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古代の天皇の年齢が百歳を超えていますが、弥生時代、古墳時代の男性の平均寿命は15歳です。

質問者からの補足コメント

  • 卑弥呼の死亡日248年。
    まず仮に、卑弥呼以降、神代4代の男性天皇の寿命を当時の男性の平均年齢15歳にあてはめ、在位期間10年と仮定すると、

    神武天皇は誕生は西暦288年となります。

    これ以降は人間なので争いも起こるようになり、一気に32代まで在位期間8年でみていくと、

    女性初の推古天皇は544年に誕生したことになります。推古天皇が554年に誕生してますから10年は、在位期間の前後をとって貰えばよいかと思います。

      補足日時:2021/05/14 00:10

A 回答 (7件)

古代の平均寿命が短いのは、乳幼児死亡率が高いのと、今と違い餓死がありうるから。


で、いったん子供まで成長すればあとは安定するので、30代~40代までは生きられます。そうしないと、平均寿命15歳が成立しません。
で、記紀の記述のうち年齢以外をを信じた場合。(記紀の記述だと、100歳超え多数なので年齢は信用できない。)
初代~17代(履中天皇)までは、世代が直列。この場合、平均すれば、
・生まれてから第4子くらいを生むまで(半分は女子。半分は乳幼児死亡。だから、こんなもの。あと、1夫多妻も前提。)
が、世代交代に必要な平均年数となるので、まあ15~20年くらいにならざるを得ません。
よって、
当時の平均寿命を考えると、在位期間10年
というための根拠は、No.6さん回答のルートで、親子相続前提なら医学的にありえない、となってしまいます。

で、卑弥呼=アマテラス説は昔から存在していて、統計学で裏付けしたのは安本美典さん。おおむね、昭和40年台の邪馬台国ブームのとき。
※安本美典さんは、もと産能大学教授で年齢によりリタイヤ。

以下、安本美典説の骨子。
奈良~平安(=在位が完全確定している時代)において、平均在位年数は約10年。日本以外でも、やっぱり10年。史実は、兄弟相続やいとこ相続てんこ盛りだから世代交代に必要な年数より短くても矛盾はない。よって、記紀の記述のうち、親子相続とされている一部は、兄弟(+いとこ)相続と考えざるをえない。
※天皇の代(アマテラス~神武含む)は記紀の記述通りとするが親子兄弟関係は信用しない、それ以降とあまりに違う  ということ。
推古天皇は実在確定として、そこから1代=10年でさかのぼれば、卑弥呼の時代はアマテラスまでさかのぼらないとならない。
なお、この結論は、記紀の記述に多少欠落があっても統計上の誤差であり、結論に変動はない。

とまあ、他の卑弥呼候補(神功皇后と百襲姫)は、統計学上、完全に叩き潰されてる(記紀の記述のうち、天皇の代は信じる、という条件で。)のだけれど、
中国三国蜀の平均在位は20年 とか、 推古天皇自体35年じゃん、誤差出まくり。
とか、統計学的に意味ない反論多数。よって、いまだ主流ではありません。
※統計学的の基本について、統計学の初心者本でも急行列車で飛ばすところをバカ丁寧に書いてる。歴史学者はものすごく統計音痴なかたがいっぱいいるので詳しく書かざるを得ない、と解釈するしかない。

なお、注意点。
1.安本美典説(=統計学上の普通の展開ルールどおり)において、
・卑弥呼=アマテラス説と同じ程度の信頼度で台与(壱与)=アマテラス説も成立してしまう。
・卑弥呼が記紀の人物とは別人(九州王朝とか。)の場合、そもそもアマテラスに比定できない。
・天皇の代の水増し説(たとえば、神武と崇神はハツクニであり同一人物。この間、ループした。)の場合、卑弥呼(+台与)とアマテラスでは、卑弥呼のほうが明らかに古い。
2.安本美典説より前から卑弥呼=アマテラス説は存在。統計学で裏付けしたのが安本美典さん。
3.安本美典さんは、邪馬台国=筑前朝倉説なので、記紀を信じる、という条件を足せば、論理的に、神武東征は存在した となります。今回、こっちには触れないこととします。
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・卑弥呼の生年を仮定する。


・推古天皇の生年を調べる。
・記紀において天照大神から推古天皇が親子関係として何世代下の子孫ということになっているかを調べる。

その上で、以下の計算をしてみてください。

([推古天皇の生年]-[仮定した卑弥呼の生年])/[天照~推古までの親子関係の世代数]=??

これで平均何歳で次の世代の親になったのかが出てくるはずですが、その数字は生物学的親子関係が無いのではないかというような年齢になりませんかね。
注)男子の精通が始まる年齢は早くて11歳程度、半数以上が経験するのが14~15歳くらいだそうです。
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こんにちは!



