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神様を信じている人。特定の宗教、個人的に漠然と神様を信じている人に関係なく、神様を信じるようになったきっかけを教えてください。科学と心の中でどう折り合いをつけているか、なども教えていただければ助かります。

A 回答 (33件中1~10件)

<よく勉強になりました。

あなたは専門家とされていますが、いったいどのような立場の方ですか?よければ教えてください。>

arakan です。
 私は子どもから大人までの総合的な学びの場を主宰している
 ものです。
 特に大人に対しては、今の日本の政治経済の閉塞状況の根本的な
 原因、これまで常識とされてきた経済政策などの根本的な誤謬を
 啓蒙する、「日本再生」のための「勉強会」などを主宰しています。
 (今回も東京での勉強会、新潟での社員研修に呼ばれていて
 3日間留守をしていたため、返事が遅れてしまいました。
 もうしわけありません。来週は大学で100人の学生を相手に
 基調講演をすることになっています。)

 今の日本は政治経済から宗教教育に至るまであらゆる分野で
 本質と末節が逆転しています。しかしそんな時期には必ず
 これまで草莽に眠っていた人間が出てきます。
 歴史が示すとおりです。
 そういう人間であるとご理解いただければ幸いです。
 
 ところで私の過去レス読んでいただけたでしょうか?
 政治経済を含む分野に対する私の論説、納得できるものでしょうか?
 
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#14です。



>僕の言葉が誤っていたようですね。
違います。神は存在する。という立場で話を進めています。あなたが、神の存在に疑問を持ち、考えた末に神の存在を肯定したのか、環境的な要因で当然のこととして神の存在を肯定したのかをお伺いしたのです。

私の場合は神の存在については環境的な要因で当然のこととして神の存在を肯定してきたと思います。アメリカ人なんかもGODという神を当たり前のこととして信じている人が多いと思います。でも、アメリカ人でも無神論の人もいるし、GODを信じない人もいます。
また、日本人だってそういう環境になくたってGODを信じる人がいます。

>僕があなたにお伺いしたかったのは、

<これ以外に真理がないということをよく考え、その結果自分も神(GOD)を信じたということです。

の内容です。どういった、思考の経緯を経て信仰に至ったか、です。

私は小さいときからイエスキリストが私たち人間の罪のために死に3日後に復活し、信じるものは天国に行けると教えられ、何の疑問もなくそのことを信じてきました。

しかし、だんだんと本当に信じるだけで天国へ行けるのだろうかという疑問がわいてきたのです。

そこでいいことをたくさんしようとしました。しかし、いいことをたくさんしてもその半面心の奥底にある自分の醜い心、汚れた心があらわにされてきて心には平安がありませんでした。こんな醜い汚れた罪の心を持ったままでは自分は天国に行けないと思い、一生懸命に祈りました。でも、平安がありません。

そしていいことをたくさんしても祈っても結局は自分の醜い汚れた心はどうすることもできず、こんな自分は地獄に行くしかないと思うようになったのです。

しかし、ある本を読んだことがきっかけとなってどうしてイエスキリストが十字架にかかって死んだかがわかったのです。

そのことを以下に書きます。

イエスキリストは神のひとり子です。神は私たちの目には見えない絶対者なる唯一の方GODです。

この神様は、最初アダムとエバをエデンの園という庭に住まわせていました。どんなことをしてもよかったのですが、たった一つだけ「この園の中央にある善悪を知る木の実だけは食べてはならない」という命令をだしました。それは、人間をロボットに造らなかったという証拠でもありました。つまり、人間に自由意志を与え、人間との間に愛を存在させたかったのです。

しかし、悪魔に化けたへびに誘惑されたアダムとエバはその命令を破り、その木の実を取って食べてしまいました。そのために人間は罪人となりエデンの園を追放され、人間は必ず死ななければならなくなってしまいました。

