dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

何故ニーチェを学校で習うのですか?
虚無主義などニーチェは、この世の無意味さを説くだけならそもそも習うのも無意味な筈です。

質問者からの補足コメント

  • 私がニーチェの部分で面白いと感じるところは、超人という部分です。
    ニーチェの超人思想は結構好きです!

      補足日時:2021/01/23 10:46

A 回答 (15件中1~10件)

No.11です



早速の補足ありがとうございます。
ちょっと驚きです。今は義務教育でニーチェの思想を習う時代なのですか・・・昔とは大分変って来ているのですね。それは大変失礼しました。てっきり大学での専攻での話かと思ってました。

しかし義務教育のなかでそこまで多岐にわたり学べるというのは自分にとっては逆に羨ましい環境ですよ。確かにご自身の考えとは食い違う部分もあるかとは思いますが、学校の方針がニーチェ推しな訳でも無いと思うのでそういう考え方も世の中にはあるという事を記憶の何処かに留めておくだけでも将来的にスキルの肥やしになるかも知れませんよ。

現に「ニーチェの超人思想は結構好きです!」の収穫はあった訳ですから。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

収穫は超人思想ぐらいですけどね。

お礼日時:2021/01/23 17:49

「知らないで論じる」のと「知って論じる」では、大きく異なります。


ある人Aが素晴らしい事を考え付いて発表したら、それは過去のある人Bが既に考え付いて発表していたとしたら、Aの発表は無駄になってしまいます。こうした無駄を防ぐには、過去に学んで、どんな人がどんな事を考えたか、どんな仕事をして来たかを知る事が非常に重要です。
なので、過去には、糞の役にも立たない「虚無主義」でこの世の無意味さを説いたニーチェと言う哲学者がいた事を知っておく必要があるので学校で習うのです。なので、習う事は無意味ではありません。しっかりした意味があります。
この世の無意味さと似た意味で、仏教の「諸行無常」と言う言葉が使われる事もあります。
デカルト、カント、ショーペンハウエル(デ/カン/ショ節の由来)やソクラテス、プラトン、アリストテレスなど様々な人が色々な事を考えていた/考えてきた事、レウキッポス、デモクリトス、ドルトン、ボルツマン、コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインなどが何を考え、どんな研究をして来たのかを学校で習い知っておく事は無意味ではなく、意味があります。詳しくは無理でしょうから概要ぐらいは知って置くべきです。

回答は、ここまでです。以下は、私が考察した諸々のメモです。

時間が無かったら,つまり,時刻も無い,瞬間も無い,時間的な幅が無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

空間が無かったら,つまり,点も線も面も体積も無い,空間的な大きさ広がりが無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

真空を「無(む)」だと言う人がいるが、超弦理論の弦/紐/膜やクォーク、素粒子、原子、物質、エルネギーの全てが無くても、真空には時間と空間はある。従って、真空は、「無(む)」ではない。

創世記では、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」とある。「はじめに」とは、時間を指す言葉だ。「やみが淵のおもてにあり」とは、「やみ」や「淵」が存在し、これらが存在できる「空間」がある事を意味する。つまり、神が天地創造を開始した時には、既に時間は存在して時間が流れており、空間も既に存在していたと述べている。神は、時間も空間も神自身もやみも淵も創ってはいない。これらは既に存在していたのだ。
では、これらを創ったのは何なのか? これらは何故、存在していたのか?
聖書は答えていない。

宇宙は、なぜ存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか?

神が創ったのなら、

_神は、なぜ存在し、_神は、どうしてどのようにして始まったのか?

