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外国人の友達がいるのですが、日本帝国についての、日本人としての意識をよく問われてこまっています。80年代に近代歴史教育を学んだ者です。どうも明治時代以降から戦後の高度経済成長期までが、あやふやでして、友達にはっきりと答えることができません・・漠然とは分かるのですが。だから今調べているんですが、歴史を勉強していくうちに、戦争とはいえ、原子爆弾投下の印象がやたらと強い、そして日本帝国の存在は悪でしかなく、だから国を愛するなという印象を受けました。今も愛国心なんてありませんが(なんだか悪い気がして・・)なにか、曖昧さを感じます。なぜ、戦争が起こったのか、今は小学校で教えているんでしょうか?中学生で学ぶのはどうも知識のひとつとして捉えがちで、もの足りない気がしています。みなさんはどう学んだのでしょうか?ここでしか、こんな難しい話は聞けません;;よろしくお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

再登場の#7です。



#15の方の言われる共産イデオロギー云々のくだりは、このhttp://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/syosika.htm
に掲載されている昭和27年の志賀義雄の言葉に表れています。
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「何も武装闘争などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育を施せば、三、四十年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる。」
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さらに、上の言葉に出てくる日教組ですが、彼らは見事に共産主義に傾倒しています。例えば槙枝元文という人は日教組委員長なのだそうですが、この人は日本教職員チュチェ思想研究会連絡協議会にも所属しています。チュチェ思想とは北朝鮮の主体思想というやつで、この人は北朝鮮から勲章ももらっているとか。
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 槙枝元文・元委員長は委員長在任中の四十九年の本に、北朝鮮についてこう書いている。

 「この国には泥棒がいない。泥棒とは富の片寄ったところに発生する。この国には泥棒の必要がないのである。泥棒も殺人犯もいないから警察官もいない。交通整理や怪我(けが)人のために社会安全員が街角や交差点に立っているだけ」(『チュチェの国 朝鮮を訪ねて』)

 槙枝氏の北朝鮮礼賛は大韓航空機爆破や拉致などの国家犯罪が発覚した後も続き、平成三年には北朝鮮から「親善勲章第一級」を授与された。

 昨年の金正日総書記誕生六十年の祝賀メッセージで、金日成元主席について「わたしは訪朝して以降、『世界のなかで尊敬する人はだれですか』と聞かれると、真っ先にキムイルソン主席の名前をあげることにしています」と強調。

 自衛隊を否定してきた槙枝氏だが、「強い軍隊を率いることは国の自主性を堅持するうえで欠かせないこと」と北の軍備には理解を示し、金正日総書記が軍を指導する姿だけでなく「人民のなかにはいって現地指導されている姿などをもっと積極的に共和国は報道すべきではないでしょうか。キムジョンイル総書記のすばらしさをアピールしたほうがよいと思います」と進言している(『キムイルソン主義研究』百号)。
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http://tgm1.pta-koho.jp/hyousi/kizi/k501211a.htmlより。

また、朝鮮新報という新聞にも記事が出ています。
http://210.145.168.243/sinboj/sinboj1997/sinboj1 …

こういうわけで、日本の近代史教育は信用することが出来ないのです。
さらに、歴史教科書に限らず、ほかの部分にこっそりとこの手の変更した記述を紛れ込ませたりもしており、とても油断がなりません。
例:三省堂英語教科書
http://tb.sanseido.co.jp/english/newcrown/correc …
おかしかったのは、言うまでもなく訂正前です。
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彼方は洗脳されています。

多くの学校で教えている近代の歴史は、進駐軍の教育情報局が日本人を洗脳するために捏造されたものです。当時、日本に対する復讐心と東京裁判で連合軍を正当化するために、日本を世界を破壊した悪者として歴史を作ったのです。さらに共産イデオロギーに毒された教師がそれを利用しました。

今からでも遅くはありません。「新しい歴史教科書をつくる会」の扶桑社の教科書で勉強しなおすべきです。
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A11の回答者さんへ。


確かに、旧日本軍の毒ガス弾などが中国で今でも見つかったりしますが、それは日本の責任ではありません。終戦と同時に満州にいた日本軍もソ連や中国によって武装解除され、武器・弾薬はすべて接収されてしまいました。その時点で、ガス弾に関する責任はよくも悪くも日本の手からは離れてしまい、日本がその責任の取りようなどないわけです。
今も出てくるガス弾は、ソ連や中国がいい加減に廃棄したもので、それを日本のせいにするのは大間違いです。旧日本軍のガス弾は、ロシアや中国が責任を持って処理すべきです。
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一社会科教師です。


