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神様を信じている人。特定の宗教、個人的に漠然と神様を信じている人に関係なく、神様を信じるようになったきっかけを教えてください。科学と心の中でどう折り合いをつけているか、なども教えていただければ助かります。

A 回答 (33件中11~20件)

ある人は言った.



知らないという事は恐ろしいことだ.



たしかに人は自分の知っていると思っていることにしか
確信を持たない.
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>最後のくだりは、宗教の教え自体には共感できるが、組織としての宗教団体は否定するということですか?


宗教の教え自体は確かに頷ける内容だと思います。人生の機微をついており、生きていくうえでの知恵にもなります。もちろん全てに共感できるわけではありません。例えば死後の世界はわかりません。それが僕の本音です。わからないからこそ、知りたいという知的欲求はありますが、しかしそれは死んだ後のお楽しみにしてます。僕は生きているので。というよりも、死後の世界は実は問題じゃないんです。

良いことをしたら天国、悪いことをしたら地獄と子供のころに聞きましたが、今思えば、それも社会内における知恵というか、道徳的な要素が臭って逆に神聖感から遠のいていると僕は思います。初めは、原始的な宗教からの出発だったのかもしれないけど、社会体系が拡大していくにつれ、民衆や民族の数は増え、それをコントロールするには思想統一、価値観の統一にはもってこい、ということで宗教が利用され、変わってきたのだと思います。なんせ大義名分になるし。(国教があるぐらいです)

どんなに語っても、僕の主観から逃れることはできませんが、二人でも組織になれば官僚的になります。心理学でもいろいろと説明できるんだろうけど、まだ入門を読んでいるだけのレベルなので専門的なことで説明できません。とにかく、集団的な不潔感は誰でも経験をしたことがあるのではないでしょうか?(責任の擦り付け合い、士気の問題、ピラミッド体系など色々)
そもそも人間の存在自体、非合理的で矛盾した存在です。だからこそ、合理的な教義に惹かれたりするのだと思う。また、合理的に組織化しようとする。しかし完璧な社会システムでないように、やはり非合理な人間は永遠に完璧や永遠などを希求する存在だと思います。

キリストも釈迦も本で読んだだけで、その真相を疑うのは別問題ですが、共感はできます。ただ歴史が長い分、語り継がれる内容も変化・美化されてきているとは思います。共感できる理由は、彼らは行動で示したからです。決して理論に縛られていない。頭の中の世界(理屈)ではなく、現実の世界(事実に基づく行動)で実践しました。(あくまで本の中ですが)宗教はその弟子たちが勝手にその素晴らしさを伝えようと宗派を作っただけです。(だからこそ、彼らを知ることができるわけですが)その内容は時代や文化や政治によって少しずつシフトしてきます。なので、キリストや釈迦には共感できるけど、宗教は嫌いです。つまり、キリストも釈迦もアクションであって、宗教や宗派はそれらのリアクションに過ぎないのです。
そのことを自覚された人は、マザーテレサのように実行に移すのだと思います。こう書いている僕自身まだまだ悩みはつきませんが。もちろん僕が正論を言っているかもわかりかねます。鵜呑みにしないで下さい。
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昔、友人と「人体展」に行きました。


プラスティネーションと言う、医学の為に遺体の
欠陥に樹脂を流し込んで標本にしたものの展示会です。
近くまたあるようですね。
私と友人が足を止めたのは、懐胎した母体の腹部が
開かれて、胎児も同時に標本にされているものでした。
しばらく得体の知れない気分でいたのですが、
友人が話しかけてきました。
『こういうの見ると。命ってどこから来るのか、 
 って思うよな。』
『そうだねえ、こうして考えている私たちは、
 死んだらどこへ行くのかねえ?』
肉体が胎内で造られていく様を見ながら、
魂がどこから来るのかを考えていたのですが、
確かにどこからかやってくるのだろう、と
それがどこか判らないのですが、不安定で漠然と
しながらも、その場所は確かにあるのだろう、と
確信に似た感情を持ったものです。
命がどこからかやってきて、行くとしたら、
神の居る世界なのかもな、と。
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どうして信じたのか?ただ神が「私を呼んだ」としか


