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神様を信じている人。特定の宗教、個人的に漠然と神様を信じている人に関係なく、神様を信じるようになったきっかけを教えてください。科学と心の中でどう折り合いをつけているか、なども教えていただければ助かります。

A 回答 (33件中21~30件)

#2です 僕の考えをほとんど理解していらっしゃるようでうれしく思います



もう人間の科学技術ではどうしようもないような寒波が訪れたとき
「助かりたい」という思い、精神エネルギーが固まり「神」と呼ばれるのにふさわしいものが現れると思います
それと逆に科学が進み、科学技術に頼るようになればなるほど
神の存在は遠ざかっていくわけです
だから昔は神は今よりも強力だったといえます

古代の人間が思いもよらなかった寒波が訪れた場合まったく新しい神が現れるのかということについて

「助かりたい」という気持ちに変わりはありません
しかしその新しい寒波に対して対応のできる神でなくてはなりません
もしも古代からの神が対応できないような寒波だったら
まったく新しい神が出現すると思います

天照大神とアポロンのことですが
僕はこの神たちについての知識がまったくありません
しかしこれらの神は「これが天照大神だ」 「これがアポロンだ」
と人間が定義付けたものですよね
それを強く信じていればこの神々は出現すると思います
しかしこの二つの神についての定義・情報が少しでも違えば
まったく別の神二つが現れることになると思います

だから文化圏で精神の集合はほぼ限られると思いますよ
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この回答へのお礼

重ねての回答有難うございます。あなたの神の概念は世界中の神々を矛盾なく成立させることができる理想的な概念ですね。
この概念はあなたのオリジナルですか?それともどこかに出典がありますか?教えてください。

お礼日時:2005/03/03 12:09

<という言葉の意味は頭の中では理解できました。

こういう概念を常に頭に置き、時の移り変わりを観察していれば、いつかは神様の存在を感じ取ることができるということでしょうか?>
 
 そのとおりです。イエスやソクラテス、天理教の始祖中山みき、
 王陽明、ジャンヌダルク・・・およそわが身を投げ出し
 普遍的真理に殉じた人々は全員同じ体験をしていますし
 同じことを違う表現で語っています。

 むしろわれわれは理性でくもっているためにそのことが
 素直に分からないという事情があります。
 
 私の過去レスに関しては、私のハンドルネームのところを
 クリックいただけば閲覧できます。
 
 哲学・宗教関係は「目に見えざる世界」のこと=つまり形而上の
 ことの考察・弁論であるため、
 「目に見える」世界の科学的証明の方法に慣れているわれわれには
 分かりにくく、かえって中途半端な霊能者を世にあふれさせて
 しまうという問題があります。
 そこでぜひ、私が形而下の話題=経済事象や政治など
 について語っている部分を閲覧していただきたいのです。
 「目に見える世界の」科学的な考察・弁明は簡単に押えた
 上で形而上の政治・経済哲学に向かっているのが
 お分かりいただけるはずです。
 
 宗教についても同じ手順を踏んでいます。つまり哲学的考察を
 踏まえた上で、宗教的真理に至っているのがお分かりいただける
 はずです。
 
 
 
 
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この回答へのお礼

度重なるご回答有難うございます。よく勉強になりました。あなたは専門家とされていますが、いったいどのような立場の方ですか?よければ教えてください。

お礼日時:2005/03/03 12:03

kankenさん、こんにちは。



僕は、この御文に出会った時です。

  宇宙一切大神の律動なり
  波動の充満なり
  爾(これ)、大神霊の創造たり

  宇宙剖判は
  久遠の往昔より
  永劫の未来に向けし
  ”今”の連続のうちに在り

  大神霊は
  その”み”から四方八方に向けて
  無限の波動を発し
  無限の大愛を発し
  無限の叡智を発し
  萬象を仕組み
  萬象を生み
  萬象を育て給う

  それは無限次元より
  三次元に至る
  大神霊はこの一切現象の根源にして
  この一切現象の主宰統一者たり
  爾、宇宙創造の大神様と仰げり
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この回答へのお礼