最近まで使われていた東京書籍の中学校「新編 新しい社会 公民」の42ページに次のように記されています。『日本は、第二次世界大戦で他の国々に重大な損害を与え、また、自らも大きな被害を受けた。そこで、日本国憲法は戦争を放棄して、世界の恒久平和のために努力するという平和主義を基本原理とした。そして、憲法第9条で、戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権を認めない、と定めた。』とあります。その次のページでは、『また、日本の防衛政策の一環として、アメリカとの間で結ばれている日米安全保障条約がある。この条約は、日本の領土へ他国が攻撃してきた時に共同して対処することを約束し、日本と極東の平和と安全を維持するために、アメリカ軍が日本に駐留することを認めている。』日本国憲法制定の過程のみならずこういった矛盾する記述にもアメリカの日本への占領施策が読みとれます。中国大陸に進出し、経済圏の確率を狙っていたのはフランス、イギリス、ドイツさらにアメリカもそうです。日本はアメリカの一般市民を殺戮していません。アメリカは空爆によって日本の一般市民を無差別に虐殺しました。それはベトナム戦争の時と全く同じです。それも、真珠湾を攻撃し戦争をしかけた日本が悪かったから、という理屈で原爆投下も日本に責任転嫁しています。それは、全く間違った考えです。扶桑社の皇国史観みたいな教科書も笑ってしまいますが、現在の教科書も、負けた国が戦勝国に服従するための教育のようです。愛国心は尊いと思います。それは何も、神社にお参りするとか日の丸を掲げるとかでなく、それ以前のよりどころみたいなものではないでしょうか。
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オランダは日本軍が占領するまでの間、350年の長きに渡りインドネシアを


植民地支配し、搾取しました。第二次世界大戦が終結し、日本が
ポツダム宣言受諾後、インドネシアは独立を宣言。
それを認めないとするオランダと、4年半に及ぶ独立戦争を経て独立する事が出来ました。
その後もオランダはインドネシアに対して、植民地支配を反省・謝罪するどころか
当時インドネシアに残した資産の返還請求までしています。
勿論、日本はオランダに対してもインドネシアに対しても賠償済みです。
*インドネシア側の賠償交渉担当は「独立のお祝いというつもりで賠償を払ってください。
日本が悪いことをしたから賠償をくれというわけではありません。」と発言。

日本がオランダを追い出してインドネシアを占領した時は、
独立運動指導者で、後の初代大統領スカルノ(デヴィ夫人の旦那)に独立の約束をしました。
日本が戦争に負けて、その約束を果す事はできませんでしたが
対オランダ独立戦争においては残留日本兵が共に戦い、インドネシアの
独立に大きく貢献しました。ジャカルタにあるカリバタ英雄墓地では、
日本人も埋葬されており、そこに埋葬される事は最大の栄誉だそうです。

日本のマスメディア、教科書、先生は戦争の僅かにある「光」については教えてくれません。
影ばかりを誇張したり歪曲して教えたがります。
ただ、それで日本が永久に平和で他国の干渉を受けずに済むなら結構な事ですが、
残念ながら第二次世界大戦の被害をネタに強請って来るが実状です。

国を愛するかどうかは本人の勝手ですが、質問された外国人の方も自分の国を愛するからこその
発言だと思います。国を愛す気持ちが無いのに日本に関しての話をしても
謝る以外の言葉は見つからないと思いますが。私は日本を誇りに思い、愛しています。

参考URL:http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A04.html
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明治初期から日本国は、欧米に追いつけ追い越せと国民が努力を重ねて、1895年には清帝国を、1905年にはロシア帝国を破り、欧米諸国と対等な国家になることができました。

また、植民地にした台湾、朝鮮半島、旧満州には鉄道をしき、ダムをつくり、農地を広げることに成功しました。また、読み書きを教え、教育の機会を広げました。その基礎があったからこそ、台湾や韓国は経済発展を成し遂げることができたのです。中国でさえ、工業の中心地は旧満州地域です。日本人はこのことをもっと誇りに思うべきだと思います。別に他の国からいろいろ言われても気にせず、また日本人は植民地にいろいろやってきたとか言わなくてもいいと思うのです。これが日本人の歴史だからです。ただ、戦争に関しては、中国に対して毒ガスを使ったりして毒ガスが今でも旧満州地域にはあるそうです。いまでも被害をこうむっている方たちがいるそうです。私は思うのですが、中国に対しては、ODA(政府開発援助)を払うよりもまず、旧日本軍が中国に対してやってきた毒ガスなどの処理にお金を使い、旧日本軍の負の遺産を早く撤去するべきだと思います。
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俺の大叔父はシベリアから帰ってこなかったわけだが。