書けないですね。
私が神を信じた事が奇跡です。
これを偶然と書けば偶然、奇跡と言えば奇跡
ようするに「信じるもの」「信じたもの」
何も理解する必要もない。ただ信じているものにとって「ある(存在する)者」でいい。
ただそれを信じ、見上げ、そして約束の中に入ればいいのでは?
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コインの裏と表かな~って思っています。



コインの片側の人が「わたしは神の存在をまざまざと感じることができるのに、どうして他の人は存在を実感できないのかわからない。 きっと何かに覆われているのだろう。それを取り払えば目からウロコが落ちて、こちらが見えている世界を見ることができるだろう。」とお互いが自分の見えている世界を真実としか思えないところに 平行線の原因があるように思います。
(壁というより 住んでいる次元が違うといった感じかしら)

わたしはもう片方の世界を想像することはできますが、やはりこっちの世界が真実としか思えない。

しかし歩み寄るというか理解しようという姿勢はあります。
もちろん彼らが言う世界を目を凝らして見ても今のところ見えませんが。
タイムマシンは理論上では将来実現可能らしいけど。
アキレスと亀は競争したら理論上は亀が勝つけど。でもね。。。
ホーキング博士は前はタイムマシンは実現可能って言ってましたが、後で訂正しました。
「無い。 あったらとっくにタイムマシンはあるはずだから」って。
ズバリです。

まあ 信じないので見えないといわれたらそれまでなんですが、そうこうやっている内 こんな本と出合いました。

http://www.geocities.jp/toryon33/nouyuurei.html# …
↑これで完璧に別の世界の住民を理解できるとは思いませんが、歩み寄れるんじゃないかと思います。
脳関連の本ですが、
『第九章「神と辺縁系』
http://www.geocities.jp/toryon33/nouyuurei.html#ku

  ある日自分を取り囲む世界に神の存在を実感し信仰深くなる。

ん? 目からウロコ? 一体なにそれ?と読み進むと なるほど・・・という理論が書いてあります。
神が目からウロコを落としたと別の世界の住民は言うでしょうけど、私の世界では神ではなく自分の脳が・・・です。
こんな体験しちゃうと信じないわけにはいかない。

例えばまだら模様の絵を見せて「ここが耳でしょ ここが鼻でここが足」って説明されると「おおお 101匹のわんちゃんのダルメシアンが見える」
そうなると次またその絵を見せられると、もうダルメシアンとしか認識できない。
前の単なるまだら模様にはどうしても見えなくなる。
一度脳の書き込みが起こると、もうそれは取り消せないので。

これによって一度 木々に神の存在を感じるとなると、もう取り消せない。
そうなる原因は側頭葉への過剰な刺激があったから。
従って、神は神は神はってずーっといわれ続けると、だんだん刺激されてきて「私も感じることができました!」ってなるかも。

その人たちに「本当にそう感じるのですか?」って聞いても無駄です。
だって脳が書き込みされているので、そうとしか知覚できない体になったので。

あちらの人はこの主張を覆すことができます。
「神のご計画で全てのものに神を感じることができるように人間の脳の部分に細工をしたんです。だから刺激されたら当然神を知覚できるのです」
とまだ言われていませんが、私があちらの住民なら、これ幸いと上のように反論するでしょう。
しかし、私の何かがあって、あちらの世界の人の主張を正当化し、それが真実ですってはいえません。
思ってはいないのでウソをつくことになるし、そう反論して何かを得るとも思えないのでやりません。