まずはご回答有難うございます。まずは、この文章の出典はなにですか?この文章は世界の成り立ちと唯一神を表しているのですか?教えていただければ幸いです。

お礼日時:2005/03/02 21:40

 すみません、arakan です。


さっきの引用スレッドの前半部分が抜け落ちて
 いました。追加します。

 (しかし本質的、根源的な愛とは「存在をあらしめる力」です。
 母猿は外敵から子猿を守るために子を自分のかたわらに寄せ
 歯をむいて相手を精一杯威嚇します。
 人間の母親は子供を育てるために自分の食は抜いてでも
子供に
 食べ物を与えようとします。)
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 「神」とは「宇宙=存在」を貫く普遍的理法のことです。


 その意味であなたの言われるように物理法則そのものでもあります。
  
 ところであなたや私という一個の人格的存在も
 その「普遍的理法」によってあらしめられている「存在」です。
 それがそのように「あらしめられている」事実を感じたときに
 それを「愛」とりわけ「あらしめようとする無償の愛」と
 感じ取ることが出来ます。
 以下は他のスレッド「愛はどのようにすれば発掘できますか」
 に私が回答したものの引用です。
 
 「よく知られたたとえ話ですが一人の人間には父親と母親と二人の
 親がいますから20代(ざっと500年)さかのぼれば100万人
 さらに20代さかのぼれば1兆人の先祖がいることになります。
 その先祖が次の世代を残すには、戦争などの政治的危機や
 飢饉や天災などの経済的危機といった多くの苦難を乗り越え
 自らの身を犠牲にしてきた無限のドラマがあるのです。
 しかもそれらは「あれをすればこれがあるから」という
 現世の利益のためでなく、何の見返りも求めない「無償の愛」の
 積み重ねなのです。つまりこれが本質的・根源的な愛です。
 (たとえばイエスが説いた「愛」はこれです)」
 
 これで「愛」と「物理法則」とがつながるきっかけになるでしょうか?
 
 ところで
 私が神の存在を探求し始めた頃、もう亡くなりましたが
 芹沢こう次郎さんという作家が晩年神を体験しそれを
 「神の計画」などの神の五部作シリーズで発表され始めていました。
 何とか連絡を取り、杉並か三鷹の自宅に伺った私は
 「神は存在するのですか? もし存在するとすればそれは
 どのようにして確認できるのですか?」
 と聞きました。
 その時芹沢さんはもう白内障がだいぶ悪かったようですが
 その白目がかっている目を大きく見開いて
 「神はいますよ。あなたね、天気のいい朝にね、窓を開いて
 ご覧なさい。そこに神がいますよ。鳥のさえずりや露に濡れた
 木の葉の中にね、神がいますよ」
 と言われました。
 
 もちろんその時すぐに私が「神」を了解したわけではありません。
 それからも「神」を理解するために長い年月がかかっていることは
 スレッドで書いているとおりです。
 ただ「この人は(欲や得のために)嘘をついているのではない」
 ことだけは直観できました。
 あなたも私の言葉に「何か否定できないもの」
 「何か欲や得のためでないもの」
 を感じとっていただけば十分です。
 
 よければ私の他のスレッドも読んでみてください。

 
 
 
 
 
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この回答へのお礼

重ねてのご回答有難うございます。
<「神」とは「宇宙=存在」を貫く普遍的理法のことです。>
という言葉、<「神はいますよ。あなたね、天気のいい朝にね、窓を開いて
 ご覧なさい。そこに神がいますよ。鳥のさえずりや露に濡れた
 木の葉の中にね、神がいますよ」
 と言われました。>
という言葉の意味は頭の中では理解できました。こういう概念を常に頭に置き、時の移り変わりを観察していれば、いつかは神様の存在を感じ取ることができるということでしょうか?ご回答をいただければ幸いです。あと、arakanさんの過去のレスはどのあたりにかかれているか教えてください。

お礼日時:2005/03/02 15:32

難しいことはわからないのですが、みんなが言う神の存在を信じるとは違いますが、もし神というものはなんだと聞かれたら、万物の法則とか、そういうのを神と位置づけています。



こうやってみると、みなさん先人の話しや物語の中に登場する神を、何度か刷り込まれて自分の中の神という概念を創り上げたと思えます。
刷り込まれなかったらできなかった神です。