いつも、バトルを楽しく拝見しています。(^-^)

>古代の天皇の年齢が百歳を超えていますが

そうですね…、初代天皇から第17代天皇(履中天皇:5世紀前半)頃まで、暦は冬至から夏至で1年、夏至から冬至で1年という具合に、春分秋分で米や麦等の収穫物に合わせて作られていました。季節の変わり目に細かく名称が付いているので、天気予報で聞かれた事があると思います。

そのような訳で、現代の1年は、当時の2年に相当しています。
お隣の殷(中国大陸)でも、同じ暦であった事が、分かっています。
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古代は半年で1年とカウントしていたという説があります。


証明できる話ではないので、仮説止まりですが、それでけっこう説明できていることは間違いありません。
私はその説はなかなかのものだと感じております。
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平均寿命で当時の寿命更に在位期間を割り出しても無意味。


日本書紀から推古以降を信じるという野は学界が勝手にそういうだけ。

卑弥呼を天照大神という当てはめはただの学者の仮面をかぶった
人々の勝手な憶測。

もとよりそんなものを当てはめて
そこから神武を西暦288など無根拠になる。

日本書紀を含めた日本歴史文献を読んでない証拠にもなるでしょう。
天皇の寿命平均15歳で政務を執り、国を治められるほどの能力に育つとは思えぬ。

まだ少年。到底勤まらず。少なくとも20や30くらい行かねば無理でしょう。
子を産んで歴史をつなぐとなれば、もっと判断能力を育てて
50を超えてもいいかもよ。

推古は36年75歳の人ときちんと史書にある。

古事記では崇神が318か258までさかのぼれる。
だとすれば258を採れば、248というならそれに近づく。

239年に魏に使いをだすなら、この崇神辺りが妥当かも。
その辺りなら
学界がヤマトトトヒモモソヒメあたりを
出す人多い。
今はこれが主流。
まあ異論を出す人もいるが、
時代というか
史書の干支による遡りなら、この辺はほぼ妥当とみるべき。
少なくとも

無知識の質問者よりはましな判断。

いままでの様々な女系推進馬鹿コーナーをずっと眺めても
如何に歴史知識の乏しい人が運営か
手に取るよう読める。

だから聴く耳持たぬ。

そういう歴史知識も何もなく、
ただ、卑弥呼→天照大神という当てはめで
出してきた説など検討は不要。

君は日本書紀・古事記もろくに読まずね。
平均寿命?

そんなもの何にも役に立たぬ。

大方
最近、
グーに出て来て
男性蔑視で
女系推進で女尊男卑思想で思い上がった連中では
何にも意味なし。

男系で古来から日本は来ている。
天照大神でもスサノヲという夫がいて
アメノオシホミミという男子を生み、
この子孫はずっと男系で神武に来て
この王が大和朝廷創立。
名前からして彦だから男性。

その後治政を司った王はみな男王
神功皇后とか飯豊とかいても、
これも男系女子。

通過して推古で初めて女帝。
でもこの天皇も敏達という天皇の皇后から未亡人となっただけ。
父は欽明天皇だから、それまでは男系。

その後も男系の王がずっと続き、

たまにピンチヒッターで女性が立つのみ。
みな女性天皇いてもすべて男系女子。

女系天下の時代など一度もない。

史書をろくに読まず、歴史を身勝手な判断で歪曲するなかれ。

女系推進コーナーなど絶対に栄えてはいけない。

今までの質問見ても、
何にも分からぬ馬鹿女の運営コーナーでしょう。

読めば多くの人の賛成が来ぬのは当然。

いい加減に消えてほしい。
いつまで
こんな無意味な抵抗を続けて
行くつもりかね。

女系では万世一系にならぬ。
途中で他家に王朝譲ることになる。
血筋が絶えることはわかるはず。
そんな愚策を用いるはずなし。
史書をみても
過去はずっと男系。

女系天下などあったためしなし。
つまりこういうコーナーが如何に無意味か
おのずとわかるでしょう。
もう一度歴史をきちんと勉強してから
出直せです。

女系でできるはずない。
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その時期だと


1000年くらい違っても平均寿命は変わらない
ような気がするな.
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平均寿命は乳幼児時の死亡込みなので、 古代において子供を残せる程度まで成長した人の平均寿命は大体30歳前後と見るのが妥当です。


また、一般に権力者は男女問わず栄養状態が一般庶民より良好なので、記紀によれば100歳を超えている天皇は、実際の年齢は記紀の記述の年齢のおよそ半分と見るのが通説です。
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