化した後の、台湾と韓国の違いについて、
ひとつの説を呈示します。

当時日本は台湾、韓国にそれぞれ総督府を置きました。
そこでの日本人としての氏名使用の指導(これが強要であったかは別の問題を生じます)、
日本語使用の指導に関して、
その指導法に随分差があったようです。

結局、トップの意識、指導法が、韓国におけるより台湾におけるそれの方が、
緩やかであったので、現在、台湾に親日家が多いという説があります。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
台湾と韓国とでは現場レベルの統治方法が違ったのですね。

お礼日時:2005/01/31 15:29

歴史を紐解くと、東アジアでは親分が中国、子分が朝鮮、舎弟が日本という関係になります。


舎弟というのは親分にとっては子分に近い存在で、日本が完全な中国の支配下に無いのが面白くない。
子分の朝鮮にとってみればおじさんとして日本を立ててくれますが、腹の中では分家の人間という意識ですから、本家の自分たちより日本が羽振りがよいのは面白くない。
こんな関係があります。
一種の近親憎悪のような部分もあり、2000年近い昔からお付き合いがありましたから、関係はよくなったり悪くなったりします。
また中国は多民族国家ですから、仮想敵国を作り国民の関心をそちらに向けないと反政府勢力が台頭する危険がありますから、意図的に日本を敵視しますし、北朝鮮も同様です。
韓国は日本語の歌を放送禁止にしたり、日本を無視する政策をとっています。
個々の国民としては仲がよくても、政治的問題で否定したり、これは単純な問題ではないのです。
アフリカ諸国が英仏を慕うのは、見た目も文化も違う赤の他人だからで、アフリカ人同士ですと仲はよくありません。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
近親憎悪なのですね…。そう言われれば納得です。

日本は中国の子分だったのですか?
日本の天皇は、他の周辺諸国の王とは違って中国皇帝から任命?を受ける立場ではなかったのですよね?

お礼日時:2005/01/31 15:28

明治維新後、かろうじて植民地化を逃れた弱小国日本は、かつて自分を植民地化しようとした欧州列強に学んで、富国強兵政策をとり、少しばかり兵力をつけたところで、植民地化する地域を物色するわけです。

しかしながら、不幸なことに、植民地化の歴史はずっと以前の16世紀から大規模に始まっていて、日本が動き始めた1885年頃には、日本が取れそうなパイはもうほとんど残っていませんでした。そして、周辺には、近代化への歩みを独裁者西太后により阻害された大帝国清が列強に蚕食されて横たわっておりました。さらに、朝鮮半島にも李氏朝鮮という王朝が、近代化に乗り遅れて、ロシアに虎視眈々と狙われておりました。中国も朝鮮も古くからの文明国家で、古代より長きにわたり日本との関係は、非常に良好でした。ここに日本の悲劇があります。つまり、侵略したのが、古くからつきあいがある文明国だったということです。このあたりが、欧州列強が未開の地域(例:アフリカ)を植民地化したということと、大変、事情が異なります。古くからの文明国のインド人も、イギリスをたいへん恨んでいます。(イギリス人は植民地政策が実に巧妙で、自分たちは手を汚さず、別の民族を使って憎まれる弾圧などをさせたという経緯もありますが、頭のよいインド人はちゃんと見抜いていたのです。)
1894年の日清戦争の結果、清より割譲された台湾は少しばかり事情が違っています。当時、台湾は長らく中華文明の教化の及ばない「化外の地」でしたので、台湾の植民地化は、それほど、中国人のプライドを傷つけることはありませんでした。台湾の中国人は第二次大戦が終了するまで、日本人であり、日本兵士でした。1949年、中国共産党との内戦に敗れた国民党が大陸より、台湾に逃れて、台湾を占拠し、元々台湾に住んでいた中国人(本省人)を弾圧したため、本省人は日本人が統治していた頃のほうがよかったと、長い間、言っていました。来日のVISA問題をめぐって、日本と中国との間に時々軋轢が生じる台湾の元総統の李登輝さんも本省人、京都大学卒、親日家、日本語は上手です。
また、日本の立場が不利なのは、第二次世界大戦の敗戦国だからです。第二次世界大戦は、植民地化戦争が高じて、世界大戦になったのですが、日独伊が負けて、英仏米中が勝ったので、英仏の植民地主義にはおとがめなしで、日本、ドイツは悪いということになったのです。日本人の大部分は、日本はアメリカに負けたと思っていますが、日本は中国にも負けたのです。敗戦は60年前のことですが、国連などは、第二次大戦の戦勝国と敗戦国の区分けが明確です。敗戦国の日本は一生懸命お金を国連に貢いで認められようとしていますが、戦勝国の中国はいろいろと意地悪をしています。
なお、私見ですが、多くの中国人(大陸の漢人)は白人の方がアジア人より優れていると思っているようです。(もっとも、日本人にもこういう考え方の人が多いです。広告などに多数の欧米人が登場しますよね。)
さらに、日本は米ソ冷戦中、アメリカの核の傘のもとで、急速に経済発展し、ひとり勝ちとも言える大成功を収めたので、それが、文化大革命などのイデオロギー闘争で経済発展が遅れた中国から見ると、許せないということにつながるようです。
また、現在は、ソ連崩壊によるイデオロギーの時代の終焉によって、国家主義の時代に入ったということも、軋轢の原因かもしれません。
まあ、私も日本人ですから、悪口を言われると、いろいろ言い返したいけれど、仲の良かったおとなりさん宅にはじめに押し入ったのは日本ですから、その点は本当に悪いです。
日本も植民地化を台湾と満州だけにとどめておけば、こんなにたたかれることがなかったと思います。
それにしても「韓流」は日本と韓国の距離を一気に縮めました。よいことだと思います。
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この回答へのお礼

