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最近、精神的な危機があって、考えた末キリスト教の教会にお祈りに行こうかと思っています。
ですが、僕は10数年近く前に自分の境遇を嘆いて、神というものを呪っていました。
当時はキリスト教だとか他の宗教だとかの区別はなく、ただ自分を創造した神がいるというのなら俺はそいつ許せないというふうに思っていました。もし、対面したのなら一矢報いたいとも思っていました。新訳聖書のルカによる福音書12章10節に「人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。」とあるのを読んで、僕は果たして教会に行けるのだろうかと悩んでいます。忌憚のないご意見よろしくおねがいします

A 回答 (5件)

はい、行くことが出来ます。



親に「向かって死んでしまえ!」と言うような子供はとんでもなく悪いことをしています。

しかし、最終的に親はわが子を許し、温かく迎え入れるではありませんか。

同じく、神はあなたを暖かく迎え入れるでしょう。

はむかうような人間を作ったのも神なのですから、織り込み済みです。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。安心しました

お礼日時:2015/06/24 13:21

気に成るなら昔からキリスト教の方法が在ります。


10~20メートルの長さ、はば2メートルのたき火
をマキでします。真っ赤なオキから炎が上がるうちに

ゆっくりとその上をはだしで歩いて縦断します。
神に祝福されていればやけどせず無傷。
罪が在れば足をやけどしたり炎が肉体に移ります。

キリスト教徒相互で真偽や善悪の決定に使われた。
やけどした時点で捕えられ神をだました罪で拷問され
殺されました。この方法は歴史ある正当な判断方法

でありキリスト教徒なら否定出来ない。
悩んでいるなら炎で試すのも良いでしょうねー
日本でやりずらいなら途上国で炎を渡る・・・

やけどしなかったら教会にお行きください~
どこかの寺では炎渡りと呼ばれ実行されてるそうです・・・
動画では炎が消えて灰がかぶってる状態なので正式

では無いと考えますが現代に続く方法です。
たまに焼身自殺とか呼ばれますが間違っています。
炎で生き残り自分の正しい信仰心を証明する行為である。

石油をかぶって炎のなかでやけどしないで生きていたら
あなたの宗教心は神の祝福を受けている。
こういうのを平気で実行するのが本当の信心なのである。

出来ないならあなたの信心は偽物かもしれない・・・
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行くのは全然問題ありませんし話も聞いてもらえると思います。


神を呪うのも神に依存するのも同じことなので問題ないと思いますよ。
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20代前半で洗礼を受けたキリスト者です。

にもかかわらず、洗礼後10年近く、神を「無視」しておりました(洗礼は夫の希望でありわたしの意志ではなかったのです)。呪うよりさらに悪いことです。
けれども、あなたと同様精神的危機が訪れた際、思いきって所属教会に出かけたときから
信仰を与えられていることに心の深いところから感謝しています。
あなたも必ず行けます。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ福音11:28)

神は、善人よりも悪人を愛する、神は経済的にも精神的にも、富む者よりも貧しいものを愛する。
他のキリスト者がどう言おうと、わたしはこれを信じています。

遠藤周作の『沈黙』そして『イエスの生涯』は、クリスチャンにもクリスチャンでない人にも読んでいただきたいキリスト者の苦悩を描いた小説です。
特に後者の『イエスの生涯』は、日本人になじみの薄いキリスト・イエスについての「真実」が描かれています。日本人には日本人のための・・・猛々しい父ではなく、すべてを受け入れ抱きしめてくれる母なるイエス、それでいいのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。今はキリスト教関係の本を色々と読んでいます。遠藤周作のその著作も覚えておきます

お礼日時:2015/06/24 14:15

自分自身が正直になって、懺悔する事です。

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