オランダ人が日本との東南アジアにおけ戦闘行為で捕まる時点で、向こうさんのほうに完全な正義があるわけがないでしょう。日本兵も相当酷い目にあっています。ありきたりな虐待はもちろん、ジャマだからと捕虜になっていた兵を虐殺されたりしました。

少なくともオランダは日本に対し一悪といえるような国ではない。

どう学んだかと言われても、新聞を読んだり、ネットで調べたり、それらの事実を確認するために本を読んだりしているだけです。
近現代史の情勢に関して学校の教科書は上っ面を知ることはできても理解するにはほとんど役に立たないです。
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#3の回答をしたblinです。


補足します。左翼自身が#3の原則を押し通すなら、歴史教科書には日本が優れたということのみを書けばいいと思います。逆に、自分たちの否を教科書に記述するというのなら左翼自身も行うべきだと思います。

朝鮮人に対する強制連行については以下の質問に回答しました。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1267866

#7さんが回答した「黄文雄」という人物について。この人は台湾ナショナリズム(台湾が中国から独立しようという動き)の代表であり、中国を牽制し、日本の支持を得るために日本の歴史を肯定化しようとしているのではという説もあります。しかし、この説自体を批判する人もいます。この作者に限ったことではありませんが、判断はご自身で。
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#7の者です。


小学校のときは修学旅行で長崎の原爆の記念館につれていかれたりしました。定番の「戦争はいけませんよ」くらいの内容のものです。
中学のときも広島の原爆ドームには行きましたが、あんまり変な平和教育は受けてないです。よくも悪くも「こういうのがあったんだな」程度。

#7にあげたものは、大人ならわかりやすいでしょうが、子供向けには実際の当事者の声を教えてみるといいかも。
ただし、被害者は異常なほど騒ぐ人がいるので、当事者だけど親日な人の声を聞いてみるといいでしょうね。
東南アジアや南洋のあたりは親日傾向が非常に強いです。

で、その外国人、オランダ人だそうですが……大人だったら
「350年の間、インドネシアを植民地支配してきた国が何を偉そうに」
と一喝してもいいでしょう。
当のインドネシアからはこんな風に言われてますし。
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インドネシア オランダが日本に太平洋戦争での賠償を求めてきたことに対しての新聞記事 『祖国と青年』平成7年4月号P、37より
 「日本政府は、1958年に賠償と援助で8億ドルを出してくれた。ハッタ副大統領は“日本軍はインドネシア独立の恩人だから、賠償という名称は不適当だ。独立達成を記念する祝賀金として戴く”と言っていた。日本政府が3年半の占領の分として8億ドル払ってくれたのだから、オランダは350年分の賠償として800億ドル支払うべきだ。それに独立戦争の死者は80万人だから、一人当たりの補償金を1万ドルとすれば80億ドル、10万ドルとすれば800億ドルになる。つまり、オランダは最低1600億ドルぐらいは支払うべきである。その前に、まず女王に謝罪してもらいたい。」
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引用元は先ほども使った
http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_ …
です。

それに、日本も貧しいので本当は捕虜を取る余裕もなかなかなかったんですがね。
http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/140212.html
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いきなり大量の捕虜を抱えた日本軍は貧しい補給の中から、それでも何とか良好な給養を心掛けてきた。しかし戦後の戦犯法廷では連合軍捕虜に満足な食事を出さなかったという理由で多くの日本兵が処刑された。
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それから、暴力を捕虜によく振るっていたのは後方に配置された朝鮮半島出身の兵士である例が多いようです。

しかし子供相手だと……難しいですね。

ただひとつだけ確実にいえるのは「東南アジアのはずれにオランダがいること自体がそもそもおかしい」わけです。
子供に教えるのは難しいですが、我々日本人が無意味に恥じる必要などありません。
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なぜ戦争が起こったか?


