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こんばんは。OKさんにはいつもお世話になっております。

愛犬を今週亡くしたばかりなんですが、ふと、犬(動物)
にも魂があって、天国に行く前に?彷徨っている?のか
なーなどと思ったのですが、どうなんでしょうか?

動物の遺骨を手元に持って残しておくことなどは、
あまりよくないことでしょうか?

ちゃんとお葬式をして、火葬をして、来月納骨なのですが、写真と遺骨を飾って、ろうそくとお線香、あとは、
水とフードを置いてあげて、供養しています。

人間と同じと考えていいのか、お教えください。
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

確認です。



あなたは人間に魂があると真剣に思っているでしょうか。人間にあるなら、犬にないはずがないでしょう。

輪廻転生の概念があるなら死後人間から犬に生まれ変わる人もいるでしょう。それならば魂はあるということになると私は考えます。

ということであなたの信仰している宗教に基づき供養するのがベストでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

人間に魂があるかどうかは、そこまで本気、真剣には
捉えてないように自分でも思います。

信仰している宗教はまったくないんですけれどね。

お礼日時:2005/02/12 01:52

『虹の橋』をご存知ですか?


私はこのお話を信じて、心の支えにしています…。

とくに信仰がなければ、お好きな形で供養してあげて良いと思いますよ。
お骨をそばに置いておくのも「あり」だと思います。

ワンちゃんのご冥福をお祈りいたします。

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~symd/Rainbow/Rainbow …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

遺骨を側においておくことも、ありだと仰ってもらって
自分のエゴだとは思いながら、嬉しいコメントでした。

お礼日時:2005/02/13 12:33

質問者様の愛犬のご冥福をお祈りします。

愛犬は家族です。人間と同じで良いと思います。長年一緒に暮らすと、お別れが本当に辛いですが、愛犬からの貴方とご家族へのプレゼント(思い出など)を大事にして下さいね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

優しいコメントに癒されました。

お礼日時:2005/02/13 12:34

まずタイトルの件。



人間に魂があるとお考えであれば、人間にしか魂が無いと考えるのは不自然かつ、非合理的と思います。

>人間と同じと考えていいのか、お教えください。

これはご自身の信ずる事が正しいとしか言えません。
人間だって宗教・宗派で全然違いますし。
例えば仏教だって、亡くなった魂を大切にするという考え方はありますが、遺体はただの物体と考えます。
仏教では肉食を禁止しているとの誤解がよくありますが、お釈迦様の教えでは『自分の為に殺生してはならない』と仰られているだけで、例えば川で溺れて死んだ猪がいたとすれば、拾って食べるのは仏教ではかまわないのです。

極端な言い方をするなら、亡くなられたパートナーを調理して食べて、自分の体の一部となって共に生きるというのも一つの選択肢です。(法律で禁止されていない範囲なら…)


あとは私の勝手な心情ですが、私の飼っていた鶏は土葬です。自然界から隔離されて、永遠に骨壷の中に押し込めておくなんてかわいそうで出来ません。願わくば自分も骨壷の中で過ごすなんて嫌なので、自然葬にしてもらえると良いんですけどね。意思表示カードには全部可能な限り全て使えと書いてますので、実行されれば脳みそくらいしか残らないはずだから、鳥葬が私の理想。(鳥好きだし、日本では無理だけど…)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

後半のコメントは、心打たれました。

お礼日時:2005/02/13 12:36

人間は煩悩にとらわれるものですが、


動物は本能に従って生きるものです。

煩悩に捉われるが故に現世に捉われるのであって、
本能のままに生きる動物は現世に捉われません。

あとは現世に残された者の立ち振る舞いに過ぎないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

動物は本能で生きている、まさしくそうですね。

お礼日時:2005/02/13 12:37

私も、大好きだった愛犬がいきなり逝ってしまい、とてもショックを受け、数年来、ひきずっています。



愛犬のお葬式は、病院で、紹介されたお寺でしました。また、ロッカー式の小さなお墓があるので、そこに遺骨と、写真や、好きだったペットフードなどをかざってあります。
年に一度、お墓参りにもいきます。(ペット嫌いな人にはバカと思われるでしょうが)