これがキリスト教でいう人間が原罪をもって生まれてくる理由です。この原罪というのは、人を殺すとかお金を盗むなどの警察に捕まってしまうような罪だけをいうのではなく、心の中で「あいつなんていなければいい」とか、「あいつなんて死んでしまえばいい」などど思うこともその罪に含まれます。うそをつくことも罪です。つまり、人間として生まれたならばすべての人間が罪人であると宣告されているのです。

しかし神様は、きよい正しいお方であり義なるお方ですから、その人間の罪を罪として罰しなければならないのです。

その結果、すべての人間は地獄に投げ入れられてしまうはずでした。

しかし、人間を愛している神はその地獄に投げ入れてしまう人間を救う道を開いたのです。

その方法は人間に「いい人間になりなさい」「修行をして罪のない人間になりなさい」
「いいことをたくさんしなさい」という命令を出すことではありませんでした。そんな命令を出したところで人間は修行やいい行いをたくさんすることによっては罪のない人間になることは不可能だということを知っていたからです。

そこで、神は自分のひとり子であるイエスキリストをこの地上に誕生させ、全人類のすべての人間の罪の刑罰を負わせて十字架にかけて死なせ3日後に復活させることにより人間のすべての罪を完全に赦し天国へ連れて行く道を開いたのです。

イエスキリストは何の罪も犯さず一回もウソを言ったこともありませんでした。

十字架にかかって殺されようとしたときにイエスキリストは自分が無実であることを叫びませんでした。

ほふり場に引かれていく子羊のように何も言わず、自分がかかる十字架をかついで処刑されるべき場所へと歩いていき、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです。」と祈りました。

私たち人間は無実で十字架にかけられているときに、自分を殺そうとしている人に対してこのように言うことはできません。

しかしイエスキリストはそのように言って十字架の上で息を引き取りました。しかし3日目に復活しました。

それは、イエスキリストが神のひとり子であったという証拠です。3日後に復活したのも彼が神のひとり子であったからできたことなのです。

イエスキリストは私たちを命をかけて愛し私たち人間の罪の刑罰を身に受けて十字架にかかって死に天国への道を開いてくださったのです。

だからこそ、私はそのイエスキリストの十字架の死と復活を信じるだけでいいということがわかりました。

小さい頃から教えられてきたからではない、自分の意思ではっきりとそのことが真理であり、うそ偽りのないことだと信じることができたのです。

神の存在を認め信じるだけでは救われません。神のひとり子であるイエスキリストが私のために十字架にかかって死に3日後に復活したということを心から信じたらいいということがわかったのです。。

参考URL:http://www.alpha-net.ne.jp/users2/aoyagis/h/j/mo …
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この回答へのお礼

重ね重ね有難うございます

お礼日時:2005/03/23 16:07

もしかして



とても不思議としか言えない様な事も

当たり前の事としてでしか見られなかったりして

とても鈍感だったりして.

何でも”あたりまえ”だったりして

ある意味とても怖い世の中だったりして.

気付かないということが.


 


 
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この回答へのお礼

重ね重ね有難うございます

お礼日時:2005/03/23 16:07

そして謙虚さも.

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不思議を突き止める能力を持たず



不思議で不可解を認める素直さも無い.

 
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世の中の不思議な事をかたずけるために、人は神の存在を信じると思います。


例えば、人間の存在など。
「それは神様がいるから…」と、不思議で不可解な事に対しての答えを、無理矢理に見いだした結果のような気がします。
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この回答へのお礼

重ね重ね有難うございます

お礼日時:2005/03/23 16:09

天網恢恢疎にして漏らさず



個が全体に組み込まれていて何か不都合でも?



個では自由意志で動いているようでも

全体としては種の存続のためにある一定の様相を呈する

絶対的とは言わないけれど.

 
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神(絶対的存在)は信じていません。

そもそも絶対的存在が在るとしたら、自分などがそれに組み込まれていることになるのではないかと考えます。
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それを乗り越えるものが



盲信であることも.

解った.
 
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持てないのだ.



ということが解った.
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