>つまり、古代の神が物理法則という名の新しい神に取って代わられたとするのが現在の世の中を言い表しているのではないかと思います。


はい、上記のサイトの最後の方で語られていますが、「環境に適応するため我々は変化していっている」
「それは思考もだ」

です。
しかし変化を拒むと閉じ込められてしまいます。
例えはあまりよくないかもしれませんが、引きこもりの人はめまぐるしく変化する社会に適合したくない あるいはできないのかもしれない。
自分の住む世界に起こる変化を拒絶し排除すれば、変化の無い世界になると思い閉じこもる。
多くの人たちは楽に変化に適合できているわけではなく、能力が優れているのでもなく、知能がすぐれているのでもなく、運動能力が優れているのでもない。
柔軟性が少し引きこもりの人よりあるから。
妥協や譲歩ができるから。自分の思考を変化させ適応していく姿勢があるから。

じゃないかと思ったりします。
確信はないですが。
でも別の世界の住民は我々の事を柔軟だと言わず、優柔不断だと軽蔑するかもしれません。
しかし柔軟なので、そういわれても「ピンポ~ン」です。
相手は侮蔑したのに喜ばれてしまい、戦意を喪失するでしょう。


>キリスト教の「天地創造」の神ははじめに天と地を創ったというくだりも
>地球の空と大地ではなく、ビックバンを指していたと考えることだってできると思います。

ええ、占い師の言うことが当たったような思考に変化させることもできます。が、もう一人の私の本体は「それ後意味づけじゃん」と思うでしょう。
しかし、そこで占い師とすったもんだやっても楽しくないし、決裂するとわかっているので後意味づけじゃんと指摘しません。


>キリスト教でも人類愛を説いていますよね。これもあなたの考えと同じものだとおもいます。

わたしは今のキリスト教は人類愛などでななく利己主義でしかないと思っています。
よく罪を犯した人がボランティアやって貧しい人にほどこしますよね。
名誉を回復したけりゃボランティアやれとみんな散々なことをやった後、ボランティアやって自分を美化して、悪い印象を払拭させます。
これじゃあ なにやってもいいってことですよね。
ええ、ええ、ボランティアやるという行為は懺悔になるので、それをやればどんな罪も消えることになるのなら、犯罪を犯さないで、不遇に耐えている人はばっかみたいですよね。
罪の消去したい人たちが施しをしたものをもらわないと生きていけないなんて、なんて世の中なんでしょう。
結局強者はなにやってもいい 弱者は踏みつけられるだけ。
そんな感じに思えます。
そういう側面を持つからこの宗教を人類愛な宗教だとは思えないのです。

なんか主題とそれちゃって申し訳ないです。
ツリーをたててくださったので、他の人の意見も聞けてよかったと思いました。
しかし、あちらの世界を知覚できる人たちに既存の意見ではなく、新しい意見・自分の意見を書いて欲しかった。
残念~ 今後の進展に期待します。応援してます~。
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#13です



この考えはまったくのオリジナルです
色々考えて思ったのです この精神エネルギーがあると仮定すれば祈祷の効果や幽霊の存在などの神秘的な現象は
すべて説明できると思ったのです
これが本当だとしても科学的なことはわかりませんが科学で証明できると思います

ちなみに幽霊は何かといいますと
「肉体を持たずさまよう精神エネルギー」
です
あれも生き物のひとつの姿なのです
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この回答へのお礼

度重なるご回答有難うございます。
ご回答の内容は理解できました。
実は、今、皆様にお答えいただいている質問が一段落したら、新たな質問を提示しようと思っています。
その時も、よかったらお知恵をお貸しください。

お礼日時:2005/03/03 18:55

>あなたは神と宇宙の摂理を探している途中でこの文章に出会ったのですか?それとも偶然出会ったのですか?