質問者さんの、ペットの死後についての疑問は、いろんな方が、回答しているので、私あたりがいうことではないですが‥

この質問で、大事なのは、『あなたが愛犬の死を、どう受け入れるか』ということだと思います。どういうふうに、心に納得させるか、決着をつけるか、だと思います。

あなたにとって、家族同様の存在だったら、人間と同じようにしたほうが、あなたは納得できるのではないでしょうか?

でも、大好きだけど、やっぱり動物なんだと思えば、いままでの楽しい思い出をありがとう、で終わってしまうかもしれません。

亡くなった者への、悲しみを残しているのはあなたです。
私は、お墓などの手続きも大事かもしれませんが、ずっと大好きだった愛犬のことを、忘れないでいてあげるのが一番の供養ではないかと、考えています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

忘れることは、生涯ないと思っています。

お礼日時:2005/02/13 12:38

 どこから書きましょうか。


 動物行動学という学問をご存じでしょうか。これは、生理的なアプローチをする解剖学と違い、人間の身近な動物の行動自体を研究する学です。
 もっとつきつめて言えば、動物の心理を推理する、ということになるかと思いますが、決して「動物心理」とは呼ばれません。動物と同じ言葉で喋ることはない以上、その行動原理など推測の域を出ない、発達の違う動物である以上人間と同じ原理で行動しているように見えても違う可能性はある、そういう戒めもあります。しかし、欧米で動物行動学が、「比較行動学(人間として比較する)」とまで言われた理由の一つには、「魂」の問題があります。
 「魂」とは、宗教用語だと思います。
 「ドッグズ・マインド」という本のまえがきで著者は、「マインド」という言葉を使うのにはある決心があった、ということを述べています。
 西欧では人間と違い動物は本能に支配され、本能のままに生きる、人間のようなはっきりした意識とか感情とか、持っているはずのない存在でした。なぜなら、魂がないものとみなされていたからです。なぜ魂がないかと言えば、キリスト教の教えに背くからでしょうね。
 キリスト教では魂のあるものは、死後天国か地獄に行くようです。選ばれたものだけが行ける神聖な神のお膝元に、犬だの馬だの、あげくには蠅も蚊もうろうろしていては生活臭がありすぎてありがたみがない、昔の聖人はぼんやりとそう考えたのかもしれません。人間の権利さえ、下層階級や女性には存在しない時代でした。物を言わない使役するだけの動物に心があるとは、その当時の人間はよもや思わなかったでしょう。
 また、後の哲学(人間の優位、正確に言うと時の支配層、王侯貴族や男性、白人の優位)の一部も後押ししました。詳しくは、たとえば「人はなぜ殺すか―狩猟仮説と動物観の文明史」などに書いてあります。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …
 この本を読んだのは子供のときですが、デカルトの”cogito ergo sum"がいかに「動物迫害」を後押しする「世界機械哲学論」とでも言うべきものになったのか、非常に興味深いものがありました。よろしければ、その部分だけでもご覧頂ければ嬉しく思います。
 ちなみに、有名な「黒馬物語」は、このデカルトと同時代の人間の身近な生き物である馬が、いかに過酷な使役に晒されていたか、道徳や権利というものを言い始めていた当時の人間がいかにそれに無関心であったか、という世相を描いた小説です。

