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戦国時代の武家親族死者の供養はどうしていたかについて質問させて下さい。

今では家族が他界した場合は、火葬場でのお骨を墓に入れて供養しています。
戦国時代の場合、戦場で死ぬこともままあったとは思うのですが、その場合戦場に残されたお骨はどれが誰のものなのかは分かりませんよね? 
その場合、代理のお骨を墓に収めたのか、あるいは戦地に向かって拝んだのか、それとも位牌に向かって拝んだのか、お寺での○回忌をしていたのか・・・
また、死亡の確認はどうしたのか、墓はどうしたのかだとか、武家だけではなく、普通の農民や町民が死んでいた時どうしていたのか、戦争に勝った方はいいが、負けた方が首実検になる時、その頭部と遺体はどうなったか、その時遺族が供養する時どうしていたか(そもそも供養などしていなかったのか)なども気になります。

この辺りについて、少しでもご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

質問者からの補足コメント

  • また、私が推測するに、libutteryさんは歴史の知識を真摯に追われている方だと思います。
    それが故にフランクなQAを許さないのでしょう。
    私も技術などの回答者側でそういうのを経験しますが、私もそういうフランクな質問にプロフェッショナルな回答はしません。
    「なぜフランクな態度で深い質問をタダで知ろうとするのか? 」
    そういうレベル感の時には回答は避けますし、対企業相手であれば、「契約外のことでして・・・」で断ると思います。

      補足日時:2023/05/24 07:27
  • 補足ですみません。
    遺体があるだろう戦地などへの方向などへは拝んでいたりしたのでしょうか。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/05/24 09:00
  • 皆様回答頂きましてありがとうございました。
    後続の方の知見のために本ページをWebArchiveに登録・記載しました。
    https://web.archive.org/

    こちらを見て頂ければ、後々このページがどういう変遷をしたのか分かるようにしております。

      補足日時:2023/05/27 19:16
  • と言うことでもう一つ書かねばなりません。
    本QAがさるユーザーによって○らされたと言う件においてです。
    libuttery、CENTRAIR2と言うユーザーにより理由もなく○謗○傷を受けております。
    私はこれらのユーザーに対して疲弊をし、精神的ストレスを与えられました。
    恐らくこのコメントも○除されますが、それよりも手前で上述のウェブアーカイブのサイトに登録しますので、このコメントもそうした形で保全したいと思います。
    「他人に聞くって事自体が 下位に居る事なのを 知りなさい」などと言われましたが、その上から目線のコメントの割には、本人に至ってはさしたる知識も無かったご様子でした。
    本QAの回答数が4件なのに対して、回答ナンバーが9から始まっているのは、それよりも手前で○らされていた形となります(通報によって削除されました)。

      補足日時:2023/05/27 19:22

A 回答 (4件)

遺族に渡せる場合には主に「遺髪」や「形見の品」が渡されました。


ご遺体本体は、おそらく他のご遺体とまとめて火葬に付されたでしょう。

何もない場合も含めて、遺族は仏僧に戒名を記した位牌を作ってもらい供養することになります。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やっと普通の回答を頂けた・・・
なるほど、遺髪、形見などがあり、これが無い場合含め位牌を作る、なんですね。
ちなみにこの場合墓石は無いのでしょうか?

お礼日時:2023/05/24 08:47

捕捉について〈遺体があるだろう戦地などへの方向などへは拝んでいたりしたのでしょうか。



拝む人もいたかもしれませんが、仏教の教えでは死ねば魂は西方浄土に行きます。
方向で拝むとしたら西の方でしょうか。

まあ、家に位牌があり、墓地などに墓を作ったのなら、拝むのはそちらだとは思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
位牌、もしくは墓に拝む形ですね。

尚、同じ問題につきあたる後続の方のために書き残しておきたいと思います。
戦国時代の情景を描いた漫画「センゴク権兵衛」においてのエピソードです。
フィクションを含む作品ですが、一つの考えを補強する材料になるかもしれません。
仙石権兵衛には娘がおり、その婿になろうとしていた青年(田宮保富)もいました。
その青年は仙石権兵衛からは可愛がられていましたが、結婚の前にいくさに駆り出され、その戦乱の中で死んでしまいます。
仙石権兵衛は戦死の報を受けて、後ほど田宮の遺髪が届けられました。
が、戦乱の中、本当の遺髪も残っているはずもありません。
それが嘘だとは分かっていたのですが、仙石権兵衛はそれを受け取りました。
「家臣が苦渋の上に自分のためについた嘘を拒否する訳にはいかない」

嘘と分かっていて遺髪を受け取ったのですが、それを家臣から本当のことを言われると「あれはええ嘘」と言っておさめます。
私は総合的にこのエピソードからは、そこに何があるのか、と言うよりも、その人の生前をどう思っていたのか、と言うことも重要なのではないか、そこに戦乱や社会的混乱があったならば、それらは失われるが必定である、と。

お礼日時:2023/05/27 19:13

古代中世では「遺骨」はさほど大きな意味を持ちません。

普通、遺体を埋葬する墓と供養する墓は別です。遺骨が無くてもちゃんと供養さえすれば成仏するというのが昔の考えです。
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この回答へのお礼

なるほど、ありがとうございました。
ともあれ、私は仏教周辺で(批判も含めて)言う「白骨信仰」にちょっと囚われていたのかもしれません。
残された骨に何か意味があるのだ、と言う考え方で、お墓とそこに埋葬された骨にまつわる信仰で、仏舎利などがそうではありますが、仏舎利が世界各地に建てられまくって、「本当はブッダのお骨はないのでは? 」と言うところに信仰を持ってしまっている件ですね。

親鸞か蓮如かは忘れてしまったのですが、自分のお墓を残すな、と言う話がありましたね。白い骨に意味などないのだ、と。
多角的な考えを想起するきっかけとなりました。

お礼日時:2023/05/27 18:29

お礼について〈ちなみにこの場合墓石は無いのでしょうか?〉



勿論、大抵は造るでしょう。
遺体や遺骨の代わりに、遺髪や死亡時の形見の品を入れたり、家に残っている故人の品などを使うのが普通の考え方でしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど、回答ありがとうございました。
助かりました。

お礼日時:2023/05/27 18:25

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