こう記述すると、宇宙と神が同じである事が解る。

時間だけでも、空間だけでも、「存在」は、成立しない。この一方だけでは「存在」は成立しない。時間と空間の双方があって、初めて「存在」は、成立する。
宇宙は、なぜ存在している事が出来るのか? それは、「時間」が存在していて、「空間」が存在しているからだ。
時間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  時間が無い状態から時間が始まった/初めた/流れを開始した状態をイメージ出来ますか?
空間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  空間が無い状態から空間が始まった/初めた/大きさ広がりを開始した状態をイメージ出来ますか?
出来ませんよね。と言う事は、時間の無い宇宙、空間の無い宇宙は、存在しない、ありえないと理解すべきと言う事なのです。
ビッグバンで宇宙が誕生して、時間も空間も誕生したのなら、ビッグバンの「前」は、時間は? 空間は? どうなっていたのか?との疑問が湧きます。
「無限大の大きさ広がりを持つ空間的に無限大の空間と無限大の過去から存在し無限大の未来まで流れ続ける時間的に無限大の時間が無限大の過去から共に既に存在している」。この時空/宇宙を「母宇宙」と定義します。この母宇宙Aの時空の量子論的な揺らぎが、我々が存在しているこの宇宙Bのビッグバンを138億年前に引き起こし、Bは、Aの「子宇宙」として、Aの時空の中で誕生し、今もAの時空の中で加速膨張し続けていると解釈/理解すると、Bが誕生する「前」の「時間」は? 「空間」は? と言う問いに、Bが誕生する「前」は、Aの時間が流れ、Aの空間が広がっていたと答える事が出来ます。
それぞれが無限大の大きさと広がりを持つ「子宇宙」を無数に無限大個、その時空の中に持っているのが「母宇宙」で、母宇宙の中では、常に無数の無限大個の子宇宙が誕生して、それぞれが母宇宙の時空の中で収縮/安定/定速膨張/加速膨張などの成長を続けているのかも知れません。
こうした多数の宇宙が存在するとの考えを「マルチバース」と呼びます。
母宇宙は、どのように始まった/誕生したのかは、母宇宙の「定義」から、
「母宇宙は無限大の過去から時間と空間と共に既に存在している」と回答する事になります。なので、母宇宙に始まり/初め/起源/誕生は無いのです。

ケプラーは1609年と1619年の著書でケプラーの第1,2,3法則を発表し、ニュートンが1687年の著書で万有引力の法則を発表する切っ掛けになり、1887年のマイケルソン・モーリーの実験は、1905年にアインシュタインが特殊相対性理論を1915-1916年に一般相対性理論を発表する切っ掛けになった。
宇宙の加速膨張が観測され、ダークエネルギーやダークマターが提唱され、超弦理論や11次元のM理論などが議論され、これらは、次の物理学の一大飛躍の切っ掛けとなるだろう。
1900年にプランクが量子論を1905年にアインシユタインが相対論を創始して現代物理学が誕生し、それまでの物理学が古典物理学と呼ばれたのと同様に、2021-2030年に掛けて生み出される物理学は、今の現代物理学を過去のものとする、全く新しい「真新物理学」を創始するかも?
それは、1900-1905年頃の人に量子コンピューターや相対論的GPSの時間補正と言っても理解できないのと同様に、2020年の我々が「局所空間の通常空間における波乗り効果」と聞いても理解できない全く新しい物理理論と技術を生み出すかも?
全く新しい時空のイメージと次元理論を生み出し、任意の範囲の時空を通常空間の時空の中を波乗りをする様に滑らせ、何百万光年も離れた遥か彼方の銀河に極めて短時間で人や貨物を行き来させる技術を生み出すかも?
そうなれば、はくちょう座の方向の約600光年の彼方にある太陽に良く似た恒星ケプラー22のハビタブルゾーンを公転している岩石惑星ケプラー22bに移民宇宙船が大挙して押し寄せ、ネオ日本/ネオアメリカ/ネオチャイナ/ネオロシアなどが建国されるかも?

宇宙人を「この宇宙に存在している知的生命体」とすると地球に住む人類も該当する。人類がいるのに人類の他には、この宇宙に宇宙人はいないと言う方が無理がある。天の川銀河(銀河系)には約1000億個の恒星があるらしい。その中に地球人と言う知的生命体が発生していると言う実績/事実がある。アンドロメダ銀河は、天の川銀河の約2倍の恒星があるらしい。天の川銀河でも最低1個の知的生命体を産んだ星(地球)があるのだから、その約2倍の恒星を持つアンドロメダ銀河には最低でも2個の知的生命を産んだ星がある?