うちはほぼ無宗教ですが、先祖を神として敬うように教育されてきました。
どっかの檀家でもありますし、お墓参りもしています。
先祖を供養しないと災いがふりかかるとか刷り込まれてきました。
その傍らでギリシャ神話やら、北欧の自然の神やら物語も読んでいたので、いろんな神がいるんだとそういうのを受容していました。

聖書でもイスラエルの神とエジプトの神とどっちが強いかって人々が比べている場面があり、ほうほう やっぱりこの宗教もいろんな神がいるという認識なんだって思っていました。
それぞれの民族に神がいる。
つまりそれぞれに民族の守護神みたいなもんだって思っていました。

ところがやがて神は一つだって言う話を聞いて ん?ってなって、「こっちが本当の神だ」ってなって、ん? これじゃあ今までその宗教を信じるものが他の民族を殺していた理由がわかりました。
どっちの神が本当かってムキになるのはわかるけど、言う人の命を奪って死人に口無し、その人たちの本を燃やしてこの世から消してしまえば、誰も別の神を知らないので、もうこの世には別の神は存在しなくなる はぁ 納得。
それじゃあ先人が後世の人にそれぞれの神の概念を伝えようが無いもんね。
恐ろしい 他者を滅して自分の神としたがるなんて。
勝ったほうが正しいなんて そんな価値観 今もありますが、それは暴力で勝ったほうを正義としているだけ。


世界三大宗教 それぞれが示す神は同じです。
その神は「みだりに神の名前をとなえてはならない」みたいなことを言ったとなっているらしい。
あくまで預言者の話しね。 つまり人間。

しかし、、、、
「アッラーの神は偉大なり アッラーの神が必ず罰を与える」といったり、ここでも盛んに「神は 神は 神は~」って文をよく見かけます。
『神の名前をみだりに使って、神はこうおっしゃった とか 神のご意志はとか 神はこうである とかまるで神が言ったかのようにして 自分の主張に使ってはならない』って事なんですが、それに反した行為が繰り返し行われているのをみて ああ。。。って思っています。

イエスは「神は」って言わずに「聖書にはなんと書いてあるか」ってうまいこと言ったみたい。

神の名を語る人たちはなんと罪深いのでしょう。(その宗教ではね)
しかし、私の概念ではそれはあくまで先人の人間達が作った神であり、地獄という概念も人間が作ったのだから、死んだらそれもなくなるので、地獄で永遠生きるってことはない。
「ちくしょー あの時こうしておけば」とか地獄で悔やむことも 無い。


そんなのに嫌気が差して無神論者なんですが、物理に詳しい人の話を聞くと 今までの宗教の神という種類じゃなくて、物理の法則みたいなのも神とすれば、それならありえるかも って思いました。


「幽霊なんていない」と言ったわたしに、「エネルギーの存在は否定しないでしょ? 人はエネルギーなので、そのエネルギーがしばらく残るってあるのよ」って言われました。
「例えば悔しいというエネルギーは結構強いから、その人が歩く過程にそのエネルギーがしばらく滞留するのよ」って言われて、んーーー って思ったけど、なんせその人の話はいつも納得できるものなので、そうかもね って思っています。


この世はビッグバンが起こって現在に至っていて、今どんどん宇宙は広がっているというのが定説です。
そうなるとやがていつか中心に向かっていくだろう。
そしてとてつもなく小さくなって膨大なエネルギーになって、またバーンって一気に広がる。
この繰り返しかなぁ・・・って思っています。
そこには私の存在なんて関係ない。
存在していようと存在していまいと関係ない。
しかし、私も宇宙の一員としてこの世を構成していると思います。
私が宇宙の一員 つまりパーツであり、従ってわたしは宇宙である。
従って誰がそんなアホなと言われようと、わたしは神の一部である。
そしてみんな繋がってこの宇宙を構成しているのである。
それは生き物に限らず、今まさに滅んでいく星すら宇宙を構成している一部であり、この世を構成しているエネルギーなのだ。
滅んだ後もエネルギーはしばらく残留し、他のものと結合していく。
常にこの世のエネルギーは一定なのだ。