僕は高校生時代から、自分という意識がこの世に存在することが、
不思議でなりませんでした。
自分とは何か、神は存在するのか、考え続けました。
大学時代、四回生になるのを一時休学して、
ヨーロッパへ放浪の旅に出て考え続けました。
でも答えは得られませんでした。
結婚してからも、仕事の合間に考え続けていました。
精神修養団体や、
一時、新興宗教も経験しました。
でも、僕の求めているものと違いました。

ある日、図書館でキーワードを「宇宙」として検索してみました。
するとそのものずばり「宇宙学」という書籍に目が止まりました。
少々、宗教かな?と思いましたが、なにげなく連絡先に連絡して、
そのバックナンバーを数冊送って頂いた訳です。
理性を満足させる本物だと思いました。
後で判りましたが、多くの方が僕と同じで、紆余曲折を経て、ここに辿り着かれていました。
『求めよ、さらば与えられん。』は確かなように思います。
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この回答へのお礼

度重なるご回答有難うございます。
ご回答の内容は理解できました。

お礼日時:2005/03/03 18:46

>この文章の出典はなにですか?



「宇宙の理」という月刊誌のバックナンバーで
No.96「大宇宙の構成」(昭和56年1月号)
からのものでして、
今は、それは絶版となっておりますので、
僕が電子ファイル化しておりますものの中から
抜粋提示したものです。

>この文章は世界の成り立ちと唯一神を表しているのですか?

その通りです。
もう少し詳しく言いますと、
この三次元物理的宇宙(島宇宙の集合)を包摂するところの
「大宇宙」の構成を僕達地球人に理解できるように
説かれたものです。
この御文はその冒頭の「大神」の部分です。
以下、「神々」、「聖霊」・・・
と説明が続きます。
僕達地球人がどの位置にいるのかが解かります。
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この回答へのお礼

重ねてのご回答有難うございます。出典と文章の内容ともに了解しました。
あなたは神と宇宙の摂理を探している途中でこの文章に出会ったのですか?それとも偶然出会ったのですか?
もし、前者だったら、その理由を教えていただければ幸いです。

お礼日時:2005/03/03 14:41

No.7のvagabond_0710です。


>世界を説明する唯一の方法は人知を超えた存在、神様の存在を認めることということですか?
僕は言いたいことは、神の存在を認めるか、認めないかではありません。
>僕自身は心の奥底の部分で神様の存在を信じてはいますが、大別すると無神論者です。
もう一度いいます。僕は宗教が嫌いです。
あの集団的不潔感。一つの思想で人類をまとめようとする卑しさ。何もかもペシミスティックで、人間の欲を徹底的に否定する。また、来世まで安泰でありたいと拝む卑しさ。全て未来の保証を得ようとする人間が考えそうなこと。誰だって不幸でありたい、不健康でありたい、貧しくありたい、不正でありたい、醜くありたいなんて思う人はいない。だからといって、その逆の幸せでありたい、健康でありたい、裕福でありたい、正しくありたい、美しくありたいと思うのも単調。この世界は神秘的で、何もかもわかりきった世界ではありません。暴言に聞こえるかもしれませんが、わかりきったことなど真理でもなんでもないと思う。そんな空しい枠におさまらないんです。合理的にスッキリ収まるなんて僕は無理です。(現在の科学ではこの世界のことを完全に説明することはできないという意味もあります。またそう思う、僕の過去の経験も関係します。後で説明します。)

とにかく一つの思想で統一しようなんて帝国主義と変わりません。僕が宗教に対して一番疑問に思うことは、宗教が戦争の原因になっていることがあまりにも多い点です。確かに、他民族国家だと価値観の統一のために宗教を使うのは有効な手だと思うけど、統一するということは、それに違う存在に対して排他的になるってこと。これは危険思想です。だから宗教は戦争と縁が切れないんです。そうではなく、個性の相違を尊重するべきだと僕は思います。