知的生命体は人型で無いかも?
wikipedia日本語版の記事「ケイ素生命」の様に、ケイ素を主体とした生命体の可能性もある。例えば、核分裂物質が豊富な環境でケイ素生命体が誕生し、体内に核分裂物質を取り込み核分裂エネルギーで生命活動を維持するのかも?
または、太陽の光を浴びて光合成の様にして生命活動に必要な物質やエネルギーを得るのかも?
そうであれば地球の生命体の様に他の生命体を捕え/殺し/食べ/消化し/吸収し 生命活動を維持するエネルギーを得る必要は無いので、食べる「口(くち)」は無く、自己の体内から電磁波を発信し、外部の電磁波を受信し外部の情報を知覚し、他の個体とコミュニケーションするなら、目も耳も喋る「口(くち)」も無く、呼吸が不要なら鼻も無く、手足も無く、触手の様な体の器官で物を掴み、銀河間航行する宇宙船を組み立て、宇宙狭しと駆け巡り、壮大な宇宙文明を築いているのかも?

2045年にコンピューターの知能は,全世界の人間が束になって挑んても敵わなくなる,全人類の知能の総力を超える「技術的特異点/シンギュラリティ」に達するらしい。人間は脳にチップを埋め込み,スマホやPC,マウスやキーボードなどを使わず,脳の中に投影されるスクリーンの輝点を目で追うと,その脳の電気信号をチップが検出し,文字の入力やクリック/ドラッグ/ドロップなどが可能になり、人間は、常時、ネットにワイヤレスで接続し、超知能/超知性の人工知能AIと通信し、世界中の情報を操作/情報処理する。
超知能/超知性の人工知能AIと連動した人型ロボットが、一般家庭で炊事/洗濯/掃除/育児/介護/買い出し/ゴミ出しなどを熟し、医療/法曹/建築/土木/生産/流通など全業種の全職場で働く。人間には、研究開発や芸術などの限られた仕事しか残らない。
地球の隅々に広がり地球から溢れた人類は、無限のキャパシティを持つ最後のフロンティアである「宇宙」に向かうでしょう。それは「好奇心と拡散性」が人類の「性(さが)」だからです。
下記のブログを是非、御覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/satou_hiroshi_4649/archi …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

最初の方の話は良かったですけど宇宙と神が同じという結論から読む気が失せました。
宇宙は99%プラズマで出来ています。
従って、宇宙=プラズマです。
だからこそプラズマと神が同じにはなりません。
これこそが宇宙と神が違う理由です。

お礼日時:2021/01/24 11:12

no12です。

質問者の方の言葉をそのまま返します
「ニーチェには、無意味な部分を教えている所がある」ということをおっしゃると言うことは「私がニーチェの部分で面白いと感じるところは、超人という部分です。ニーチェの超人思想は結構好きです!」
「人の思想が一面だけではない事は見てきたし、知ってもきました。」とおっしゃるのに、「でも学校で教えるな」と言います。

「要は貴方もニーチェの思想が必要だと言うことを言う事を、認める訳ですね?」ではなぜ教えるなというのですか?
「結局貴方はニーチェの思想は必要ですか?それとも不必要ですか?
明確な理由を述べて答えてください。」ということになり、
「私の意見は、常に正しいです!」とはならないと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ニーチェの超人思想は習っても良いですけど、虚無主義は、習わない方が良いです。
ニーチェ思想はあってもいいなレベルの必要です。
食べ物で例えるならポン酢みたいなものです。

お礼日時:2021/01/23 17:48

no10です


「私の意見は、常に正しいです!」というのが質問者の方が嫌っている「二ーチェ」の思想の問題点の一つであること指摘しておきます。そういう意味で質問者の方とニーチェは思考方法が似ているかもしれません。強者の思想は、独善的になりやすいとニーチェを批判する人たちは指摘します。こうした批判的精神を高校で教えること、そしてニーチェの思想の素晴らしい部分も教えることに意味があると思いませんか?人の思想は一面的ではないことを小学生では無理でも、高校生ならば理解できます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

人の思想が一面だけではない事は見てきたし、知ってもきました。
ニーチェには、無意味な部分を教えている所があるからこうして述べているのです

お礼日時:2021/01/23 14:49

おー!何か予想外に盛り上がってますね。



全体の流れを読ませて頂きました。質問者様の意図した質問が返ってこないのは質問の意図がキチンと伝わっていないからだと思います。

何故、ニーチェを学校で習うのか?の質問が出たということは、即ちご自身は学ぶ必要のない不要な知識だという認識なのですよね。

それに対して、そもそもご自身で選んだ学校、学部、専攻、カリキュラムの筈なのに何でそのような齟齬が生じてしまったのか、が着目点だと思います。

その経緯を補足すれば意図した回答が得られると思いますが如何でしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は、義務教育を受けたくなかったのです。、
親がそこしか金を払えないから仕方なく近くの学校に行きました。
やりたい事もしたい事もない時に、ニーチェの虚無主義に出会いました。
ニーチェの思想がちょっと嫌でした。