なーーんちゃって(≧∇≦) 



随分一般の人が言う神と違うでしょう。
一般の人が神に祈ることを第一に考え 他者をないがしろにしていると、とうちゃん かあちゃん 兄弟達よ まずは身近な人を大切にしようじゃないか って言いたくなります。
一応 私も知的好奇心で聖書買ったんですが、今では本棚の飾りになっている。
聖書ってすごく分厚いので、結構武器になる。
これで「聖書には何と書いてあるか。」ってパッコーーーンってどつきたくなることもある。
いや まてよ 英語の聖書の方が薄くて鋭利だから(1/3以下) ここらへんの角で・・・なんてジョークの思考に切り替えて、づつきたくなる感情を抑えていたりします。 あは!

うちら同じなんだからってね。部品同士なんだよ。
しかし そういったところで祈りはやめてくれず、サウンド オヴ サイレンスを書いた人の心情がよーくわかります。

万物の法則って一見無機質のようですが、みんな同胞者ってなるので、愛も含有しているんですよね~。
こういう思想があるとすれば何て名前なんだろう。??
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この回答へのお礼

まずはご回答有難うございます。僕もkigurumiさんと同じような家庭に生まれました。神様の概念、宗教の歴史に対する考え、ともに同意見です。あなたは一般の人がいう神と自分の信じる神が違うといっていますが、まだ、そう多くの皆さんの回答を得ているわけではないので確かなことはいえませんが、あなたや僕の考え方はおそらく大勢を占めていると思います。理由を考えるに、古代に形成された宗教の概念は科学が優位を占める現代においては実感を持つことは難しいからです。古代においては世界の法則は神の定めたものとされていた、しかし、現代においては世界の法則は物理法則に則っているされています。つまり、古代の神が物理法則という名の新しい神に取って代わられたとするのが現在の世の中を言い表しているのではないかと思います。しかし、視点を換えれば物理法則は、神の定めたものとも考えられると思います。キリスト教の「天地創造」の神ははじめに天と地を創ったというくだりも地球の空と大地ではなく、ビックバンを指していたと考えることだってできると思います。仮にパソコンを見たことがない人間だったら、パソコンを見てテレビと思うのは普通だと思います。神様がたとえ真理を語っても、人間にそれを理解する能力がなければ正確に他の人間に真理を伝えることはできないと思います。あなたの言葉を聴いて思ったのですが、キリスト教でも人類愛を説いていますよね。これもあなたの考えと同じものだとおもいます。
こういった思想の名前はわかりません。ごめんなさい。

お礼日時:2005/03/02 12:09

僕は宗教は嫌いですが神秘は感じます。

その理由は、物理でもなんでもいいけど、この世界を論理的に解明することは現時点で不可能です。何もわかりきっていることはないわけです。そこで宗教の登場です。宗教だと人知を超えた存在が登場します。それで論理的にこの世界を捉えることができます。
と論理的に理由を書きましたが、それよりも感じるからです。人間である限り、恋をしたり生きて歳をとっていくわけですが、人間自体わからない存在です。自然のサイクルからはみ出して自己管理しなければ生きていけない変わった存在です。それに科学がいかに進歩しても、それで人類が至福に満たされると思えません。便利になるが、その分不幸は広がるでしょう。
宗教は心の問題であって、物理はこのモノの世界の問題です。
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この回答へのお礼

まずはご回答有難うございます。確かに現在の科学ではこの世界のことを完全に説明することはできません。この世界を説明する唯一の方法は人知を超えた存在、神様の存在を認めることということですか?僕はこの質問に対する答えを数人からいただきましたが、皆さんを感覚派と理論派に分けるとするならば、感覚派の方が多く見受けられます。僕自身は心の奥底の部分で神様の存在を信じてはいますが、大別すると無神論者です。感覚的に神様を感じることができません。感覚的な部分を説明していただければ幸いです。

