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江戸時代、武家の家を継いで藩士となった、という話はよく聞きますが、まだ藩士でない長男や部屋住みの次男以下の人間が無断で藩を出ても脱藩にはならなかったのでしょうか?
また、そうであれば脱藩者への厳しい処断ほどではなくてもある程度の罪にはなったのでしょうが、それはどのようなものだったのでしょう?
そもそも藩士でない武家の人間とは藩の中でどういう立場で、藩はそういう人間に対してどれほどの拘束力を持っていたのでしょうか?
お教えいただくとありがたいです。どうかよろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

たとえば旗本の子弟は、家柄にふさわしいふるまいが求められた。


庶民と同じ居酒屋に入って周囲と歓談などもってのほか。
発覚すると処罰されることがあった。
犯罪を目撃したなら命を落としても取り押さえなければならない。
武士の役割は治安の維持だからである。
逃げると士籍はく奪、最悪切腹もありうる。
人の上に立つのは苦の連続。
「死ぬことと見つけたり」とは「命を粗末に扱え」という意味ではない。

旗本は将軍が主だが、主が藩主になっても同じことが言える。

藩主や将軍と主従関係を結ぶのは原則家督を持っている主人だけ。
それ以外の家族や郎党はすべて「主人の家来」という扱いになり、藩主との結びつきはない。
例外として親子ともども役職を貰うことがあり、その場合は子も藩主の家来になる。
特に長子はその確率が高く、いつ役職を貰ってもよいように小さいころから厳しくしつけられる。
小姓がそうだし児小姓となれば今でいう小学生の頃合い。

次男以下はそれほど厳しくないことが多く、けっこう自由な空気を満喫していた人も多い。
しかし次男に待ち受ける運命はふつう部屋住み、運が良ければ養子。
天の恩寵を受けてやっと、長子の逝去などでの家督相続。
運命を拓こうと思えば人に抜きんでるものを持たなければならなかった。
それに、最初に述べたように武士は身分と体裁でがんじがらめ。
好き勝手やると連座制で家族親類に害が及ぶから憂さ晴らしもうっかりできない。
やはり窮屈なものだった。

浪人であれば話は別である。
しかし家を出るには手続きが要った。
勘当の場合も藩庁に届け出る。
でないと藩も戦力計算ができない。
手続きを飛ばせば罰が待つ。
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この回答へのお礼

なるほど、やはり手続きがないと罰があるのですね。
それに小姓などはお役目ではなく、しつけのようなものだったのですね。あまり考えていませんでした。
非常に参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2021/10/08 08:08

武家はどこかの藩に必ず属しているんだよ。


だから「脱藩」になり、厳しい処罰を受けなくてはいけないんだよ。
切り殺される覚悟をしないと脱藩など出来ないんだよ。
藩にとっても「脱藩者が出た」ということは大きな恥になるので、必死に追い回して成敗したらしいが。
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この回答へのお礼

なるほど、面子大事という事ですね。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2021/10/09 07:47

藩主と主従関係を結んでいるのは人ではなく家なのです。

武家の家を継いで藩士になるとは当主として主従関係を継承することであります。脱藩が非になるのは当主だけの話でそうでないなら罪にはなりません。
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この回答へのお礼

こんなに早く回答が得られるとは思いませんでした。
簡潔で分かりやすい回答、大変参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2021/10/07 16:04

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