お礼日時:2021/01/23 13:29

no8です


御存知ではないかもしれませんが、学校では「ニーチェ」にかける時間の数倍「カント」に授業時間を割いていると思います。質問者の発想は「私はサッカーが嫌いだから、もっと野球を放送しろ」とクレームをテレビ局に言う人と同じです。現実は「ニーチェ」その後のヨーロッパキリスト教に与えた影響を過小評価しています。ニーチェの思想は「個」と「社会」の関係に大きな影響を与えています。「この世の無意味さを説くだけなら」という視点が誤りです。「だけではない」部分が学校の授業で取り上げられているからです。実際の教科書や授業を見ない自分のイメージだけの批判は「独断」といわれ、ニーチェの思想を批判する時に使われる言葉です。質問者の方の主張もニーチェと同じように「独断」になっています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

それならニーチェの独断と私の独断で意見が中和されます!
文句はない筈です!
私の意見は、常に正しいです!

お礼日時:2021/01/23 10:42

昔は、神様の言う通りに人生を


送っていれば、それで良し、と
されていました。

しかし、神様などいません。

ニーチェはそれを「神が死んだ」
と表現したわけです。

神がいないからこの世は無意味だ
というのが虚無主義です。
神が人間の生きる意味を定めた。
人間が生きる意味は神が決めた。
その神は死んだ。
だから、この世は無意味だ。


ニーチェが偉いのは、ここで終わりにしなかった
ことです。

意味が無いなら、人間自ら意味を
創り出せば良いだろう。

こう考えました。

これを実存主義といいます。

だから、学校で習う意味があるのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

其れは傲慢です。
人間の認知能力の限界で神を悟れないのを全て神のせいにするなんて、幼稚な理屈です。

お礼日時:2021/01/23 09:08

no7です


ニーチェを単純に虚無主義と切り捨てられないでしょう。キリスト教に対する姿勢は、既成権力への反権力の姿勢があるわけでで、キリスト教に逃げ込んでぬくぬく暮らしていた当時のヨーロッパの人々に、別な視点を与えたという意味で重要です。ニーチェを単純に虚無主義だとか、この世の無意味さを説くだけというのは、単にニーチェが嫌いな人が、彼の一面だけを取り上げて批判しているだけであって、レッテルでしか見ていない人の発想だと思います。従って「習うのが無意味」だとは思いません。逆に質問者の方は、19世紀の思想家として、学校では誰の思想を取り下げるべきだと考えているのですか?その明確な理由を示してください。とはいうものの、異常な長文を書かれても困ります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

19世紀の思想家ならイマヌエルカントを習うべきです。
彼の哲学は、素晴らしいです!
永遠平和のためにもよく読みました!
凄く現実的にカントが平和のために考えていた事が分かりました!

お礼日時:2021/01/23 08:31

no6です。

何が無駄かという「意識」の一定水準を示すのは、指導要領で国家が示し、それにある程度従って「学校」で習うのです。その教える基準は「社会に出た時に必要」であるということです。質問者の方は「教える必要がない。無意味だ」とおっしゃっているので、その発想自体が危険だと言ったのです。私は「ニーチェ」の思想を評価していません。当然「無駄」だなどと言っていません。
こうした誤読を防ぐためにも「学校教育」を「しっかり教えるべき」で「役に立つかどうか」という個人の勝手な判断ですることがまずいと言っているのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

結局貴方はニーチェの思想は必要ですか?
それとも不必要ですか?
明確な理由を述べて答えてください。

お礼日時:2021/01/22 19:49

教育内容は、その内容に従わせるために習うのではないと思います。

まして、役に立たないから習う必要がないという発想では、多様性は理解できません。世の中には「ニーチェ」に影響されたり「ニーチ」の思考パターンをつかって考える人もいます。そうした人は少数だから習う必要はないというのは、多数者の奢りで、切り捨て思想です。いそれを正当化すると、質問者の方自身がいずれ切り捨てられる立場になる可能性があると言うことです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

要は貴方も無駄だと言う事を、認める訳ですね?

お礼日時:2021/01/22 17:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!