お礼日時:2005/03/02 10:15

私は母や祖父母がクリスチャンで小さいときに聖書に書かれている神のことを聞きました。



それが聖書やキリスト教にふれたきっかけではありますが、今は自分の意思ではっきりとこれから私が書くことをすべて信じています。

日本には八百万(やおよろず)の神といってたくさんの神々があるわけで、日本人が神ということばを使ったときには、あまりにも神という概念がばらばらです。そして日本人の神概念は「人間がつくったもの」「いると思う人にはいるもの」「いないのにいると思っているもの」などが圧倒的です。英語でGODといえばそんな多くの日本人が考えるようなばらばらな神概念ではなく、ひとつしかないのですけどねーーー。

もし、神が本当に存在するならそれは人間が造った神ではなく、もともと存在し(だれかが造ったものならそれは神ではありません。)天地万物を創造したお方です。無から有を作り出せるからこそ神なのです。次に神は唯一(ただひとり)です。神はなんでも出来るお方ですからたくさん存在する必要はまったくありません。そして、すべてのことを知っておられ、どこにでも存在されるお方で、正しいお方で、完全な聖さをもっておられ、義なるお方であり、永遠から永遠に存在されるお方であり、そして愛なるお方でなければ神ではありません。

人間はさまざまな神を作り出し、そして宗教を作り出しそれを信じています。しかしだからといって、そのすべてが真理かというとそれは別問題です。真理はひとつしかありません。真理が2つも3つもあったらそれは真理ではありません。

聖書に書かれている神こそ、その真理である神です。この神は人間が作った神ではありません。人間を造ったのです。なぜなら、この神がこの世界のすべてのものを創造し生かしておられるのだからです。すべてのものは偶然にできたのではありません。偶然にできたものなど何一つありません。

たとえば宇宙のことを考えてみてください。宇宙では、地球が太陽の周りを回っているだけではなく、ものすごいたくさんの法則があってそれがすごい秩序のもとに働いています。だから、私たちは地球の上で死なずに生きていられるのです。宇宙に秩序がなかったら地球に何かの惑星などがぶつかって私たちは生きることができないでしょう。このような自然の法則は決して偶然に働いているのではありません。絶対者なる神がこの天地万物を創造し、宇宙に秩序を働かせているからこそなのです。私たち人間もこの神様に創造されたものです。聖書のはじめには「はじめに神が天と地を創造した」と書かれていますが、この神こそまことの真理である神です。この神がGODなのです。

○○教の神様という言い方をしますが、本当に実在する神はこの神だけです。木や石で作った神(火事で燃えて灰になったり、地震で崩れてしまうような神)が神であるはずがありません。

参考URL:http://bible-room.org/seisho%2Dnyumon/question-a …
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この回答へのお礼

まずはご回答有難うございます。tanita530さん自身もクリスチャンですか?キリスト教のことはよく存じ上げませんが、僕の拝読したかぎりでは、キリスト教の内容ですね。誤解のないように先に断っておきますが、僕はキリスト教の教義、また他の宗教の教義にも深く精通しているわけではないので、教義について言及するつもりは一切ありません。
母系の家系がクリスチャンという家系にお生まれになったということは、幼少からキリスト教の教義に触れながら成長してきたということですか?あなたが信仰を持ったのは家族からキリスト教の教義が正しいと教えられてられてきたからですか?僕も地球が太陽の周りを回っていると信じています。このことに疑問をもったこともありません。ヨーロッパの中世の宗教観もこんな感じであったと想像しますが、あなたもこんな感じですか。僕の質問は「太陽はどちらから昇ってどちらに沈むのか」と問うているようなものですか?
それとも、幼少からキリスト教に触れたということは、きっかけであって信仰を持つようになったのは自分自身の考えですか?僕の家は仏教徒ですが、僕自身は仏教に帰依しているわけではありません。クリスチャンの家庭でもこれはいえるはずで、親がクリスチャンであれば子供もクリスチャンというわけではないと思います。あなたが信仰を持つようになった理由を教えていただければ幸いです。

お礼日時:2005/03/02 09:36

神は理解するものなのでしょうか.

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この回答へのお礼

まずはご回答有難うございます。すいません。理解したいんです。

お礼日時:2005/03/01 22:29

 NO3 で答えた arakan です。


 私の過去ログはNo.1214281
 「神様って・・・」のスレッド中にあります。
 貼り付けの仕方がよく分からないので、ご案内しておきます。
 
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