丁寧な御回答ありがとうございます。
遠方の未開の国ではなく、近隣の、しかも古くから付き合いのある文明国家だったという事が大きな差異なのですね。

李登輝氏は大日本帝国によるインフラ整備をかなり評価されてますよね。

中国に負けたというのは、台湾に逃れた中華民国という意味でしょうか?中共には負けていないのですよね?

確かに韓流ブームは韓国人自身の対日感情に少なからず変化が起こったようですね。
日本人・韓国人が共に相手国に眼を向けるのは良い事だと思います。

お礼日時:2005/02/01 17:37

中国は冊封主義といって、臣下の礼を取らない国とは付き合わない伝統があります。


日本でも聖徳太子の国書では「日出る・・」と、中国と対等の国と宣言してますが、これは海を隔てた日本だからこそで、朝鮮のような陸続きの国ならすぐに中国軍が南下して占領(膺懲)されてしまいます。
特にこの時は有名な隋の煬帝の時代ですから。
一方で時代は下がりますが、足利義満は中国(宋)に「日本国王」の称号を貰い、貿易の実利を取りました。
また古代には天智天皇と天武天皇の時代には、中国と結んで朝鮮と対立するか、それとも朝鮮と共同して中国の南下を食い止めるかの政策の違いが後の壬申の乱に繋がりましたし、徳川幕府の時代でも中国(明)から北方騎馬民族(清)に対抗するため援軍を求められ、断った経緯もあり、時代により3国の利害は密接に絡んでいます。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
臣下の礼をとらない国とは付き合わないというのは、かなり傲岸不遜だと思いますが、それほど当時は中国を中心にこの地域が回っていたという事なのでしょうね。

日本史でも壬申の乱というのがあるのですね。世界史でも壬申・丁酉の倭乱(朝鮮出兵)というのが出てきます。

お礼日時:2005/02/01 17:40

追加情報。


いわゆる第三国人は戦時中大日本帝国統治下にあり、
戦後、連合国側の処理により日本統治下を離れた人々のことです。
おおよそ、朝鮮半島の住民、台湾の住民および内地にいる人々の外国籍です。
ただし石原発言の対象となるのは「内地にいる外国籍の人々」です。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
戦後すぐの日本というのは大変混乱していたようですし、ココ(教えてgoo)のような場所には公然と書きづらい事もいろいろとあったようですから、もしかしたらそういった事が石原氏の歴史観の中にもあるのかもしれませんね…

ただ相手方が差別と感じる発言を、政治家が意図的にされるのはどうなのでしょうね…

お礼日時:2005/02/01 17:45

#4です。


日本は中国共産党に負けたのか、国民党に負けたのかというご質問ですが、国民党と共産党は、日本と戦争しながらも、お互い戦ったり、合作(協力)したりしていました。日本敗戦の頃は、一応、合作していました。ですから、やはり、中国に負けたというのが妥当な線かと思います。現実には日本はアメリカの武力で敗れたのですが、アメリカは国民党蒋介石と手を組んでいたので、敗戦国日本の交渉相手は国民党蒋介石に限られました。
1972年、アメリカが中華人民共和国と仲良くし始めたので、日本もあわてて、中華人民共和国との間で国交樹立するわけですが、中国共産党は国民党と「中国」というタイトルをめぐって本家争いをしていますので、国交を結ぶ相手に「中国はひとつ」という固い原則を認めさせなければ気がすみません。1972年の日中共同声明中に「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府」という文言があります。これにより、日本政府は「中華民国」の存在を否定し、「中華人民共和国」のみを中国と承認したのです。したがって、日本国にとって台湾は国ではなく、中華人民共和国の領土の一部なのです。では、「中国」とはなんぞやという問題になると、これはもう哲学の領域ですね。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
国共合作、世界史で出てきました。
中国の一部にして、しかしながら現実には統治権の及んでいない台湾は、さしずめ日本のおける歯舞・色丹・択捉・国後に通じる部分があるのかもしれませんね…

お礼日時:2005/02/03 01:06

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