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外(宇宙・銀河)の世界と内(精神)の世界。どっちが広いと思いますか?

そして人は自分自身の精神世界をどれくらい探求するものなのでしょうか。

健常者でも多重人格とは違うけれど、ある問題に対して心の声が複数あったりしますよね?
そして我々、人類は精神世界に対しもっと理解を深めるべきではないでしょうか。
※注:残念ながら個々の精神世界は完全に違うので分かり合うことは無いと思ってます。私が指す理解とはそういう世界の存在を認めることです。

A 回答 (8件)

★ (№1お礼欄) ~~~~~~~~~~~


例:今日の仕事は辛かった。

「辛かった」と言語化すると単純な言葉です・・・

今日の辛かったと、明日の辛かった、過去の辛かった、あの時の辛かった。

言語化すると同じ「辛かった」ですが、精神的には全然別ものなハズです。
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☆ いろんな段階の《精神世界》があると考えます。



○ あぁ きょうは 疲れた。
☆ と言ってからだの疲れを知覚しこれを質や程度について 過去の疲れた場合とくらべてみるその精神。

これからもこの疲れが このままの仕事の状態だと続くのか? いちど考えてみなくちゃいけないなぁと感じてそれを思う精神。


仕事を変える前に仕事のやり方を変えてみてはどうかと考える精神。


等々 うんぬんかんぬんと思いをめぐらせる精神。


あるいはそして ここまでのいくつかの精神をひっくるめてどこか頭の奥で いやいやわれは そこにあらずとささやいている誰かがいる。

つまり 額に汗して働くわれを じっと見守る心の奥なるわれがいる。


見守っていて囁いたと捉えたが けれどもその奥なるわれは 言葉は話さないかも知れない。あるいはつまり 日本語にしろどこの国の言葉にしろ特定の一つの言語ではない言葉で あたかもしゃべったのかも知れない。


人間あるいは精神の領域に 何か何処かに――良心であるとかヒラメキのみなもとであるとかのような――普遍的な視点が息づいているのかも知れない。




ただし 精神世界がこれだけで閉じるとは思えない。

と言っても 《われ》は 日常茶飯の生活を生きるわれと おそらくそれを見守る奥なるわれとの二重構造が せいぜいであるのではないだろうか。二重人格ではないのだから これらのわれも わたくしなるものとして ひとえの自然でふつうの存在であり人格であるはずだ。



では 心の明けはないか?


精神世界を終わりなく自由へとみちびく精神?

あるいは 精神はやはり経験事象であるとするならば 非経験の場ないしチカラ。これが 限りの無いわれとしてじんるいに与えられているだろうか。


真理はきみたちを自由にするというがごとく 汲めども尽きぬ泉の水のごとく人間の精神に知恵とチカラを湧き上がらせる場が あるのだろうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

他の方のお礼にも書きましたが、自分で質問しててなんですが、
外の世界も内の世界も、我々人類は誰一人、その広さを実感することが永遠に無いと思われます(ーー;

あちゃーです(笑)

やっちゃいました。

例えばこの地球には約200の国々がありますが、実際に我々はその200の国をすべて把握できてないのです(恐らく誰もが)

人類約70億人いますが、他者、69億9999万以上は知らんがなの世界だと思ってます。

認知しているから=有ると思ってるだけで、実際の人間は把握できていない。

これは恐らく脳の構造の問題なのでしょうが、私達は、自分自身の人生ですら、過去の記憶の大半は消えてます(正確には記録されているのかもしれないが、引き出す力が皆無に近い)

 自我の崩壊の恐れからか、あるいは処理能力の問題からか、です。

隣町の鈴木さんのことなんて知らない=いないと同義。

富士山はいつか噴火するんだってよ=実際に噴火せずに寿命を迎えれば、富士山は死火山と同じ。

あーーーなんて質問をしてしまったのでしょうか。
すみません。

お礼日時:2021/06/05 22:18

どうでしょう。


死後の世界はどうでしょう。

逢ったことない
祖母・祖父・伯父・叔母は空襲で爆死
これは慰霊。慰霊塔に名簿納める。

叔父はマラリアで羅患して帰国後に病死。

まあ亡き母の生前昔話にあるだけで
私が死ねば、生前中にどこかに
書かねば消える話かな。

逢ったことない人の慰霊は悲しいと思いますか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
死後の世界はあるかもしれない。
無いと言い切れる根拠も、有ると言える根拠も不明確です。

>逢ったことない人の慰霊は悲しいと思いますか。

そうですね。
ただ、今は動画で記録を残すことが可能になりました。
昔はそれが不可能だったから、せいぜい「肖像画」とかでこんな人物でした~ぐらいしか残せませんでしたが、今はやろうと思えば、ネット上に永遠に自分の軌跡を残すことができます。

例えば志村けんさんは昨年亡くなりました。
今の保育園児くらいには、志村けんさんの生前のことを全く知らないハズですが、過去の記録(テレビに出演していた映像)を沢山みせたら、どう感じるのでしょうかね。

お礼日時:2021/06/05 22:28

どっちが広いではなく繋がってる  


表裏一体

ちなみに街を歩いてたらおちてるゴミ、それはいつかどこかのあなたの感情やら記憶やらが形になったもの、あなたが見る感じるこの世の出来事は、あなたから生まれたものでもあるんやでぇ!(過去現在未来の垣根はなし)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。
この考え方はとっても新鮮でした^^

実際にこの宇宙の星々の数が「京」の単位あったり、広大さも無限大に等しいと言われてますが、それは頭の中で考えたイメージであり、実際に「京」の星々を実感するのは不可能ですよね。

お礼日時:2021/06/05 22:08

外の世界ですねえ。

外の世界は内の世界(他人とか)も含みますから

外の世界の方が途轍もなく広いです。

そのには幾らでも外がありそうだし。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そういわれると返す言葉がありません。

ただ内の世界(精神世界)って、視えないだけにどれくらいの広さか実感できてませんよね?