 そういう経緯があって、未だに西欧の世界では「動物に魂はない」と思っている人はたくさんいます。日本にもいるでしょうね。私の友人は団地暮らしで動物に接したことがほとんどなく、私が「このとき犬の心理としてはきっとこうであったのかもしれない」といったことを言うと、「犬に心があるわけはない」と笑いました。動物と接したことのない人はそんなものです。動物は単純に見えます。その内実は、その他の動物には決してわかりません。
 話を戻して、「ドックズ・マインド」というタイトルに決めた経緯を、著者は詳しく書きました。mindとは、魂を持つものだけが感じる感情であるから、このタイトルで批判をもらうだろうことは予想がついた、というようなこと、しかし、長い間動物と接してきた人は、その長い経験を経たあとにそのようには決して思えないだろうということ。
 イギリスの獣医(著者がイギリス在住の獣医であるため)に「犬に魂はあると思うか」と訪ねたら、そう思わない人の方が圧倒的に多かったこと、しかし東洋の文化を持つ日本の獣医師会で同じことを尋ねたら、10人が10人とも「あると思う」という答えを返したこと。
 欧米でもそういう人はいます。「名犬ラッド」という本を書いたターヒューンは、半世紀以上前に亡くなった昔の人です。
 6歳で読んだ時には気づかなくても今ははっきり、選民的な人種差別主義に凝り固まったいやらしい大人(悪く書くと)と思えるのですが、あとがきで彼は、愛犬が亡くなったとき、その墓碑銘に「肉体も魂も、ともに純粋なる」と刻ませた、と書きました。
 「犬に魂がないと知ったかぶりをする人もいる。そういう人間は、私達が選んだこの愚かな碑銘を笑うがいい。しかし、ラッドを知るほどの人は、決して笑いはしないだろう。」と。
 西欧でも、よく知る人はそうです。犬の幽霊の話(幽霊は死後の存在だから、魂がないと存在しないのでは?)の言い伝えも、本当は、向こうの人は信じているからではないでしょうか。
 私が読んだ本を挙げましたが、他にもそういう本はたくさんあります。そういう小説で人間の心理を託すにしても、動物をよく知った人ほど、動物に感情や心があること、魂を持っていることを受け入れながら描いています。
 私自身も、もしかしたら人間ほど濃い形ではないかもしれないにしても、動物にも魂や心はあると信じています。書名は忘れましたが、ある本に「人間の持っている感情や心は、進化の過程で生命がはぐくんだきたもの、人間だけにぽっと与えられたはずがない。だとすれば、進化の枝葉で高等な動物は人間に近い形の心を持っていると考えるのが、もっとも自然である」と書いてありました。
 私はこれを信じています。進化論は私の信じるところだから。私の犬とずっと暮らしてきて、その喜怒哀楽を近くで見ていたから、犬にも魂があると信じています。
 繰り返しますが、「魂」とは、宗教用語だと思います。仏教はキリスト教と違ってもっと寛容に、動物も輪廻のうちにある。本当のところは、posuchanさんはどうお考えか、というところにあると思います。

 たぶん、posuchanさんは、犬に魂があるかということの世俗的な是非ではなく、単に手続きとしてどうか、ということをお聞きになりたかったのだと思いますが(^_^;、宗教が動物に魂を認めなかったり、悪い影響があるとか、骨を残しておくのは良くないとか言う理由は一つ、人間の死に対する恐れや、人間の方が優れていると思いたい感情です。
 もし、長い間いっしょに暮らしただろう犬に、悼むお気持ちがあったり、弔うことで亡くした悲しみを多少なりと和らげることができるのであれば、そのお気持ちのほうを大事にしていただきたいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

なかなか、興味深く拝読させていただきましたよ。
私は、あまり、神仏を信じているわけではないのですが、
神社などによくワンコが長生きするようにと今年だけでも
数回参拝にいってきましたが、まったくダメでしたね。

なんとなく本や世間で言われているとおりに、死んだ後
の魂やあの世で会える・・・など、自分が死なないと何も
わかりませんが、どうなんだろうという想いがあります。

世間一般のあれに、囚われている部分があったのですが、
ここで皆様に回答をいだたき、自分がこうだと思うやり
方でやろうと思えました。

愛老犬から与えられた、人間には継続できない、暖かい
純粋な、永遠の心の眼差しを、感謝したいと思います。

お礼日時:2005/02/13 12:47

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