神がいる、いないなんて同じことですが、信者の方に対してはこう言います。
本当に神様がいて愛に満ちた存在ならば、信じる、信じないに関係なく愛してくれるでしょう。また、宗教は心の問題。自分が信じるなら他人に押し付ける、また了解を得る必要なんかまったくないではないですか。「神はいるんだ!」「そう、よかったね。で、何が問題よ?」となります。また、人間が不完全な存在だからこそ、神という絶対神を創ったんだと思います。

しかし人間は非合理的で矛盾した存在です。そこで宗教は有効的な存在です。
宗教を論理的に考えたら、死や不幸な事、また生きることの意味や目的を見出す難しさなどに伴う苦悩、世の中の不条理感を無害化するためにあると思います。
それを論理的に解釈するために、その原因を人知を超えた外の世界に置いて、理屈だけでは捉えることのできないこの世界を捉えることができるんだと思います。頭の固い人はそれで救われると思います。
また時代によっては、政治、経済と絡んできます。価値観の統一など。

神様はいる、いないと論争したがる人がいますが、まったく不毛です。いると同時にいない、いないと同時にいる。その二元論の落とし穴に入ってぐるぐる回ってそこから抜け出せていない。
また、神の存在を創ったのは人間といえます。人間が全滅したら、誰が神を認識するのでしょう?おそらく次に誕生する知的生命体だと思う。その生命体が自分達が感じるように神を作り上げると思う。なので人間を創ったのは神かもしれないけど、神を創ったのも人間だと言える。

自然の力は絶大で、人間は非力ゆえ、自然に対して畏敬の念を持つようになって、自然には精霊が宿っているというアニミズムがうまれ、文明の進化とともに形が変わってきてシャーマニズムなどもあります。その宗教はともに現在日本にも存在します。

とにかく僕は、自分が努力しないでなんでもかんでも、何かのせいにする姿勢に腹が立つ。宮本武蔵が残した「神を拝めど神に頼らず」という言葉が好きです。漫画のバカボンドにありました。^^

>感覚的な部分を説明していただければ幸いです。
僕が宗教というか、形而上学的なことに没頭し始めたことは、まず、生きることの不条理感、また空しさを感じたこと。小学生辺りからすでにそうでした。2年に一度転校し続けてきて、なんで僕だけそうなんだろう?友達関係は酷いものです。地元もないし、幼馴染もいません。毎回イジメと孤独の危機。どうせ2年経ったら別れる。交友関係も恋愛関係も後ろ向きでした。そう、マイナス思考で20歳までトラウマとして引きずってきました。
そんな僕がガラリと変わったのが恋愛でした。初めて他人に興味がでました。人生に絶望していた僕にとってそれは奇跡でした。その理由はわかりません。なぜ他人に興味が出たんだろう。他の恋愛もずいぶんしたけどまったく違う。強烈でした。なぜなら、その後の僕の人生がガラリと180度変わったからです。僕にとっては運命の人です。その事実の感動を人に伝えようとしても上手くいきません。言葉にできないんです。それからは、毎日は満ちていて何をしても楽しい。人生素晴らしいと思うなんて、過去の僕からはありえませんでした。その事実から哲学や心理学に興味が出て、独学してます。
また、アメリカに旅行に行ったとき、いろんなところを観光しましたが、僕の心に衝撃を与えたのは、なんのない、ただの夕日でした。まるで空の中に吸い込まれたよう。透明になって時間も己自身も忘れ一体になった感じです。おそらく原始時代から人間はこのような感動を身に焼き付けてきたに違いないと思います。
他にも、サーフィンをしてて、海と一体にならないと上手く波に乗れないし、そのときの感覚は感無量です。ストレスなんて無縁になります。