、、、って書いてて思ったのですが、外の世界(大宇宙)についても、学者さんの研究結果であってそれが事実だとしても、我々、人類の大半は地球の広さすら理解できてないと思ってます。

つまり、理解できてない=実感が伴ってない。

お礼日時:2021/06/05 22:06

もちろん外の世界ですとも!



外の世界は生きてる間にゆけないほど広いからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

勿論、外の世界の広大さは無限大と言っていい程です。
拡張し続けてますから、永遠にたどり着けないでしょう。

でも一方で、精神(心)も多くの人達は自我をそれほど見つめることなく
人生を終える人が多いのではないでしょうか。

精神世界って視えない世界ですから想像しがたいのですが、大宇宙と同じくらい広いのかもと考えてます。

お礼日時:2021/06/04 20:18

基準・特性が異なるものは単純に比較できない。


精神性の方が深いと主張したいのかもしれないが、そのような比喩は文学的・抽象的世界だけの話だ、
厳密に比較したいのなら、宇宙の物理的空間と個人の精神世界の広さを比較するのではなく、個々の精神世界の空間の広がりを抽象的または生物学的に比較する議論の方がよいだろう。
例えば「神」の精神世界と「凡人」の精神世界は、広さが異なるのか、同じなのかを論じる方が、まだ論考しやすい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

別質問で、神の存在や宇宙の始まりについて書きました。
その対比として生物の心に着目しました。

例えば、生物はその名の通り生きた物ですけど、どの生物にも確実に「心」(精神)が存在することに気づきます。

「心」(精神:脳?)が目の前の事象、現象に対し、各々の個性で感じ取り
、各々の精神(脳)で数ある選択肢から1つを選び、実際の行動に移ります。

な訳で「精神」とは何ぞや!?となった訳です(笑)

>例えば「神」の精神世界と「凡人」の精神世界は、広さが異なるのか、同じなのかを論じる方が、まだ論考しやすい。

→それもあるかもしれませんね。
知能が高ければ高い程、多角的に物事を考える力が生じるでしょうから、当然精神世界の広さも差があると考えるのが妥当でしょう。

この宇宙の始まりも、終わりも、
神の存在も、信じるか信じないかも、
そして各々の精神についても、

正直、あまり洞察しなくても人生は歩めちゃいますし、考えても仕方のないジャンルかもしれません。

しかし、一方で先進国の多くが少子化、メンタルの病とかが出てきて、後進国では爆発的に人口が増えているとはいえ、人類の進化に閉塞感を感じます。

「心」をないがしろにする世界のままでは、歴史は同じことの繰り返しでしょうから。

お礼日時:2021/06/04 18:56

外の世界は「果て」が話題に上がるけれど


内の世界にはそれがない。
と思えば、内の世界のほうが果てがない=広いんじゃないか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

うーむ。
そうなんですよね!
実はそれが言いたくてこの質問を立ててみました。

人は幾らでも堕ちることができるんです。
それこそ底なし沼のように、、、。

私はリストカット(自傷行為)を一度もやったことがありませんが、
精神的自傷行為は腐るほどやってます。

恐らく後者は、誰でも経験があると思ってます。
あの時の行いは、ああすれば良かった、もっとちゃんと自分がしっかりしてれば、お前はどうしようもない奴だ!とか、幾らでも追い詰めて、終わりのシミュレーションをすることもできます。

精神世界はなまじ視えないだけに、
「そんなに広くないでしょ」と言えば、全くその通りですし、
「いや~、無限大でしょう」と言えば、その通りかもしれませんし、
「そんなことグダグダ考える暇があれば働け!」も現実的な解決策でもあります。

でも1つだけ確かなことは、人類の進化は著しいが精神的な進化は蔑ろにされている気がします。

※だから近年ではメンタル病む人が続出。

お礼日時:2021/06/04 18:33

外の方が確実に広い

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ふにゃ~(><)
やっぱりそうですか。

私達は自分たちの感情を、日本語(言語)を学習したうえで適切な言葉に当てはめて自分の状態を自分自身でも評価しますが、、、
例:今日の仕事は辛かった。

「辛かった」と言語化すると単純な言葉ですし、毎日忙しい、毎日大変というと、毎日、同じことを起きててるイメージがありますが、実際は毎日の経験も1度たりとも同じでは無いと思うのです。

今日の辛かったと、明日の辛かった、過去の辛かった、あの時の辛かった。
言語化すると同じ「辛かった」ですが、精神的には全然別ものなハズです。

 まぁ恐らくそこら辺の解読は精神科医や自分自身ですらやってないと思われます(笑)

なんとなく、あの時もこの時も辛かったなと、、、結論付けて、
「ん? それ同じ辛かったとちゃうでしょ?」とは気づいている人は少ないと思います。

とはいえ、そもそもそこまで深く自分自身を探究しても意味が無いのかもしれません。

 それよりも大事なのは決まった時間に起き、決まった時間に寝る。
三食しっかり食べるという現実の方が大事かもしれませんね(^^;

お礼日時:2021/06/04 18:15

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