当時の日本には敵国であった側の人間、マッカーサーの戦後(昭和26年)の発言を見てみましょう。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_ …
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 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けてゐる時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。
 これほど巨大な労働力を持ってゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです』
(小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』より)
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敵国だった人間の立場から見ても、日本が戦争に飛び込んでいった理由は「日本の安全を確保するため」だそうです。

それから、日本軍の占領による“被害者”であった人たちの日本に対する声に耳を傾けてみましょう。
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タイ人新聞記者 ククリツト・プラモート(後のタイ国首相)
「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

ソムアン・サラサス(タイ側交渉団)
「日本国民は餓死寸前でありました。日本中が焼野原でした。
そして、皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。
アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に“こんな気の毒な日本を見ていられるか”と言いましたよ」

「(こんな値引きに応じて)“国へ帰ったら、殺されるかな”とフッと思った。
けれど、“まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから”と自分に言いきかせました。団員も同じ気持ちだったのです」
転載者注:日本のタイへの当時の借金は約10億ドル。これを2500万ドルにまけてくれた。

初代ビルマ首相バーモウ 『ビルマの夜明け』
「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」

フィリピン独立記念での演説   パルガス フィリピン大使 
「しかし、大日本帝国は軍政を最終的に撤廃し、フィリピン共和国の独立を承認するというこのうえない形で、その高邁な精神と理念を証明した。帝国はその全ての誓約と宣言を誠実に守り、フィリピン国民が憲法を制定し、自らの文化と伝統に調和する国家を樹立する最大の機会を開いたのである。大東亜において日本帝国はあまりに激しく、あまりに不当に圧政暴虐の侵略者として非難されているが、その寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。日本は帝国であったが一つの共和国を認め、まさにその樹立に参画した」

地元通訳 マリオ・ピネダ氏(2000年当時 73歳) 同上より引用
「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。これは日本が統治下で施した”教育”の成果です。・・・・ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、自分たちでモノを作ることを学ぱせてもらえなかった。人々は鉛筆すら作ることができなかったのですよ。アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに売りつけてきたからでした」

インドネシアの中学3年用の歴史教科書
 「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた」

インドネシアで50年間歌い継がれてきた「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチの歌詞

 “アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ
大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ…”

『祖国と青年』平成6年2月号、アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論 中島慎三郎より)
インドネシアの元復員軍人省長官で東欧大使を歴任したサンバス将軍
 「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」

マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員
この国に来られた日本のある学校の先生は「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。私は驚きました。「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。

1991(平成3)年12月 日本軍の上陸50周年特別式典にて
マレーシア ケランタン州(首都コタバルがある州)副知事ロザリー・イソハック
 「1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。」

インド国会議員にしてインド独立運動家 マハンドラ・プラタップ
(アドレス:ttp://www.geocities.jp/bintan_arak/india/india-03.html)
「(連合国は)日本に対してこそ賠償を払うべきだ」

インド 最高裁弁護士ラケッシュ・デヴィーディ
1997年8月に代々木公園野外ステージで開催された「インドの夕べ」での発言
「インド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れません」

グラバイ・デサイ インド弁護士会会長・法学博士
1946年、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶より
 「このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。」

インド ラダ・ビノード・パル極東国際軍事裁判判事
 欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられなければならない。

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以上引用はhttp://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_ …から。

東京裁判の判事・パールの言葉
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「日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、
卑屈・退廃に流されてゆくのを、
私は見過ごして平然たる訳にはいかない。
彼等の戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。
誤った歴史は書き換えねばならない。」
1952年11月6日 広島高裁における歓迎レセプションにて
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上記はhttp://www003.upp.so-net.ne.jp/DPHW/war/body.htmlより。

それから、日本の首相や議員は東南アジアに謝罪に行っていますよ。
その際のアジアの人々からの評価はこうです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog …

他に、日本が支配していたパラオの現在の国旗は海に浮かぶ月で、日の丸を彷彿とさせます。この由来については
http://www.sarago.co.jp/nfhtm/pw.html
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/20010 …
でわかるでしょう。また、パラオの桜の歌
http://gomushi.at.infoseek.co.jp/world/palau/002 …
なども注目してみてください。

また、逆に、もし東南アジアの人々が日本を嫌っていたとしたら、
・なぜミャンマーの国軍記念日のパレードで、日本の軍艦マーチや「歩兵の本領」等の日本の軍歌から始まるのか
・なぜインドネシアの独立記念日にはインドネシアの民族衣装の男女2人、旧日本陸軍の軍服の人1人の計3人でインドネシア国旗を掲げるのか
等の説明がつきません。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_3.html
http://www.seiken-do.com/tigermask/voice/2004/20 …

あ、タイは枢軸国側ですよ。日本・ドイツ・イタリア側。

印象的でわかりやすいまとめ方をしてあるのは下のFLASH、「大日本帝国の最期」3部作ですね。
黒船来航以降をまとめてあります。
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-1.h …
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-2.h …
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-3.h …

本としてお勧めなのは、例えば被支配側だった台湾人の黄文雄の本とか、韓国人のキム・ワンソプの本などはいいですね。
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