つまり、不思議だなぁと思う神秘感は、まず人間の神秘に続き自然の偉大さに感じます。それを僕は神秘とよんでます。あくまで感覚です。人によっては、それを神と言っているんだと思います。
宗教が嫌いな理由は冒頭で説明したとおりですが、しかし人類の知恵というか、人生について機微をついている部分が多くあります。自分が思う哲学とかなり一致するし、歴史が積み重ねてきただけあって、確かに頷ける部分が多い。釈迦もキリストも共感できます。宗教や派閥などはゴメンです。彼は彼であり、僕は僕だからです。思想統一しようなんて、人間放棄というか個性を失っている証拠です。しかし自我を捨てよということは経験から解ります。言葉は難しいですね。言いたいこと伝わりましたか?解らないことがあったら、補足するのでよろしくお願いします。
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この回答へのお礼

重ねてのご回答有難うございます。
あなたの説明は大変解りやすいですよ。丁寧な説明有難うございます。
ご回答の前半の宗教に対するくだり、僕も個人的には同意見です。

<つまり、不思議だなぁと思う神秘感は、まず人間の神秘に続き自然の偉大さに感じます。それを僕は神秘とよんでます。あくまで感覚です。人によっては、それを神と言っているんだと思います。

まさにその通りだと思います。あなたが神秘と呼んでいるものを神と呼ぶかどうかが、現在の日本の多数派が認識している神様とおもいます。

最後のくだりは、宗教の教え自体には共感できるが、組織としての宗教団体は否定するということですか?

お礼日時:2005/03/03 14:34

#6です。



>tanita530さん自身もクリスチャンですか?

そうです。

>あなたが信仰を持ったのは家族からキリスト教の教義が正しいと教えられてられてきたからですか?クリスチャンの家庭でもこれはいえるはずで、親がクリスチャンであれば子供もクリスチャンというわけではないと思います。あなたが信仰を持つようになった理由を教えていただければ幸いです。

よく「親がクリスチャンだからクリスチャンなの?」といわれますが、親がクリスチャンだからといってこどももクリスチャンになるとは限らないし、信じない人だっています。
私は親がクリスチャンだからということではなくてクリスチャンが信じていることが真理であり、これ以外に真理がないということを自分の頭でよく考え、その結果自分も神(GOD)を信じたということです。私は親がクリスチャンでなくても神(GOD)を信じたと思います。


>僕も地球が太陽の周りを回っていると信じています。このことに疑問をもったこともありません。ヨーロッパの中世の宗教観もこんな感じであったと想像しますが、あなたもこんな感じですか。僕の質問は「太陽はどちらから昇ってどちらに沈むのか」と問うているようなものですか?

あなたの問いは「神は存在するか?」ということですか?

ここに時計があります。私はこれをだれが作ったかいつ作られたかを知らなくても、誰かが作ったから存在しているということを信じることができます。偶然に時計ができたなんて絶対に信じられません。

それと同じようにこの世界のものがすべて何もない無から偶然に存在するなんて絶対に信じられません。神(GOD)がすべてのものを創造したからこの世は存在しているのです。

>僕も地球が太陽の周りを回っていると信じています。このことに疑問をもったこともありません。

どうして地球が太陽の周りを回っているのでしょうか。それは宇宙に秩序があり法則があるからです。その秩序や法則を生み出して世界を動かしているのが神(GOD)という存在なのですよ。偶然には秩序も法則もありません。

だから地球が太陽の周りを回っていることを信じることと神を信じることは違います。
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この回答へのお礼

重ねてのご回答有難うございます。

<あなたの問いは「神は存在するか?」ということですか?

僕の言葉が誤っていたようですね。
違います。神は存在する。という立場で話を進めています。あなたが、神の存在に疑問を持ち、考えた末に神の存在を肯定したのか、環境的な要因で当然のこととして神の存在を肯定したのかをお伺いしたのです。

<これ以外に真理がないということを自分の頭でよく考え、その結果自分も神(GOD)を信じたということです。
上記の質問に対するあなたの答えはこれですね。
僕があなたにお伺いしたかったのは、

<これ以外に真理がないということをよく考え、その結果自分も神(GOD)を信じたということです。

の内容です。どういった、思考の経緯を経て信仰に至ったか、です。

お礼日時:2005/03/03 12:43

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